4 束の間の休息

 高校行きのバスが、やっと駅前の停留所に到着した。

 ほかに乗り合わせる客もなく、貸し切り状態となったバスの中で、俺たちは手近な座席に倒れ込むようにして腰を下ろした。


「あーしんどい」


 バスが動き出したところで、二人掛けの椅子にぐったりと凭れたサナギが、口許から舌を覗かせて言った。


「お疲れ様」アルティアが言葉を返す。「今日のMVPは間違いなく狩魔」

「あたしの獅子吼法ししくほうは、元々対人間用のものじゃないからね。勝手が違って大変だったわホント」

「それでも、あれだけの大人数を相手にかすり傷程度で済むのだろう? 頼もしい限り」

「やめてよ、もーう。アルティアみたいに、動きやすい服装で来れば良かった」

「二着もスカートの裾を破くわけにはいかない。こうなることも想定内。抜かりはない」

「もっと早く言ってよね……で、これからどうするの。まさか祠を調べる気じゃないでしょうね?」

「今日はやめておこう。代わりに面白いものが見れた。ら抜きで失敬」

「……村雨ね」


 俺の反対側に座ったルキが、斜めに身を乗り出して、


「山田さん、あの、さっきは大丈夫でしたか」


 と声をかけてきた。


「ん、ああ、直撃じゃなかったしな」


 俺は自分のスマホを操作しながら答えた。

 霊刀の一撃でバッグの上部分は呆気なくちぎれ飛んだが、中にあった用途も判らない機械類がクッションになったおかげで身体のほうは奇跡的に無傷だった。


『機械のおかげじゃねーだろ』


 確かに。

 あのとき村雨を起点として発生した、謎の光。

 中身を落とさぬようももの上にバッグを乗せたアルティアが、サングラスを外してルキの手許を指差す。


霊子エーテロンが励起したのだ。村雨が帯びていた霊子エーテロンと、ワチキのメカが内部に閉じ込めていた霊子エーテロンとが反応し合い、互いの霊子エーテロンを増幅し合ったために、霊子現象としては非常識ともいえる、高密度エネルギーが発生した。肉眼ではっきり目視できるほどに。自然界では極めて珍しいこと」

「ほんっとすっごい霊気だった」サナギも同調する。「あれだけミンミン鳴いてた蝉が、一瞬で鳴きやんだんだよね」

「ワチキのカウンターをもってしても正確な値は検出できなかった。設定した上限を超えたのだ。単純な出力比だけでも〈魔悪痛まあくつう〉の数百倍は行っていたはず」

「けど、どうしてあたしたちはなんともなかったの? あの光の動き、まるで攻撃する対象を選んでたみたいだったけど」

「持ち主の〈意識〉に感応したのだろう」


 ルキがビクッと肩を揺すると、それに合わせて手の内の刀も揺れ動いた。濡れた刀身にはボロボロになった布が申し訳程度に巻いてあり、至るところが露出していたが、バスの運転手も気にかけていないようだったし、後は寮に帰るだけなので別段問題ないだろう。


「ルキちゃんの意識に? だから、あたしたちは無事だったってわけ?」

「山田までもが攻撃を受けていないことを考慮すれば、ほかに納得のいく説明はない」

「なるほどね。ルキちゃんのおかげなんだ。ありがとう、ルキちゃん」

「そ、そんなことないです。ルキも、何が起きたのかよく判らないです……」

「自覚はなしか」


 アルティアが顎に手を当て眼を細める。


「ところで追一」


 ルキに対するのとは真逆の攻撃的口調で、幼馴染みに呼ばれた。


「な、なんだよ」

「? 何ビビってんのよ」

「そりゃビビるって……お前メチャクチャ強いじゃん」

「何を今更」

「もう俺の耳引っ張るなよ。お前本気出したらマジでちぎれる」

「ふふっ次の機会が楽しみねー。そんなことより、青汰たちはどうなってるの」

「んーさっきメッセージ送ったんだけどな……おっ来た来た」


 スマホに届いた通知を開いてみる。


「あのまま自分の家に着いちまったらしい。紺画も」

「一番安全と思われる場所に移動したのだ。霊子エーテロンが、良かれ悪しかれ人間の心理や体質に左右されるものであることは、霊子力学エーテロン・メカニクスによって証明されている」

「ふーん。取り敢えず、みんな無事で何よりだったね」

「はいです!」

「いや、両足の踵を思いっきり火傷したらしいぜ。二人とも」

「……火傷で済んだのは、むしろ幸運というべき」

「そ、そうね。命あっての物種っていうもんね、あははは」

「これで改善点も見つかった。次も彼らに実験台……モルモットになってもらおう」

『言い直した意味が全くねえ』


 負傷者は出たが、とにもかくにも災難は去ったわけだ。車内の雰囲気は和やかなものに変じつつあった。

 バスはなだらかな坂道を上っていく。俺がスマホを仕舞って疲労に痛む眼を閉じようとすると、


「追一、寮に戻ったら飲み物奢って。喉渇いた」

「なんで俺が」

「あ、それでしたらルキが払いますです。助けていただいたお礼も、まだですので」

「いいのよルキちゃん、助けてもらったのはこっちなんだから。ルキちゃんも追一に奢ってもらいなよ」

「いえ、そんな……」

「おい、俺の負債を勝手に増やすな」

『お前の守銭奴ぶりも堂に入ったもんだな』


 堅実な経済観念と言ってくれ。


「ねえ追一、あんたってば、なんで逃げ足だけいつもいつも速いのよ。あたしの苦労とか全然判ってないでしょ。なんか納得いかないんだけど」


 サナギが話の矛先を俺に据えたまま、今度は違う武器で突いてきた。またその話か。無駄口の叩き合いになりそうなので、俺は黙して眼を閉じた。


「三十六計逃げるにかずとも言うし、逃げるが勝ちの謂もある。そうなじっては少々可哀想ではないか、狩魔よ」


 思わぬ助け船に俺は心の中で快哉かいさいを叫んだ。


「だけどさあ、少しは戦う気概きがいってのを持って然るべきだと思うのよね」

「君は項羽こうう劉邦りゅうほうの逸話を知らないか?」

「うーん、中国の話だっけ?」

「のちに漢の高祖となる劉邦だが、実際ほとんどの戦で軍に敗れていた。負けに負け、逃げに逃げ続けたのち、遂に起死回生の一撃で項羽を垓下がいかの戦にて葬り、漢王朝四百年のいしずえを築いたのだ」

「じゃあ追一が今逃げ回ってるのも、のちの偉業の布石ってこと?」

「それは買いかぶりすぎ。あまり面と向かって腰抜けだの負け犬だの言うのも、度が過ぎるということ」


 俺そんなこと言われてたか?


『負け犬はひでえ。あんまりだ。同情する』


 だって俺負けてないんだぜ? ただ逃げ足が速いってだけで、なんて言われようだ。


「劉邦のたとえはあくまで極論。歴史上、逃げ回った残党が返り咲いた例はまずない。ほぼ確実に殺されている」

「もういいだろその話は」

「そもそも〈逃〉という漢字は、骨を焼いて占うときに生じた左右に離れたヒビを表す〈兆〉の字に、足の動作を示すしんにょうを組み合わせてできた会意兼形声文字であるからして……」


『なんの話だよ。相変わらずマッドなねーちゃんだな』


 冗談抜きで頭痛くなってきた。疲労と心労のコンボだ。


「……と、もうじき着くのか?」


 取り澄ました様子でアルティアが言う。


「そうね、さすがに今日はこれで解散でしょ?」

「ああ、みんな疲れたろう。ワチキもだ。それに黒服たちが言っていた十種の神宝のことも調べておかねば」

「なんか神道っぽいよね、ネーミングが」

「世界中で呪物が盗難に遭っている件と、関わりがあるやもしれぬ」

「あの人たちがもうちょっと冷静になってくれれば、穏便に解決できたかもしれないのに。こっちがその宝を使ったとか、すっかり早合点しちゃって」

「よほど大事な呪物だったのだろう。それを十も盗まれたとあっては致し方あるまい」


 平地に出たらしく、座席の背凭れにかかっていた荷重が幾分楽になった。

 眼を向けると、やがて校門前の広々とした空き地が窓越しに見えてきて、バスは門柱に横づけに停車した。

 走り去るバスには一顧いっこだにせず、俺たちは連れ立って校門を潜った。ここから学生寮へ向かうには、一度敷地に入る必要がある。

 正面のロータリーを突っ切って右へ曲がろうとしたとき、先頭を歩いていたサナギが急に立ち止まった。


「どうした?」


 無言で振り返り、サナギは落胆したように肩を落とした。


「すんなり帰してはくれないみたいね」

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