お月見女子会

「今日は化学の実験をしたよ」千鶴がネギ生姜味ポテチを頬張りながら言った。


「何の実験?」菜穂子が尋ねた。


「水の電離分解と再結合の実験だよ」


「じゃあ、ポーンで終わりだ」菜穂子は興味なさそうに言った。


「そう、爆発してポーンで終わり。まぁ、スリルはあったけどね」千鶴はパリパリとポテチを囓った。


 菜穂子は夕食後、今日も千鶴の家にお邪魔していた。今日の授業のノートを借りるためと章介に数学を教えてもらう為だ。


 さっきまで章介と千鶴に今日の授業のおさらいをしてもらっていたところだ。


「数学の方はどうなんだ?」章介が尋ねた。


「うーん、難しいかな」


「赤点ばっか取ってると、WZヴァッサーツォイクのパイロットクビになるぞ」


「解ってます!」


「ご飯、ウチで食べていけばいいのに」と突然、千鶴が言い出した。


「そこまで迷惑かけられないし、一人の方が気楽でいいの」菜穂子が答えた。


「遠慮はいらないよ」章介が呟くように言った。


「遠慮はしてません。こうやって授業を補完してくれるだけで嬉しいわ」と菜穂子は答えた。


 菜穂子は長谷川家とはこれ以上接近したくないと思っていた。それは章介に自分を妹扱いされそうで怖かったからだ。矛盾するようだが、ある程度距離を置くことによって自分を一人の女性として見てもらえるような気がしていたのだ。只の「妹の友達」では終わらせたくなかった。


 太陽が夕刻のオレンジ色に変わり、もうすぐ月モードに移り変わる頃だった。


「そろそろ、夕飯作りに帰るわ」菜穂子が言った。


「ウチで食べればいいのに……」千鶴が恨めしそうに言った。


「今日はラム肉のデミグラシチューよ」菜穂子が嬉しそうに言った。


「今日もお月見するんでしょ?」千鶴が尋ねた。


「うん、シチュー余ったら持ってきてあげる」


「なんだか立場が反対のような気がするよ」章介が頭を掻いた。




 チュンチュンと機械スズメが鳴いていた。


 翌日、菜穂子は登校の準備を始めていた。学生服の袴を履いた。勿論、丈は流行りのミニだ。化粧水を付けて軽くファンデーションを塗り、ルージュを引いた。


 カエルパンで軽い朝食を摂ると、長谷川家に急いだ。


「チズちゃーん、ガッコ行こう」玄関で菜穂子は呼びかけた。


「待ってー」健康食パンを咥えた千鶴が慌てて出てきた。


「章介さんは?」菜穂子が尋ねた。


「今日は一限ないんだって」


「そーなんだ」


「あ~っ、残念そう」千鶴が誂うようにそう言った。


「別に……」菜穂子が少し頬を染めて呟いた。


「さぁ、急ぎましょ。遅れるわ」寝坊したのを棚に上げて千鶴がそう言った。


 学校は深町一丁目から直接ウォークパイプで繋がれた学園都市一丁目にあった。学園都市は一丁目しかなく、そこに幼稚園から大学まで揃っていて、殆どの海底居住区とウォークパイプで結ばれていた。


 ウォークパイプは所々に丸窓が付いていて、運が良ければ深海魚を見ることが出来た。深町一丁目から歩いて二十分。そこそこの運動になる。




「昨日、社会奉仕の日だったんでしょ?」教室に入ると早速、クラスメイトの遠山佳苗が話しかけてきた。


「うん、昨日、城下蟹の大群を見たから、今日は蟹が安くなるよ」


「うわ〜、蟹なんて久しぶり」遠山佳苗は嬉しそうに上半身を上下させた。「菜穂ちゃんが蟹見つけたの?」


「うん、そうだよ」


「お手柄だねー」


 クラスは保育士と清掃員の社会奉仕をしている者を除いて全員揃っていた。


 授業は国語、ロシア語、ドイツ語に古代史と、数学だった。


 古代史はペリー来航のところで、菜穂子が好きな第二次大戦から第三次大戦はまだ遠かった。


 原爆投下と大陸間弾道弾の発射。地殻上昇計画と海底都市開発。放射能汚染と海面上昇。世界の終わりの歴史。海上は本当に瓦礫と放射能だらけの世界なのだろうか。陸上が残っていたとしても、奇形やミュータントだらけの世界だというのは本当だろうか。確かに海中の生き物は異系進化したものばかりだ。でも、放射能汚染もなく食べられる生き物で満ちている。


 本当に陸上は瓦礫だらけの世界なのだろうか。放射能に汚染され、一月も生きられなくなる環境なのだろうか。




 今日は社会奉仕はお休みだ。帰りに「スウィートハーツ」のアイスクリームでも買って、千鶴とお月見でもしよう。


 毎日のようにお月見をして楽しいのかとよく章介に揶揄からかわれるが、いわゆる女子会である。月は毎日同じ顔で、扁平な光源に過ぎないのだが、一日の終りに駄弁だべるのが唯一の楽しみだった。


 菜穂子は学園都市居住区の出入口付近にある「スウィーツハーツ」でピスタチオ味と南瓜味のアイスクリームを買うとミニ袴を翻し、家路についた。




「ねえ、菜穂ちゃん」アイスクリムを舐めながら突然、千鶴が尋ねた。


「なあに?」菜穂子はアイスクリームをのスプーンですくう」


「お兄様とはどうなってるの?」千鶴はじっと菜穂子を見つめた。


「ププーッ」思わず吹いてしまった。


「ちょっと気になって」千鶴は真剣そのものの顔つきだ。


「どうって言われても……」焦る菜穂子。


「何か進展あった?」千鶴は菜穂子を覗き込むようにして言った。


「進展ってそんなんじゃないから!」スプーンをアイスにぶっ刺して、その手を大きく振った。


「そうなの。残念だわ。お兄様と菜穂ちゃんお似合いなのに……」じっと視線を外さない千鶴。


「まいったなぁ」菜穂子は頭を掻いて、頬を染めた。「そんなんじゃないよ」


「そう云うチズちゃんは高橋先輩とどうなのよ」今度は菜穂子のターンだ。


「振っちゃったわ」千鶴は何でもないように言った。


「えっ?そうなの?」


「だってはっきりしてくれないんだもの」千鶴は手元のアイスに眼を下ろした。


「ねえ、デートは?デートに誘ったら?」菜穂子は励ますように言った。


「それが誘ってもはっきりしないの。社会奉仕活動があるとか何とか言っちゃって」千鶴はすっかり悄気げていた。


「優柔不断なのかな?」


「まっ、どうでもいいわ。斎藤くんが私に気があるみたいだし」千鶴はアイスをぱくりと食べた。


「そんな、自棄やけで付き合っちゃいけないよ」菜穂子も一匙掬う。


「そうだよね」千鶴もアイスを掬う。


「斎藤くんは告ってきたの?」


「ううん。まだ」千鶴は俯いたままだ。


「じゃあどうするの?」と菜穂子。


「様子見……」


「様子見って……」菜穂子は呆れ返った。「誰か他にいい人いないの?」


「いない」千鶴は断定した。


「それより、菜穂ちゃんこそ、お兄様とデートしないの?」ターンは千鶴に戻った。「帰りにシスティナ横丁でご飯でも食べてくればいいじゃない」


「そんな事……」菜穂子はアイスのカップを掻き回したが、カップにはもうアイスが残っていなかった。


「今度、菜穂ちゃんをお食事に誘うよう、お兄様に言っておくわ」


「やめて、やめて、チズちゃん」菜穂子は焦った。


 菜穂子は焦った。顔から火が出るようだ。耳まで真っ赤になる。


「章介さんとはそんなんじゃないから!」


 焦れば焦るほどボロが出る菜穂子だった。

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