第3話 魔王さまと出会い
ストラは待ち合わせ場所を目指して、森の中を歩いていた。
――全く、危ないところだった。アマルスィが本能のままに口づけをすれば、私など一瞬でこうなるというのに。
手に持ったシワだらけのカバンに、自分を重ね見る。
――さて、これからは自分で自分の身を守っていかねばな。
まるで自分の正体を隠すかのようにフードを深く被る。
そう、敵は何も人間だけではないのだから。
「……動くな」
覚悟を決めた矢先、低い声と共に、真横の木の陰から剣が差し向けられた。
喉元を狙っている剣は、明らかに殺意を帯びている。
遅れて姿を現したその人物は、同じように深くフードを被っていた。
――やれやれ、親の目が届かなくなった途端にこれか。
間違いなく、同じ魔王候補である誰かが放った暗殺者だろう。
多少意外ではあったが、石つぶ程度の自分にまで送ってくるとは、相当切羽詰まっているのだな。
ストラは、思わず鼻で笑った。
「フードを取れ」
暗殺者は、そう指示してきた。
ストラはためらうことなくフードを脱ぎ、顔を見せつけるように暗殺者の正面に立つ。
「依頼主は誰だ?」
この逆境をものともせず、ストラは凛とした態度で問い詰める。
しかし、返ってきた答えは意外なものであった。
「あれ!? ……うわっ、もしかしてやっちゃった!?」
素っ頓狂な声が、森の中に響き渡る。
「……まさか、勘違いか?」
フードの女は、黙ったままコクコクと頷く。
そして、ばつが悪そうに剣を収める。
「だ、だって、アンタが紛らわしい気配をしてるから……」
フードの女は謝りもせず、いきなり言い訳から入った。
――私を人間と勘違いしたのか? ふぅむ。では、この女はただの一般人か。
そう確信したのは、暗殺者なら、例え間違っていたとしても目撃者を殺すからだ。
一歩間違えれば死んでいたというのに、ストラはまるで気にしていなかった。
それどころか、これを利用しようと考えていた。
「謝罪の言葉は要らない。だが、もし訓練校行きの馬車を知っているなら、案内役を頼みたいのだが」
ストラは、空を見上げながら言った。
いろいろ手間を喰った所為か、陽は真上に近づきつつある。
休む余裕も、迷っているヒマもないだろう。
フードの女は、大きく首を傾げる。
何を言っているのか分からない、とでも言うように。
しかし、ようやく理解したのか、納得したように大きく頷いた。
黙ったまま、指先でちょいちょい、と招き寄せるジェスチャーをする。
案内してやる、という事なのだろう。
喋らないのは、このまま正体を隠していたいからなのか。
背を向け、いきなり獣道に入り、フードの女は木々の間を迷うこと無く突き進んでいく。
かなり足が速く、付いて行くのがやっとだった。
この森を熟知した走り方……恐らくエルフか。
ストラは、足取りの軽さからそう推測した。
道なき道を進んでいき、深い茂みを抜けると、急に視界の晴れた場所に出た。
なだらかな丘が呆れるほど広がっており、舗装された車道が地平線の向こうにまで続いていた。
道端には名も知らぬ花が咲き誇り、石畳が少しも欠けていない所を見ると、この辺は長く戦争を行っていないようだ。
「おーい、こっちこっち」
声のする方を見ると、そこにはワラが積まれた小さな荷馬車と、運転手と思われる小太りの男が石の上に座っていた。
オークが運転するとは珍しいな。
ストラはそう思った。
「ギリギリアウトのご到着だな。えーと……」
運転手は、尻の下から生暖かくなった名簿を取り出し、チェックを付けていく。
「ほい、これで全員集合っと。ほら、早く乗りなさい。夕飯に間に合わなくなってしまうよ」
「この馬車は、訓練校行きで間違いないのだな?」
ストラは、念のために確認した。
すると小太りの男は、フードの女と同じように首を傾げる。
――もしや、訓練校という呼び方が間違っているのか?
ストラがそう疑問に思っていると、運転手はやっと納得したように大きく頷いた。
「あぁ、学校の事ね。モチロンだとも」
「学校? ……そうか、そう呼ぶのが正しいのか。どうりで通じないハズだ」
ストラは荷馬車に乗り込み、生まれて初めてワラに寄りかかる。
「ふむ、聞いていたモノより随分と質素だが……まぁ、これはこれで趣きがあるな」
思っていた以上に硬かったが、不思議と嫌な感触ではなかった。
一方フードの女は、ドスドスと足を鳴らしながら小太りの男に近づいていく。
「ちょっと、他の生徒は居ないの!? それに、何よこの荷馬車は!? どー見ても二人乗り用じゃない!」
運転手がひっくり返る程の勢いで噛みつく。
エルフは温厚だと聞いていただけに、ストラは驚きを隠せなかった。
「ほ、他の生徒なら、もうとっくに大型の馬車で行ったよ。この馬車はね、遅刻者の為に借りてきた緊急用のモノなの。贅沢は言わないでおくれよ」
運転手は仰け反り、犬のように唸るフードの女をまぁまぁ、と言ってなだめる。
エルフではなく、人型のワーウルフなのかも知れない。
「う~……。顔見られてないから、他の生徒に紛れちゃえば分かんなくなると思ったのに……」
言わなくても良い事をベラベラと喋りながら、フードの女は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
――なるほど、どうやら嘘を付けないタイプのようだ。
さっきの間違いにしてもそうだ。
顔は見られていないのだから、すぐに逃げればごまかせたというのに。
負い目があるからか、バカ正直にここまで案内してくれた。
フードの女は、渋々荷馬車に乗り込む。
警戒しているのか、ばつの悪さからなのか、少しでも距離を空けようとハジっこに身を寄せている。
――随分と嫌われたものだな。
干し肉があれば仲良くなれたかも知れないと、半ば本気にそんな事を考えていた。
「出発するぞー」
荷馬車はゴトゴトと走り出す。
走るよりも、少し遅い速度で。
まだごまかすことを諦めていないのか、女はフードを被ったままだ。
荷馬車が大きく揺れ、隙間から金色の髪がこぼれ落ちる。
太陽の光を浴び、麦穂のようにきらめくそれを、ストラは美しいと感じていた。
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