蛇刃尻重工飛行機製作所

居酒屋珉珉

「代用ビールひとつっ!」野村勘八は空のビールジョッキを掲げて叫んだ。


 勘八の声は、闇市を居抜した大衆居酒屋「珉珉」の喧騒にかき消されそうだった。珉珉の壁には所狭しと品書きが貼られていてメニューの多さを誇っていた。。


「ハイッ、生一丁!」と店員が厨房に叫んだ。代用ビールでも生は生なのだ。


「だから、合成メタンじゃ駄目なんだって!」勘八はそのままの声で怒鳴ると隣の小島祐介の肩を組んだ。


「でも樹液燃料は西の燃料だし……」小島祐介は上司に肩を組まれ、嫌そうにそれを外す。


「でも、樹液燃料はすぐそこにあるじゃねぇか!」勘八は東と思われる方向を指差した。


「でもそれじゃあ下野毛山脈のこちら側じゃないと燃料補給が出来ませんよ」


「西の奴らはもう噴射エンジンを開発してるんだぞ。噴射エンジンだ!」


「でも、西の技術力は不安定ですからねぇ」


「で?そのИРイーエル四型つてのは速そうだったのか?」イワノフ部長が手酌で大和酒をお猪口についで飲んだ。となりの皆藤ちはるが慌てて部長の杯に酒を注ぐ。


「設計はさっぱり駄目です。ずんぐりして、主翼も葉っぱ型だし、三人乗りのシロモンです」


「実際、飛んでるとこも見たことないんだろ?」とイワノフ部長。


「組み立てたのを見ただけで、本社からこちらに異動になりました」勘八はツノイノの唐揚げをパクっと咥えた。


「なら真偽の程は判らないって訳だね?」イワノフ部長は帝王イカ天を箸で摘んだ。


「ですがね、部長。奴ら『お助けシステム』なんていう装置を使ってて、それでオートマチックで操縦できたり、操縦をサポートしてくれたりするらしいんですわ」


「『お助けシステム』?何だそりゃ?」とイワノフ部長はもぐもぐと帝王イカ天を咀嚼した。


「昔のコンピューターのような物らしいんですが、なんでも人間や鳥の脳味噌を使ってるそうで……」


「人間の脳?」小島が素っ頓狂な声を上げた。


「なんでもな、政治犯や捕虜の脳味噌を使ってるって話だよ」勘八は声を潜めて言った。


「おお、怖っ!」小島とイワノフ部長が同時に悲鳴を上げた。


「西の奴ら相変わらず酷いことしやがるなぁ」イワノフ部長はしかめっ面を作った。


「それ、私も聞いたことがあります」勘八の部下、皆藤ちはるが言った。「機械や鳥に人間の脳を詰めて、代わりに人間の体に動物の脳を入れるんだって」


「なんであいつらそんな酷いことするんだろう?」祐介が気味悪そうに言った。


「ウチラが使ってる『バーム』だって、元は西側の兵士だろ?」と勘八。


 バームとは元々西政府が作った大柄な人造人間で今は東側でも土木工事等に使役されていた。


「いずれにせよ、奴らに捕まりたくはないな」そう言ってイワノフ部長は杯を傾けた。


「飛行機のエンジニアの脳味噌は何に使われるんだろうか?」勘八は誰に言うともなく呟いた。


「はーい生一丁!」「と店員が元気よく代用ピールを勘八の前に置いた。


 蛇刃尻重工飛行機製作所は二本の滑走路を有する広大な敷地内にあった。


 格納庫には単座の複葉機が五機、単葉機が二機、五人乗りの双発爆撃機が二機駐

 留していた。五十九式戦闘機、六十二式艦上戦闘機、六十三式陸上攻撃機の三種類だ。


 何れも合成メタンだで動くものだが、そこらへんの車に使われている合成メタンではなく沸点の極めて低い、圧縮合成メタンだ。発動機もレシプロ式のエンジンだったが、施設の片隅では新型のラムジェットエンジンの開発がされていた。



 バン、バンバン、バババババッ!



 ラムジェットエンジンが轟く。


「出力アップ、酸化剤混入!」ヘッドセットをした勘八が祐介に向かってエンジン音に負けないように叫んだ。


「出力上昇、酸化剤投入!」祐介も叫ぶ。


 その横でラムジェットエンジンに接続させた計器を見下ろしながら、皆藤ちはるがバインダーに挟んだ書類に何かを記入していた。屈むとその大きめの胸が強調される。


「出力、五十、六十、六十五……」ちはるが数値を読み上げる。


「発動機停止!」勘八がそう叫ぶとエンジンが停まった。「六十五で目一杯か……」


 野村勘八は悩んでいた。


 開発中のラムジェットエンジンの調子が良くないのだ。


「やっぱ、駄目ですか?」祐介が勘八に訊ねた。


「ああ……」


「酸化剤を増やしたらどうですか?」


「酸化剤を増やしても一緒だ」


「やはり、燃焼室に問題があるんでしょうか?」


「多分そうだろう。一からやり直さなきゃ」勘八はため息を付いた。


「報告書を書いておきます」ちはるがバインダーに何やら記入しながら言った。



 三機の戦闘機が滑走路から飛び立っていった。三機は同じ、単座式単発単葉機で固定脚の機体だった。キ‐十型、六十二式艦上戦闘機。東政府の主力戦闘機だ。勿論、レシプロ発動機だ。


 勘八はその光景を喫煙コーナーで見ていた。カワセミタバコを胸のポケットから取り出し火を点ける。


「東の肘折半島に納品される機体ですかね」勘八の横でタバコを吸わない祐介が暇そうにその姿を追う。


「東の外国を警戒してるのさ」間八は紫煙を吐いた。「外国の船なんか先の大戦以降、現れたことなんてないのにな」


「どこの国も自分の国の内戦で手一杯で外国に干渉する暇なんてないんでしょうね」祐介は片手で眼鏡を擦り上げた。


 三機は小島が予想した通り肘折半島の海軍基地に納品される機体だった。海軍は地殻変動作戦で隆起した肘折半島に空母を構え、そこを航空隊基地とした。陸軍が駐屯する大顔地区には、もうそろそろ時代遅れとなった五機の複葉機の戦闘機が主力戦闘機として配備されるほか、爆撃機が二機と開発中の単葉機が二機しか配備されていなかった。


 肘折半島よりこっちの方が西政府の領地に近いのに、どうしてこっちに基地を置かないのかと勘八は訝しんでいた。所詮下野毛山脈からこっちは陸軍が顔を利かせているのだ。せめて陸軍が航空隊を持ってくれたら良いが、そうなったら陸軍省と海軍省との確執に挟まれて自分は大変なことになるんだろうなと思った。


 野村勘八は悩んでいた。


 西政府の戦闘機は木の根と、踊り菩提樹の油を精製したと思われる油で飛ぶらしい。その航続距離は恐ろしいほど長いと思われた。ひょっとしたら下野毛山脈を超えて首都まで飛べるかもしれない。速度も少なく見積もっても四百キロ弱は出るだろう。そんなことは許されない。東の主力戦闘機は三百キロを出すのが目一杯だ。西政府に対抗するには、なんとしてでも時速五百キロ以上出せる迎撃機を造らなければならなかった。それ以上にこの国境地区から首都まで飛べる機体が欲しかった。あの下野毛山脈を越えて首都まで辿り着ける航続距離と航行高度がとれる機体を。


 突然、勘八達の「新エンジン開発チーム」の隣りにあるロケット開発チームがロケットエンジンの始動実験を始めた。


 耳を突くざくほどの轟音が響き渡った。勘八たちよりこちらのチームの方が先に結果を出しそうだ。



 三機の単葉機は飛行場の上空をくるりと一周りすると、東の空に向かって編隊ケッテを組んで飛んでいった。


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