強制偵察

「アレス クラー。イッヒ ヘーベ アプ(全て良好。離陸する)」


 勘八を載せた六十三式陸上攻撃機はゆったりと大空へ飛び立っていった。


 勘八は持ち場の右側部のキャノピーの前に座って離陸を迎えた。グンッと加速を迎え、ふわっと離陸する。着陸装置ギアが収納される音がした。


 飛行場で見送ってくれたイワノフ部長、皆藤ちはる、小島祐介の姿が見る見る小さくなっていった。


「野村さん、無理に撃たなくて結構です。近寄ってきた時のみ銃撃して下さい」伝声管から機長の今井中尉の声が聞こえた。


「了解です。撃つときは十分引き付けから撃ちます」勘八も伝声管に向かって答えた。


「味方を撃つのだけは勘弁して下さい」隣に座る左側部銃座の李少尉が一瞥すると、冗談紛れにそう言った。


「ハハハ、了解です」勘八は笑いながら答えた。


 窓からの景色は壮観だった。見る見る地上が遠くなり、雲が迫ってきた。人や建物が小さくなり、やがて判別できなくなった。


 後方を見ると、下野毛山脈の雄大な峰々が見えた。真下は荒涼とした大地が続いていた。


 六十四式戦は遥か彼方、南上空を二個の四機編隊シュヴァルムで飛んでいた。上昇力は中々だ。


「高度三千。そろそろ酸素ボンベを使用だ」今井中尉の声が伝声管から流れた。


 勘八は、ゴーグルを引き下げ、酸素ボンベのレバーを少しだけ開いた。

酸素がマスクに流れ込むと、なんだか頭が冴えてきたような気がした。隣の李少尉は余裕を見せて、まだマスクをしていなかった。




 やがて六十三式陸攻は高度八千まで上昇した。


 マスクの間から漏れる空気が白くなる。防寒飛行服を着ていてもかなり寒い。


 三時間ほど雲の上の散歩を楽しむと、前方の市街地の様なものが見えてきた。


「面舵十五度」航空図面と前方を交互に見ていた副機長コパイロット兼爆撃手の上田中尉が勘八にも聞こえるような大きな声で叫んだ」


「面舵十五度、よう候」機長の今井が答え、機体が僅かに右に傾いた。


 上田中尉が席を立ち、機底に備え付けられた望遠カメラのフィルムを装填した。


 勘八もイワノフ部長から預かった二眼レフカメラを構えた。


 高射砲や対空砲火の雨霰が下から舞い上がってきた。しかし、こちらの高度が高すぎて、届かない。


 対空機関砲は地上から放物線を描いて、曳光弾が流れていく。


 やがて、ИР四型らしき機影が上昇するのが見えた。他にもИР二型と思われるレシプロ三葉機が上昇するのも見えたが、こちらは空中退避だろう。こちらは高度七千まで登っている。六十三式がいる七千メートルまではとても上昇できないだろう。


「二時の方向、下からИР四、八機」今井機長の声が伝声管に響き渡った。


「こちらも高度を下げる』


 やっぱり高度を下げるか、と勘八は心の中でため息を付いた。


 上方を見ると、六十四式が増槽を切り離し、ИРに向かって急降下していった。


 四機とも器用に戦闘用フラップを使いこなしている。


 いいぞ、と勘八は思った。


 ИРが旋回しながら上昇している。それを狙って六十四式が火を吹く。タタタン、タタタン、と細かく刻みながら機銃を撃った。最初に一撃で三機を撃ち落とした。六十四式は操縦桿を引っ張り、再び上位につかんと急上昇した。


 垂直上昇して逃げる六十四式をИРが垂直上昇して追ってくるが、馬力負けして、先に鼻先が下がり、落下していく。そこを六十四式が追っていくが、ИРの後部銃座から火線が火を吹き、中々真後ろに点けない。


「駄目だ!後ろについちゃ駄目だ!」勘八は二眼カメラを向けながら叫んだ。


 ダダダダダダダン。


 その時、六十三式の後部銃座から銃撃音が聞こえた。どうにか追いついたИРが後ろから撃ってきたらしい。こちらも後ろに付かれたらしい。勘八もカメラから機銃に持ち替えて、敵のИРを迎え撃つ。


 バババッ、ババババババッ。


 後ろから前方に飛んでいくИРを狙うが、速くて当たらない。ИРは遥か前方に飛んで行ってしまった。


「又来るぞ!」後部銃座のコルシコフ上等兵が叫んだ。「高度が低い。シュレーゲ・ムジーク斜方射撃するつもりだ!」


「よし、取舵。逃げるぞ!」今井中尉の声が響く。「李ー撃てぇ!」


 機体が傾き左に急旋回した。李側の窓から地面が見えた。次の瞬間、ИР四型が左横に並走して見えた。


 ババババババッ。


 李の十二・七ミリ砲が火を吹く。相手も負けじと後部銃座から撃ってきた。


 ダダダダダンッ!被弾した。


 勘八の近くに三つの穴が空いた。


 と、ИРの後ろから曳光弾の火線が伸びてきた。───撃墜!


 六十四式の二編隊は高高度から煽って撃っている。頭を抑え込まれたИРは二千メートルあたりで、アタフタしている。どうやら二千メートルから三千目メートルあたりが最高速度が出るらしく、その空域で逃げている。やっぱり変わった設計だ。


「爆撃用意!』今井中尉が叫んだ。足元で爆弾倉が開く音をたてた。ウィーン。


「一時の方向、目標飛行場!」


 カシャカシャカシャカシャと搭載カメラがシャッター音をかき鳴らす。


 ドーン、ドーンと高射砲が破裂する。振動波で機体が揺れる。


「取舵十度」今井中尉が呻くように言った。


「取舵十度よう候」上田中尉が復唱する。「そのまま、そのまま」


 機内はエンジン音の轟音のみ。後はシーンとしていた。


「投下!」上田中尉の声とともに三発の百キロ爆弾が落ちていく。


 ドンドンドンと三発の爆音が下方で響き渡り、小さく見える飛行場の中心に三つの穴を穿った。やや左にズレたようだが、概ね爆撃は成功したようだ。そんな中で搭載カメラはまだシャッター音を打ち鳴らしていた。


 対空砲火が急に激しくなった。火線を六十三式に集中させている。


「帰還するぞ。取舵いっぱーい」今井中尉が叫ぶように言った。


 機体がぐるりと左旋回し、上昇していった。


 戦闘機隊も戦闘をやめ、高高度に避難した。


 隊長機が近寄ってきて、無線報告をした。


「敵機、六輝撃墜。こちらも二機やられた。三機が被弾したが、航行には問題なし」


 上空を見ると三機の六十四式が薄っすらと煙を曳いて飛んでいた。


 六十三式も被弾した。李少尉が左腕に怪我をし、コルシコフ上等兵と上田中尉が止血と応急処置にあたったが命に別状はないだろう。撃墜された二機の様子が不安だったが、考えても仕方のないことだと、勘八は自分に言い聞かせた。


 帰りの飛行は順調だった。ИРが送り狼になることもなかったし、高射砲や対空砲が届くこともなかった。


 七機はそそり立つ下野毛山脈に向かって飛んでいった。


 窓から上空を眺めると蒼天を背景に六十四式戦闘機が編隊を組んで飛んでおり、その姿は北へ帰る渡り鳥のようだった。




 翼から飛行機雲がたなびいていた。

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