第6章 新しい友達、見つけて

 まったく。素直に手をつないでいたのは前半だけだな。息をついて後を追う。幸い光る触角が目印になった。

「もう、おしまいですか?」

 美春が声をかけたのは、金魚すくいの店だった。花火前とあってか他に客はいない。

「まだ、いいよ」

 もうあんまり残ってないけど、と咥え煙草のまま、露店のおやじがのん気な調子で答えるのが聞こえた。

「良かった」

 美春がほっとしたように言って、健司を振り返った。

「間に合ったね」

 そうらしいが。

「美春がやるのか?」

「ううん。やるのはけん兄」

「は?」

 美春が健司の腿辺りを指差した。200円だけ持ってこさせた理由が、やっと分かった。

「……」

 10年と半年の間育てながら自分の不注意で死なせてしまった、でめ太の姿が脳裏によみがえる。今はまだ金魚のことは考えたくなかった。露店めぐりをしていて、店が出ていることは分かっていたが、なるべく意識の外に追いやるようにしていたのに。

「美春」

「なあに」

「たか兄に何て言われたんだ?」

 低い声で問うと従妹が目を見開いた。唇を結んで首を横に振る。

「言わない約束なのか?」

「約束は……してない」

「じゃあ言ってみろ、怒らないから。言わないと本気で怒るぞ」

 従妹の子守は数えきれないほどしてきたが、“本気で怒る”と口にしたのは初めてだ。 

 頬を膨らませた美春が目線を上げて“パディントンのひとにらみ”をしかけてきたが、今回は効かないとみてか、すぐに健司から目を逸らした。見下ろしたままでしばらく待っていると、美春が折れた。

「けん兄にはね、“金魚の友達が必要なんだ”って」

 沈黙で先を促す。

「“だから金魚すくいやったら、きっと元気になる”って」

 さらに、美春の金では健司が“友達との出会い”を拒否する可能性があるので、金魚すくいの分だけは、健司に持参させることになっていたらしい。

 やっぱりたか兄の差し金か。むかっ腹が立ったが、うつむく美春を見ていたら、小さい従妹に気を遣わせていた自分が情けなくなってきた。

 その時、後ろで男の子の声がした。

「まだやってっかな」

 体をずらして美春より少し年上と思しき少年二人を前に通すと、彼らはおやじに向かって先ほどの美春と同じ質問をし、おやじも全く同じ答えを返した。

「あ、ほんとにちょっとしかいねえ」

 それでもやることにしたらしい。少年たちがしゃがみこみ、小銭と引き換えにポイを受け取るのが見えた。

「美春戻ろう。花火見るんだろ」

「え、やんないの?」

 従妹の瞳から目を背ける。でめ太との別れ、あんな思いはもう二度としたくなかった。だから金魚すくいはしない。

 そう思いながら、引き返す一歩が踏み出せずにいると、

「前のでめきんも、金魚すくいでとったんでしょ」

 美春が遠慮がちに言った。

「そうだよ」

 先に取った小赤のはや太ほどではなかったが、でめ太も体の大きさに似つかないほど動きが早かった。その姿を必死に目で追い、破れかかったポイでなんとかすくい上げた。今の美春と同じ小学3年生だったと思う。あの達成感、そして真剣勝負の果てに初めて自分のペットを得た感激は、今でも忘れられない。

 ペットというより、母親と叔父以外に係累のなかった健司にとって愛魚は親友であり、兄弟のような存在だった。でめ太が自分を支え慰めてくれた10年半は、宝物のような日々だったと思う。ここしばらくは喪ったことの重さばかり考えていたが、でめ太が残してくれたものはそれ以上に大きかった。

 二代目の金魚を飼ったとして、あれほどの友情を再び築くことができるだろうか。

“できるよ。もちろん”

 すぐ傍で声がした。

“だから新しい友達、見つけて”

 従妹の顔を見ると、きょとんとした表情で見返してきた。美春の言葉ではなかったらしい。当惑した健司は目を伏せた。

「やっぱり、今日はできない」

「どうして?」

「ただすくえばいいってもんじゃないんだ」

 すくった後、金魚を大切に育てるためにはそれなりの設備が必要なのだと健司は美春に説明した。

「せめて水だけでも何日か前から作っておかないと」

「あれ、けん兄んち水槽あったよ」

 美春は不思議そうだ。

「水も入って、動いてた」

 そうだった。健司の部屋には充分に循環させてカルキの抜けた水を湛えた水槽が、必要な機材を全て揃えた状態で設置してあるのだ。

 お膳立ては全て整ってるってわけか。ふと自嘲の笑みがこぼれた時、

「なあ、これもう死んでんじゃねえ?」

「死んでねえよ。エラが動いてる」

「あ、ほんとだ。泳ぎ出した」

 少年たちのやり取りが聞こえた。

「狙ってみよっかな」

 赤いの速えんだもん、と一人がぼやいた。

「わ、オレのもうダメだ。破けちった」

 隣でもう一人が悔しがっている。

「よっしゃ、オレに任せろ」

 でめきん覚悟! と少年が水の滴るポイを振り上げた。

 でめきん? 健司が顔を向けると、プラ舟の左端の方で、壁面に沿うようにして黒い影がよろよろと動くのが見えた。

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