第16話 すばらしいおうちでのできごと

 次の日から、よくよく見ていると、中尉の殺しているのは死が確定している『物』に限られていた。

 そして私の記憶の中を思い返してみてもそれは同じだった。

 この世にこの様な人がいた。

 私は本当に嬉しかった。

 実習後の法律の勉強の時間も楽しみになってきた。

 しかし、どうして毒入りの物を食べさせているなどという噂がまかり通ってしまっていたのだろう? 

 やはり日頃の仕事ぶりからこの様な事を堂々とやっていても誰も疑わなかった、という事だと思う。

 それは納得のいく理論だった。

 現に私もそう思っていた訳だし。


 午後三時前の暖かな日差しが入る上月中尉の個室で、書類の作成を手伝っていたが、今日の分はいつもの様にもう終わってしまった。

「じゃあ、この後は法律の勉強をしましょうか。その前に」

 そう言って中尉はクッキーの入ったバスケットを私の前に置いた。

「コーヒータイムにしましょうか」

「じゃあ自分お湯沸かしてきます」

 私はコーヒーを飲みながら中尉と他愛もない話をするこの時間が、何よりも楽しみな時間となっていた。


 上月中尉と他愛もない話は出来る様になった。

 川内大尉の五股がばれて、四股になったと思ったら、どういう訳だか全員にばれて彼女がいなくなった話とか、川内大尉と高雄中尉が斎藤少佐のキープしていたボトルを勝手に飲んでいたら本人が入店してきてしまって、宮田大尉が飲んでいいと言っていたので飲みました、と嘘をついて事情が解らない宮田大尉が後日怒られた話とか、斎藤少佐の車に川内大尉がマジックで絶倫結婚チャンスカードと落書きをしたら、実はその車が斎藤少佐の物では無く、国家貢献センター長上田少将の物で大問題になった事、等の話は出来る様になった。

「あの人はしょうがないですね」

 それを聞いてクスクスと笑う中尉の顔は可愛らしく、自分の事をあまり語らず聞き上手なので喋り易く楽しかった。

 しかし私の目の前のこの人は一体どういった人なのだろう。

 多分世間で思われているただの快楽殺人者では無いと思う。

 そしてそれを知っているのは日本共和国内で私一人だと思う。

 そんな中尉の事も聞いてみたかったので、

「ところで中尉殿は勤務終了後や休みの日は何をしているのですか?」

 思い切って聞いてみた。

 コーヒーカップを持ちながら動きを止め、不思議そうにこちらを見る上月中尉。

「いや、中尉殿は衛兵将校なのに派手に遊びに行くでも無く、職務に忠実であり、息抜き等はどうされているのかと思いまして」

 私がそう言うと中尉は少し考える仕草になった後、

「衛兵親衛科の居合道場に行く他は特に何も。お家が大きすぎるのでお掃除位ですかね」

 そう返してコーヒーを飲んだ。

 衛兵将校なのに休日どこにも行かないのか。

 不思議になり更に聞いてみる。

「あまり外出などはされないのですか?」

 私の問を聞いて、コーヒーカップを置く中尉。

「私が外出すると街中の楽しんでいる人達に余計な緊張感を与えてしまって、お店にも迷惑がかかってしまうでしょ」

「いや、そんな事は……」

「例えばこの髪、美容室に行った時の話ですが」

 ここで言葉を切ると、思い出した様に少し笑った。

「いつも同じ所に通っていたのですけど、担当の方が私の噂を知ってしまったのでしょうね。ある日から急に物凄く緊張する様になってしまって。店内の他のスタッフさん達も私が入店した時に固まってしまって。担当の方はずっと震えていてカットの時間も倍以上かかるし、何だか申し訳なくて。それから美容室には行っていません」

 長すぎる中尉の髪は、悲しい理由からの物だった。

「それにね、これだけ長い髪だと目立つし、この髪の長さの時にポスターになったでしょ。街を歩いていても結構私だとわかるようで、余計な緊張をさせない様に買い物もセンター内の購買で済ませる様にしています」

 そして中尉は私を見て、

「東日本で言うところの引きこもりですよ、私は」

 笑いながら言った。

 衛兵隊と自宅の往復の日々。

 居合も業務に必要だから行っているのであろう。

 衛兵隊内で世界が終わっている上月中尉。

 その姿は病院で世界が終わり、病院で人生が終わってしまった美沙と重なってしまった。

 一つ提案をしてみる。

「中尉殿、私は髪を切るのが得意であります。勉強を教えて頂いているお礼にお好みの髪型にして差し上げます。そうすれば外見も変わり外にも出易いのでは」

 目を大きくして、こちらを見る中尉。

 髪飾り一つであれだけ迷う人だ。

 髪にこだわりがあるに違いない。

 素人で腕前も解らない私の申し出を受けるかどうか。

 考える様な仕草になった中尉。

 そんな中尉に、

「衛兵隊将校だと思われなくなる様な髪型にする自信があります」

 こんなとんでもない事を言ってみた。

 そのとんでもない言葉を聞いた中尉は笑いながら、

「では、お願いしても宜しいですか?」

 楽しそうにそう答えてくれた。


 衛兵将校で勤務成績が優秀な者は一軒屋と高級車をプレゼントされる事があるが上月中尉も少尉時代に頂いたとの事で、広島の外れの方に大きな家を持っていた。

 中尉の運転する白塗りの高級車は、それが三台は入るであろう大きな駐車場に停まった。

「着きましたよ、山本君」

 大きな家、大きな庭、衛兵隊将校の家はこうだ、と言わんばかりの立派な家。

 千坪はありそうな、よく手入れの行き届いた庭を見ながら家の中へ招かれた。


 中に入る。

 よく掃除は行き届いているが何も無い。

 家具や調度品の類は殆ど無かった。

 リビングに案内されるが、やはり殆ど何も無い。

 そこらじゅうに置物や高そうな家具、絵画が飾ってある川内大尉の家とは大違いだ。

「何も無いでしょ」

 二階からイスと首に巻く布を持ってきた中尉が、恥ずかしそうにはにかみながら言う。

「いえ、よく片付いていて良いと思います」

 大真面目に答えると、楽しそうに少し笑ってくれた。

 中尉は何も無い大きなリビングにイスを置き、布を首に巻くと、

「では、お願いします」

 そう言って目を瞑った。

「では始めましょう、ってこの布」

「はい、衛兵将校用のマントです。適当な布これしか無くて」

 二人で声を出して笑ってしまった。

 中尉の髪を撫でる。

 黒いうるしを塗った様な、艶やかな漆黒の髪。

 その綺麗すぎる髪に、

 チョキン

 一切り目を入れた。


 チョキン、チョキン

 広いリビングにハサミの音。

 大きなリビングのガラスに映る中尉の姿を見ながら丁寧にハサミを入れる。

 静寂の中、中尉の息遣い。

 その二つの音はとても心地が良かった。

 その静寂を止める様に、

「山本君、随分と手慣れていますね。この技術はどこで?」

 中尉が話しかけてきた。

「妹にやってあげていたのです。随分怒られながら、次第に上達していきました」

 昔を思い出しながら語る。

「まあ優しいお兄さん。妹さんは今何をされているのですか?」

「私が殺しました」

「えっ?」

「国家貢献指導です。長期の病人でした」

 再び沈黙の時間が流れる。


「国の為?」

 しばらくして中尉が小さな声でそう囁いた。

「厳密には自殺です。わが国で法律違反の自殺。だけど私の拳銃で自殺したので。その後、私が、わたしが……」

 堪えきれず少し涙を流してしまった。

「辛かった事を聞いてしまってごめんなさい」

 それを察したのか中尉が謝る。

 国家貢献指導で泣くとは何事か、位言ってくるのが衛兵将校なのだが、衛兵隊で最も恐れられている一人であるはずのこの人は、その事に対して謝る。

 よし、聞いてみよう。

「国家貢献指導って何なんですかね」

 衛兵隊に聞かれたら大変な事を聞いてみる。

「本当に何なんでしょうね」

 意外な、内心こう返ってくるのでは、と思っていた通りの答えが返って来た。

 まさかこの様な会話が、私達の間で交わされていようとは、この家の外にある世界では知る由もなく。

 

 一時間近く切っていたであろうか。

 ようやく切り終えた。

 中尉の髪は肩にちょっとかかる位の長さになり、前髪を揃えたせいか可愛らしい中尉の顔は更に可愛らしく、そして少し幼くなってしまった様に思う。

 とにかくイメージチェンジは大きく出来た。

「はい終了です。頭を洗ってきてはいかがですか?」

「ありがとうございます。何だか別人みたい」

 ガラスに映る自分の姿を見て、満足気な中尉は立ち上がり、

「頭洗ってきますので、私の部屋でテレビでも見ていて下さい。お夕食作りますので食べていって下さいね」

 可愛らしい顔と髪型で言う中尉は、本当に可愛らしく笑っていた。


 案内された中尉の部屋。

 その部屋の中もそれ程物が無い。

 タンスが一つと本棚が一つ、ベッド、テレビと机が一つ。ウォーキングクローゼットがあるから整理がしやすいのかもしれないが、それにしても物が無さ過ぎた。

 テレビを見ながらぼーっとしていると、ふと机の上に目が行った。

 写真立てがあり、よく見ると男女が二人仲良く肩を組んで笑っていた。

 手に取って見る。

 男の人の方は見た事も無い人だが、ポニーテールにしている女の子の方は明らかに上月中尉だった。

 彼氏がいるのか。

 意外な感じがして、写真立てを見つめていると、

「頭が軽くなりました。ありがとうございました」

 意気揚々とシャワーから帰って来た中尉が、良い香りと共に部屋に入って来た。

 慌てて写真立てを戻す。

 上月中尉はそれを咎める事も無く、

「素敵でしょ」

 笑いながらそう問いかけてきた。

「そうですね、スマートで格好良くてお洒落で。彼氏さんですか?」

「いいえ、婚約者です」

「それはそれは、とてもお似合ですね。美男、美女で」

「美女の方はどうかなぁ」

「彼氏さんは何をやっている方ですか?」

「私が殺しました」

「えっ?」

「国家反逆罪でした」

 そう言うと、髪の毛をタオルでふきながら俯いた。

「そうでしたか」

 私はそう言った後、何か慰めの言葉が無いか探したが、こういう事にはそういうものが無い事は私が一番理解していた。

 その様子を察してか、

「頭洗ったら更に軽くなりましたよ」

 そう言って急におどけて見せる中尉の傷は、深い物に違いないと感じる。

 きっと事情があったのだろう。

 そしてそうであってくれ、と願った。

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