海底海流

「それで、結局その船、輸送船だったの?」千鶴が訊ねた。


「そうだったみたい……」菜穂子はは海上を走る船など見たことがなかったので、完全に肯定することは出来なかった。


「何か役に立つも物が見つかったら良いのにね」千鶴はクリーム団子を頬張りながら言った。


「そうね。又明日出航するから、なにか出たら報告するよ」菜穂子もクリーム団子を頬張った。


「それより、お兄様とのデートどうなったの?」


「あ~っ、そうだ。あれチズちゃんが仕組んだんでしょ?」


「仕組むだなんて滅相もない。それでどうだったの?」


「そりゃ、楽しかったよ」菜穂子はちょっと横を向いて言った。


「そう、それは良かった。何か進展あった?」千鶴が蠱惑的な笑みを浮かべた。


「進展なんて……」菜穂子は言葉に詰まった。


 食事の後は家まで送ってもらった以外何も起こらなかったのだ。


「応援してるから頑張って」千鶴は菜穂子に身を寄せた。


「有難う」と、言ったものの、菜穂子は自分が章介に恋しているのかどうか疑問に持っていた。確かに章介といるとドキドキするが、今はちょっと距離を置きたく思っていた。それが何だかわからない。これは恋なんかじゃなく憧れのようなものかもしれないかなと自問していた。




 翌日、再び沈没船を捜索することになった。


 今回もチームはお馴染みの章介と麻里絵だった。潜水士も今泉を始めとするメンバーだった。


 菜穂子はヴァッサーツォイクの席に深々と座ると、オムニ・コントローラーを握りしめ、注水を待った。


 準備はいいかと尋ねる管制官に菜穂子は「アレス・クラー(全て準備よし)」と答えた。


 章介と麻里絵も「アレス・クラー」と答えた。


 今回は、前回と違い、今泉たちは酸素ボンベを担ぎ、無線をもって沈没船へと向かう事になった。今回は無線の調子がいいし、潜水夫たちをもっと自由に動けるように配慮しての事だった。ヴァッサーツォイクにしがみつく今泉たちを振り放さないように気をつけてスラスターを吹かした。


 メインモニターにはライトに照らされた海底が映っていた。赤目秋刀魚の大群がメインモニターの上を踊っていた。


 海底は今日も沈黙に満ち、音もなくマリンスノーを降らせていた。スラスターの「コーッ」という音だけ響いていた。


「───もうちょい右。一時のほうら」今泉が指示を出した。


「了解」菜穂子はスラスターレバーを操った。


 今回は、前回落としておいた水中ブイのお陰で沈没船を探すのが楽だ。


「───菜穂子、僕が前へ出る」遅れいた章介が章介が言ってきた。


「了解」菜穂子はスロットルレバーを引いた。


 章介が前へ出たきた。


 やがて一時間が経った頃。沈没船の巨体が見えてきた。右舷の大きな亀裂も見えてきた。


 ヴァッサーツォイクのスラスターを止めると、今泉達の潜水チームが展開した。亀裂から入る章介と麻里絵の潜水チーム。


「───俺達は甲板からアプローチするら」今泉が無線で言ってきた。「───俺達を甲板に上げてくれ」


 菜穂子はスラスターを吹かし、甲板に出た。


 長い甲板が広がる。甲板には五つほど巨大な蓋が被さっていた。


 今泉がその蓋の一つに取り付いた。


「───こいつを持ち上げてくれ」今泉が蓋の一つを指差しながら言った。


「了解」菜穂子はそういうと、その蓋を二本の腕で持ち上げた。そして勢いのままにひっくり返した。


 廻りから錆か砂か解らないが、ムワッと煙った。


 蓋はヴァッサーツォイクがそのまま入れそうだったが、入ると中身の荷物を踏みつけてしまうので、甲板の上に留まった。


 菜穂子は今泉たちが調査している間。暇だったので左舷側を調べてみることにした。


 するとそこは崖になっていた。沈没船は崖の上に沈んでいたのだった。


 菜穂子はスラスターを吹かし、水中に浮かんだ。


 その時、突然スラスターの一つが咳き込んだ。


 ヴァッサーツォイクが崖の下に落ちていく。しかし、菜穂子は慌てずに、生きているスラスターのスロットルを開き、体勢を整えようとした。しばしくるくる回る。


 バランスが取れそうになった時、突然脚の方で強烈な圧力を感じた。


 海流がぐんぐん流れていた。


 ヴァッサーツォイクは海中を舞った。


「きゃーーーーっ」菜穂子は叫んだ。


「───どうした菜穂子!」章介も驚いて叫んだ。


「───菜穂ちゃん?」麻里絵も高い声で叫んだ。


「きゃーーーっ」ヴァッサーツォイクがぐるぐると回った。


 海底海流だ。凄まじく強い海底海流に呑まれたのだ。


 菜穂子は必死でスラスターを動かすが、スラスターに負けない海流に流されて、体勢を整えることすら出来ない。


 ヴァッサーツォイクがぐるぐる回るので、菜穂子はコクピットのあちこちに身体を打ちつけられた。


「───菜穂子!何があったんだ!」章介たちは反対側の右舷側にいるので、菜穂子の状態が解らなかった。


「菜穂ちゃん!」麻里絵が悲痛な声を上げた。


 菜穂子は海底に叩きつけられないように必死でコントロールしようとしたが、ヴァッサーツォイクの回転が酷く速く、制御がままならなかった。


 重たいヴァッサーツォイクが流されていった。まるで海の藻屑のように。


「───菜穂…どうし……!何があった!」既に無線も届かない。


「助け……!」全部゛言い終わる前に、頭をどこかに打ち付けてしまった。気が遠くなる。


 とうとう菜穂子は気絶してしまった。


 海底海流はヴァッサーツォイクを木の葉のように連れ去ってしまった。






 ザザーッ、ザザーッ。


 波の音で眼を覚ました。菜穂子はそれが波の音だとは気付かなかった。何しろ波の音を聞くのは産まれて初めての事だったのだから。


 揺り籠のようなその音は気を落ち着かせるものがあったが、今の菜穂子には体中の打ち身の痛みの方が強かった。


「イタタタタッ」


 メインモニターはまだ生きていた。


 オムニコントローラーを動かして、ヴァッサーツォイクを座らせると、状況確認した。


 どうやら浅瀬に打ち上げられたようだ。


 太陽は高く登っていいた。。深町一丁目の太陽とは比べ物にならないほど眩しかった。空は信じられないくらい蒼く美しかった。


「しまった!」菜穂子は舌打ちをして、ガイガーカウンターのスウィッチを入れた。


 ガイガーカウンターは反応しなかった。


 おかしい。ガイガーカウンターが壊れたのか?


 それとも本当に放射能はないのか?


 空は青い。どこまでも青かった。


 放射能による粉塵で太陽が覆われることもなく、核の冬というものでは無いようだった。


 シュレーディンガーのキャットボックスを開けたのだと、菜穂子は思った。


 ふと空を見上げると、何か空飛ぶ物があった。


 あれが「鳥」という生き物だろうか?


 図書館の図鑑で見たことがある。「絶滅した生物」の中にあったものだ。


 しかし、よく見るとそれは鳥なんかより大きくて、「ブロロロロッ」という恐ろしい音をヴァッサーツォイクの船外マイクが拾った。


 飛行機だ!


 攻撃衛星に監視され、飛べなくなっていた筈じゃないの?


 飛行機はぐるりと廻ると、着陸していった。着陸した手前には工場のようなものがある。


 菜穂子はカメラをズームインして飛行機が着陸した辺りを観察してみた。


 工場のようなものには「蛇刃尻重工飛行機製作所」と書かれていた。


 滑走路と思われるものの端には何人かの人が立って話をしていた。。


 菜穂子は思い切ってヴァッサーツォイクのハッチを開けてみることにした。


 ハッチを開けようとすると「排気」の警告が出て、シューッと音がした。




 どうやら外は気圧が低いようだった。その証拠にヴァッサーツォイクのコンピューターが「高山病に気をつけて下さい」と言った。


 プシューッ


 ハッチが開く。


 磯の香りがツンと鼻に来た。


 海鳥が鳴いていた。───本物の鳥だろうか?


 とうとうシュレーディンガーのキャットボックスを開けたのだ。


 猫は生きていたい。


 人間は生きていた。


 辺りは流れが急な海だったが、早瀬のようで、水深はそれほど深くないようだった。


 菜穂子はもう一度コクピットに座ると、ヴァッサーツォイクを起き上がらせた。


 ヴァッサーツォイクの歩を進めると、水深はヴァッサーツォイクの膝辺りまでしかなかった。


 菜穂子はゆっくりとヴァッサーツォイクを記しに向けて動かしていった。


 一陣の風が舞い、何かがキラリと輝いた。

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