それぞれの生というかたち

「夫のちんぽが入らない」なんと卑猥でふざけたタイトルの本であろうか。手に取るのも躊躇してしまう。しかし、タイトルに対して、装丁は美しく、芸術的である。中身が気になるではないか。本屋で気になって、でも恥ずかしくて買えなかった。連日ツイッターで話題になっていて、やっぱり読んでみようと再び本屋を訪れた。異国の地の本屋である。売り切れていた。そのタイトルを口に出して取り寄せてもらうのは気が引けて、その日は泣く泣く家路についた。気になりだしたらそのことばかりが頭に浮かび、もうそれを手に入れなければ安心できない性質なので、困ったものだ。オンラインでオーダーしようとするが、セキュリティが安心できないサイトだった。以前取り寄せてもらった時に使ったメールに返信という形で、問い合わせてみた。電話でもない、口頭でもない、メールという便利な存在。卑猥な言葉を口に出さずに済む。しかし、文章という形になって残る。これもまた何の辱め?と思う。そんなこんなしていて、昨日届いた本を取りに行った。長い旅路であった。


いつもは地下鉄一本で行ける場所なのだが、その日は三駅ほど修繕中で、一度バスに乗り換えなければならなかった。ハリウッドの週末は道が混んでいる。五分で行ける場所も三十分かかる。歩いたほうが速いのではないかと思ってしまった。そしてようやく目的地の駅について歩いていたら、今度は靴底が外れてしまうではないか。この間古着屋で一目惚れして、二ドル九十九セントで買った厚底のつっかけである。泣く泣く髪を縛っていたゴムを外し、つっかけに巻いてみるも、うまくいかない。ホームレスのおっさんがじろじろ見てくるので、靴が壊れちゃったと笑顔を振りまくも、無視である。信号が変わったので、私はつっかけを脱ぎ、裸足で駆け出した。ああ、灼熱の季節でなくてよかった。アスファルトはちょうどよい暖かさで、健康器具みたいに私の足裏を刺激する。入ったスーパーでアロンアルファもどきを二つ購入して、ベンチに腰掛けアロンアルファもどきを靴底に注ぎ、くっつける。すごく頑丈にくっついた。これで一件落着である。こうして私は長い長い旅を終え、晴れて「夫のちんぽが入らない」を手に入れたのである。


帰りの電車の中で、貪るように読んだ。外国の良いところは、どんな卑猥なタイトルの本でも周りの目を気にせず堂々と読めるところだ。半分自分の事のようで、すらすらと脳内に入ってくる。ズカンとくる。フラッシュバックだ。ヒステリックな母、自分よりかわいく、できる妹、引っ込み思案な幼少時代、死のうと思っていたこと、自分の病気、連れの病気、それでも生きているということ。ああ、事実は小説よりも奇なり、というけれど、自分と同じように考えて、自分と同じような事が人生に起きて、でも違う問題も多々あって、全てが同じではないけれど、でもそういう人間がこの世の中には沢山いるんだと思えて、あなたは一人ではないのですよ、と包み込まれている気持になった。あまりにも純粋で、こだまさんが少女のように思えた。


私も結婚なんてできないと思っていた。子供もほしくなかった。死のうと思っていた。人間の暖かさが怖かった。でも、なんとなく出会った人と結婚して、なんとなく子供ができて、なんとなく生きている。時々むなしくなる。夫婦関係もあいまいだ。お互いを干渉せず、好きなことをする間柄だ。こだまさん達夫婦のいう兄妹の様な感覚なのかもしれない。家族とは、そんな感じだろうと思っていた。一時期干渉し合いすぎて、ベティブルーも真っ青な修羅場を幾度も体験した。あの場所には戻りたくない。今のこの状態が心地よい。しかし、こだまさんのところの夫のように、うちの連れは最近ちょっとおかしいのだ。病院に連れて行こうとすると、こだまさんのところの夫のようにすんなりとはいかない。もともと精神的に病んでいる人間が多い家系である。薬漬けになるのが怖いのだろう。それとも、まさか自分がそうなるはずはない、と認めたくないのかもしれない。でも、一番困るのは周りの人間だ。でも本人が行きたくないのだから、強制はできない。だから泳がせているのだ。怖くはない、と言ったらうそになる。でも、わくわくしている。困難や、逆境は、私にとって、宝物だ。


こだまさんは子供を作ろうとしたが、やはり無理だった。私もこだまさんのように、ヒステリックだった母親のように自分がなるのではないかと、子供がほしくない時期があった。今子供が二人いる。私も時々母のようにヒステリックになっている。ああ、血って争えないなと思ってしまう。だから、あの頃は理解できなかった、母の心の内が少し理解できるようになったのかもしれない。母もまた色々な事に悩み、傷ついていたのだ。そう思うと、母の心の闇は自分のと比べると、すごく深いもののように感じて、母をはじめて人間として見れるようになった。それまでは、魔女とか、鬼だとか、そういう類のものだと思っていた。


どんなにちっぽけな存在の人間だろうが、あなたと同じように感情や心をもって生きている。それぞれのレベルで見れば、その人間が、その人間の映画の主人公なのだ。それぞれ悩み、苦しみ、ちょっと喜んで、泣きたくなったりする。月に感動したり、おいしいものを食べて嬉しくなったり、ちょっと気の合う人間を見つけてうつつを抜かしたりする。みんな人間なのだ。それぞれの次元で生を全うしているのだ。


そんなちっぽけな人間をこの本は暖かく包み込んでくれる、母親や女神さまのような本だ。こだまさんは、全国の悩み多き人間を子供を諭すようにやさしく包んでいる、おおきなおかあさんだ。


ほら、あなたも「夫のちんぽが入らない」が読みたくなった!

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