28 女・教・師

 ――螺旋奥義ドリルアーツ魔破斗摩マハトマ


 それは、ヘレナ=ブラヴァツキーが独自に編み出したドリル戦闘技術体系である。


 われわれ地上人類が肉体や運動の構造を識ることでやわらや合気を、経絡を明らかにすることで気功の術理を編み上げたように、地底ではドリルを自在にする奥義が生み出されたのだ。


 遡ること一万二千年前。

 地底史上最強の大螺仙ダイラセン“ムー”に師事した彼女は、ラ=ズのみが備える戦闘器官バトル・オルゲン“ドリル”の力を最大限に発揮するすべを会得した。

 マハトマはドリルの回転速度スピード回転強度トルク削撃力パワーを意のままに操ることで、自身の外側に在る現象をも自由自在とするという。


 先の顛末において、ヘレナはマハトマの片鱗を披露。

 そして彼女は虎珠に言った。


「ダイラセンと対峙するならば、完全なるマハトマを体得せよ」と――――



「てなわけで、はいよ」


 ヘレナから水の入ったバケツと雑巾を押し付けられて、虎珠は思わず「はぁ!?」と抗議の視線を向けた。


「坊やはあたしに負けたんだから、大人しく言うことを聞く。それがいっぱしのラ=ズってモンだろう?」

「俺がのはマハトマの特訓をやることだぞ」

「だから、まずは道場の掃除からさね」

「道場って言うかうちの本堂だけどね。あ、ついでに庭の掃除と洗車もやってもらえないかしら?」


 彰吾は剃刀かみそりを手に洗面台の鏡と向き合ったまま口を挟んだ。


所場ショバ代としちゃ妥当だね。お安い御用さ、ワックスがけもやらせよう」

「お前ら、俺を良いように使うんじゃねえ!」


 雑巾を振り回して文句を言う虎珠を見下ろし、ヘレナは頰にかかる黒髪をかきあげた。


「勘違いさせちまってるようだから説明するよ。いいかい虎珠ぼうや


 ヘレナの声色が真剣味を帯びたのを察し、虎珠も大きな目を彼女にじっと向ける。


「掃除ったって普通にやるんじゃない。今からあたしが教える腕の捻り、足運びの通りに動くんだ。お堂と庭の掃除も、決められた経路を辿ってやってもらう。今日だけじゃない、これから毎日欠かさずね」

「なるほど、体で覚えさせるってワケ?」


 傍らで聞いていた彰吾は膝を打つが、当の生徒とらたまはいまひとつ合点がいっていないようであった。

 ヘレナは身をかがめ、三頭身の大きな頭を傾げる虎珠に重ねて言った。


「ドリルを回すってのはね、アンタの肩から生えてるをただグルグルやるだけじゃあないんだ。いいかい、“回転”は万物の理。この宇宙せかいそのものだって、回転によって創られているんだ」

「宇宙が、作られている……?」

「今はわかんなくても、頭に叩き込んでおきな。ってことなんだ。魔破斗摩マハトマの修行を続ければ、アンタにも理解できるようになるよ」

「俺にも――」

「そうさ。できっこないと思うかい?」


 ヘレナの言葉が何を意味するのか、今の虎珠には理解ができない。

 しばらくうつむき黙り込み、彼女が口にした“宇宙せかいを創る”という一節フレーズを何度も反芻した。


 それから、大きな頭を横に振り「ガラじゃねえな」と自嘲して。


「何を言ってんのかちっとも理解かんねーが……ヘレナ=ブラヴァツキー、が“本気”だってことだけは分かる。上等だ、やってみせようじゃねえか!」


 *


「失礼しまーす」


 旭はお決まりの挨拶と同時に保健室の扉を開けた。

 体操着の半ズボンから露出した右の膝から、赤い血がにじんでいる。

 特訓のため川鋼寺に泊まり込むことになった虎珠のことが気がかりで、考え事をしながら体育の授業を受けていたところ転んでしまったのだ。


「いらっしゃい。どうしたの?」


 上の空で保健室に入った旭は、不意に返ってきた若い女の声に呆然とした。

 彼の知る養護教諭ほけんのせんせいは、祖母と同年代のはずである。

 それが――


「犀川先生は? おねえさん、誰」

「あら、“おねえさん”。うふふ」


 ルージュで潤む口元を微笑ませ、女は旭の前に椅子を持ってきた。


堂本どうもと里美さとみです。犀川先生は入院することになってね。今日からしばらくの間は、私が保健室の先生よ」

「あ、はい……」


 ――だ。


 旭の語彙ではそう表現するしかなかったが、里美は夕季やヘレナとはまた違った雰囲気の女性であった。


 一言で言えば、性的セクシーな魅力のある容貌である。

 セミロングの髪をアップスタイルにまとめ、和風の顔立ちに細いフレームの眼鏡が似合っている。白衣の下のブラウス越しに豊かな起伏がよくわかる。短めのタイトスカートから伸びる脚を覆うタイツが部屋の照明をてらてらと反射していた。


 里美は丸椅子に旭を座らせ、自分も向かい合う。

 距離が近い。

 ブラウスの襟元にのぞく胸元の谷間から、むせかえるような艶気が香ってきた。

 もし旭がもう少し成長していたなら、特濃の“色気”にたまらなくなっていただろう。


「すりむいてるのね。痛いでしょう」

「うん」

「消毒するわ。しみるけど、ちょっとだけ我慢して」

「うん……」


 旭の胸が早鐘を打つ。

 どうして自分はこんなにドキドキしているのか。

 思春期未満の少年には訳がわからず、目の前の“せんせい”の声にとにかく頷くだけで精一杯であった。


「はい、おしまい。我慢できたね。さすが男の子、えらいわ」

「あのっ……あ、ありがとうございました!」


 処置が終わるなり、旭は慌てて立ち上がり足早に保健室を立ち去った。


「穿地――旭くん、ね。キミのこと、もっと知りたいな」


 急ぐ必要もないのに走っていく旭の背中を見送って。

 里美の美貌に、妖艶な笑みが浮かんでいた。


 *


「ほらほら! 経路コースがズレてるよ!」

「ブロロロロロロロ!  ブゥーン、ブゥーン!」


 ビークル形態の濤鏡鬼とうきょうきに跨がったヘレナが、採石場を蛇行しつつ虎珠を追い回す!

 野外訓練(鬼ごっこ)が開始してから、かれこれ一時間が経過。

 ヘレナの足として使われている濤鏡鬼は、いやな顔ひとつせず。むしろであり、普段よりエンジン音が軽快であった。


「てめーっ、濤鏡鬼!  あとで覚えてろよ!」

「無駄口叩いてんじゃない!」


 全力疾走しながら振り向いて濤鏡鬼を睨む虎珠へ向け、ヘレナは小石を投擲。


「痛ェ!?」


 無造作に投げられた石は異様な速度で直進し、拳銃の弾丸すら跳ね返す虎珠の後頭部にめりこんだ。ライフル弾並みの貫通力である。


魔破斗摩マハトマ・トルネード投法」


 ヘレナはそう言って、虎珠をビシと指差しウィンクを決めた。


「チクショー!」


 特訓はこの後、更に二時間続いた。

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