第28話 魔王さまとコロシアムの攻防


 夜、コロシアムの地下入り口前で二年生の男子が見張っている。

 彼の名はガリッタ。

 いつ起きているのか分からない程、眼が細いのが特徴的だ。


 ここの警備は当番制で行われている。

 脱走防止というよりは、イタズラ、虐殺に対する防犯という意味合いが強い。

 とはいっても、欠伸を噛み締めている様子から分かるように、危険を冒してまでモンスターと会おうなどという酔狂者は皆無だが。


――あぁ……ヒマだ。だからこの仕事嫌なんだよ。つっても、結界近くの見回りも、危険で嫌だけどなぁ……。


 常に警戒しながら見回るのもキツいが、かかしのように頭を空っぽにして突っ立っているのも、それはそれで辛い役割だ。


――二人居れば、チェスでもしてヒマを潰せるんだがなぁー……。


 そうなる事を見越してなのか、ここの見張りは常に一人体制だ。


――あぁ……寂しいなぁ。


 真夜中に一人。

 地下から時折聞こえてくる、薄気味悪い声。

 もしもモンスターが脱走したら、という恐怖。

 この三重苦が、ここの仕事が特に嫌がられる理由だった。


 春先とはいえ、時折吹く風は冷たく、ガリッタは寒さに身を震わせる。


――うぅ……寒い。身体が寒い。失恋したばっかりだから、心も寒い。


 自分を抱くように身体を丸め、いろんな寒さから身を守る。

 いつになったら暖かくなるんだと、ぼやきながら。


 その時だった。

 音もなくスゥッと、暗闇の中から白い何かが現れたのは。

 それはゆらゆらと不気味に揺らめきながら、一歩一歩、こちらに近づいてくる。


 ガリッタは跳び上がる程驚いたが、身体は反射的に剣の柄を握り締めていた。

 訓練が身についている証拠だ。


――モンスターか? それとも幽霊の類いか?


 ガリッタは視線を下げる。

 足は……ある。

 それも、スカートから伸びた、すらりとした白い美脚が。

 どうやらフードをすっぽりと被った、同じ勇者候補生のようだ。


――顔は見えないが、赤い制服って事は一年生か。


 警戒を解き、ガリッタは安堵のため息を漏らす。


「おーい、そこの一年生。寮はあっちだぞ。さっさと帰れ。朝っぱらから死ぬほど走りたくはないだろ?」


 遊んでいるのか、迷っただけなのか。

 ガリッタはそれとなく警告し、一年生を追い払う。

 美人――美脚だからそう思っただけだが――が懲罰を受けてしまうのは、何となく忍びなかった。


 だが一年生は、まごまごした様子でこちらに近づいてくる。

 その手には、木製の水筒が。


「あ、あの……!」


 緊張しているのか、可愛らしい声は上擦っていた。

 フードの隙間から、艶やかな赤い唇が見え隠れしている。

 ガリッタは、思わず生唾を飲み込んだ。


「この……これを……。その……飲む……飲んで……下さい」


 単語単語をたどたどしく喋り、細い指で包んだ水筒を差し出してくる。


「お、おうよ……」


 ガリッタは生返事をしながら受け取る。


――え? え? なにこれ? どういうことなの?


 あまりにも突然な出来事に、頭はまるで付いてこない。


「これを俺に? え? なんで?」


 一年生は答えない。

 しかし、渡せたことが嬉しいのか、口元が緩んでいたのが見えた。

 照れ恥ずかしそうにフードを深く被り直し、くるりと背を向ける。


「あ、名前! 名前を教えてくれ!」


 何も言わず、振り返りもせず、一年生は現れた時と同じように、音もなく闇の中に消え去ってしまった。


 夢でも見てしまったのかと思った。

 だけれど、手には木製の水筒が残っている。

 開けてみると、湯気と共にお茶のような香ばしい匂いが鼻をくすぐり、意識をこちら側に引き戻してくれたような気がした。


 ほんの少しだけ口に含んでみる。

 どうやらこれは、温めたオルゾ(大麦を低温焙煎した飲料)のようだ。

 昔のコロシアムでは、戦う前に大麦をそのまま食べていたというが、寒さに負けずに力を付けて、という事なのかも知れない。


「寒さの後には、ちゃんと春が来るんだなぁ……。ふふ、お茶なのに甘酸っぱく感じるぜ」


 ニヤニヤしながら、ガリッタはそのオルゾをがぶ飲みする。

 身体と共に、心も温まっていくようだ。



 ◇----------------◇



 少女は目の届かない所にまで移動し、木の陰に隠れて身を潜める。


≪……ふぅむ、拍子抜けするほど簡単だったな≫


 髪を掻き上げるように、すっぽりと被ったフードを取る。

 月明かりに照らされた銀色の髪が風になびいていた。


≪その……教えられた通りに上手く言えず、申し訳ありませんでした……。一度は覚えた言語の筈なのに……≫


 髪の中に隠れていたレアルタが、ひどく落ち込んだ様子で言った。


≪謝ることはない。その初々しさと、たどたどしさがむしろ好まれるのだから≫


 アマルスィから寄越された『王族とメイドの恋物語』には、そう書かれてあった。

 何でも読んでおくものだなと、ストラは改めて感じた。


≪あ、ありがとうございます! ストラ様も、まるで本当の女性のようでしたよ! その衣装もよくお似合いです!≫


 ストラは視線を下げ、自分の格好をもう一度確認する。

 初日にパティー先生から寄越されたこの制服は、手足が細いこともあってか、いやに似合っている。

 スカートを摘み上げ、月光のように白く美しい脚を見ては自虐的に笑う。


≪……何とも複雑な気分になるな……≫


 木イチゴで赤く塗った唇を手の甲で拭い、隠してあった男子用の制服に手早く着替える。


≪では行くとしよう。この作戦の仕上げに≫



 ◇----------------◇



 ガリッタは襲いかかる敵と戦っている。

 だが、その強大な敵に太刀打ちできるハズもなく、今まさに打ち破られようとしていた。


 敵の名は――尿意。


「うおぉぉ……マ、マズイぞこれ……!」


 あのお茶を飲んでからすぐに、強烈な尿意が襲いかかってきた。


「トイレ……トイレに行きたい……! 立ちションしたいけど……次の当番は女子なんだもん……! 一発でバレちゃう……! トイレ行きたーい……!」


 交代までの時間はまだ遥か遠くで、同時に意識も遥か遠くに逝きそうだった。

 ガリッタの中で死のカウントダウンが始まった頃、偶然にも赤い制服を着た男子が通りかかる。


「そ、そこの一年坊!」

「……なんでしょうか?」


 必死の呼びかけに対し、ストラは何気ない顔でゆっくりと振り返る。


「み、見張りを頼む! トイレに行ってくる間だけで良いから! お願いですから!」


 ガリッタは先輩という立場を忘れ、何故一年生がここに居るのかという疑問すら持たず、必死な顔で頼み込む。


「ふぅむ……そこまで言われては仕方がありませんね」

「そうか、助かる! くれぐれも先生には内緒でな!」


 ガリッタはお礼を言いながらも、既に足はトイレへと向かっていた。


「ええ、分かりました。……では念のため、鍵もお預かりして良いでしょうか?」

「そうか、そうだな! じゃあ頼む!」


 渡す手間すら惜しいのか、投げ捨てるようにカギを落とす。

 そして股間を押さえたまま、ガリッタは女の子走りに近い形でトイレに走っていった。


≪やれやれ、忙しない事だ≫

≪タンポポ茶の効果は抜群のようですね≫


 レアルタは可笑しそうに言った。

 ガリッタが飲んだのは、温めたオルゾではなく、強烈な利尿作用があるタンポポ茶だった。


≪さて、最寄りのトイレは封鎖してあるから、往復で三十分といった所か……≫

ストラは鍵を拾い上げ、まるで行き慣れた場所のように、何の気兼ねもなくコロシアムの地下階段を下っていく。

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