第4話

 太陽光がまぶたを暖め、僕は覚醒した。

 維持機器で簡単なバイタルチェックを開始する。

 寝袋から体を引きずりだし、周囲の様子を見て、直ぐに自分の状況を把握する。

「クソが、もう汚染されたか」

 教室の様子が、昨日とはまるで異なっていた。

 磨き上げられたリノリウムの床、清潔な空気、ヒビひとつ入っていない黒板には消えかけの数式がある、机やイスにも風化の様子はまるでない。

 僕が通っていた時代の教室の風景に、世界は戻っていた。

 教室には僕しかいない、でも校舎のそこらじゅうから人の気配がする。

 バイタルチェックが完了し、その結果が右腕部のタブレットに表示される。

「汚染度:5」

 汚れた炎の残滓によって精神が汚染され、ありもしない幻覚を見せられている。

 僕は注射器を取り出し、抑制剤を再度投与しようとした。だけど思いなおす。

「このペースで打ってたら、探索が終わらない」

 注射器と抑制剤をポーチに戻すと、僕は教室を出た。

 廊下もまた、昔の姿に戻っていた。

 人影は相変わらず存在せず、代わりに人の濃厚な気配だけが溢れかえってる。

 足音、声、ドアの開閉音。忘却の彼方に過ぎ去っていた、当時の雰囲気が僕の脳を強く刺激した。

 外壁やポスターの独特な色調、むき出しのコンクリートタイルの冷たさ、そして制服の……白いシャツの匂い。

 全部が嫌いな物だ。

 僕はこの場所が嫌いだった。忘れかけていたものが一斉に僕の中に押し寄せ、胸の内側を掻き毟る。

 僕は、学校がたまらなく嫌いだった。

 異常な兄が暴れまわり、その弟としてみられるこの空間が。

 廊下を進み、第二の下駄箱から外に出る。

 校庭だ。

 この中学校にある二つの校庭の一つ、野球部員達が使う校庭。兄が堕ちたのも、多分ここだとされている場所。

 校庭には誰もいない、でも喧騒がする、なんの喧騒かは直ぐにわかった。

 これは、野球部のメンバーと兄が揉めたときの音だ。

 大勢の怒号、大勢に押さえ込まれた兄貴の泣き喚く声、校庭のところどころに血の跡まで現れ始めた。

 自分の身の丈も理解せずに厳しい部活に飛び込み、周囲に迷惑をかけ避けられ、そして突然暴れだした。

 あの時僕はその様子を、授業中の教室の窓から眺めることになった。

 同級生達の何人かが校庭の様子に気づき、指さし、僕に尋ねた「あれ、お前の兄貴か?」

 嫌な記憶だ、思い出したくも無かった。

 僕は校庭から目を逸らし、校舎の屋上に目をやる。

 屋上には三羽の天使が並び、僕を見下ろしていた。

 喧騒が大きくなる、兄の悲鳴だけでない、自分へと兄について問いかける声も。校庭に血が広がる、赤色で汚染され、それに呼応するように音も不快感も全てが肥大化していく。

 僕は耐え切れず、抑制剤を取り出し首筋に打った。

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