19. 偶然の確率

 翌朝、私はお父さんに食べさせるため、タッパーに入ったお粥を電子レンジで温めていた。

 昨日、お父さんが目覚めて病院から戻ったあと、崇さんが食べやすいようにとお父さんのご飯を作りに来てくれたのだ。

 昨日の昼は普通のお粥に梅干しや白菜の浅漬けを遅めの時間に、夜は芋粥で、今日の朝は鶏肉の入った中華風だ。


 温まるのを待つ間、私の頭は昨日のことを思い返していた。

 昨日は慌ただしくて深く考えられなかったけど、こうして冷静になると、崇さんはどうしてショッピングモールにいたんだろう。


『偶然……というと嘘になるけど』


 崇さんのあの言葉はどういう意味なんだ。

 偶然なわけはないと思う。崇さんの自宅がどこか知らないけど、家から離れた場所で偶然会う確率なんて、きっとものすごく低い。

 偶然でないなら、お父さんからショッピングモールに行くことを聞いていたのかな。

 だとしても、どうして崇さんもその場に行く必要があるの?


 グルグルと考え込んでいると、チンと音が鳴ってハッとする。温め終わったようだ。

 別の器に移し、レンゲを付けてお盆に乗せると、2階に上がってすぐのところにあるお父さんの部屋へ向かった。


「お父さん、起きてる?」


 部屋をノックして声をかけると返答があったので、扉を開けた。

 お父さんはベッドの上に体を起こしていた。


「おはよう、茜」

「おはよう。お粥、食べられる?」

「ああ。胃を壊したわけでも熱があるわけでもないからな。そろそろ普通のご飯も食べられると思う」

「そう。それなら、今日も崇さんが来るから、直接伝えて」


 私はお父さんにお盆を手渡した。お父さんはそれを膝にのせる。


「そうだな。ありがとう」

「ううん。お昼の分のお粥も冷蔵庫にあるから、温めて食べてね。あと……」

「あと?」


 お父さんは顔を上げて私を見た。


「あー、ううん。なんでもない。私は学校に行ってくるから」

「ああ、行ってらっしゃい」

「……行ってきます」


 部屋を出た途端、ため息をついてしまう。

 崇さんがあそこにいた理由をお父さんに聞こうかと思ったけど、できなかった。まだ二人で話すということ自体に慣れてなくて、言葉がうまく出てこないんだ。


 私は1階に下りると、鞄を持って家を出た。

 すぐに、「おはよー」と真衣から声がかかる。

 門扉の向こうで真衣が手を振っていた。


「待っててくれたんだ。おはよう」

「ちょうど家を出たとこなの」

「そっか」


 私たちは並んで歩き出した。

 家が隣、学校も同じということで、都合が合えば一緒に登校している。

 だいたい同じ時間の電車に乗るようにしていて、家の前や駅で会えばそのまま一緒に、その電車に間に合わず会えなければ別々に、という感じだ。


「で、昨日、おじさんと出かけたの?」


 真衣は聞きたくて仕方ないという顔で尋ねた。


「うん、ショッピングモールに連れて行かれたんだけど……実は、お父さんが倒れちゃって」

「えっ、なんで?」


 真衣は足を止めて、私に向き直る。


「過労だって」

「過労。おじさん、いつも家にいないもんね。その間ずっと働いているなら、そりゃ倒れるか」

「うん、そうなんだよね」


 私は笑おうとして、うまく笑えなかった。


「私、お父さんが仕事って言って家を空けている何割かは、仕事もないのに帰ってこないのかと思ってた。本当にそこまで働いてくれているなんて思わなくて……お父さんのことを全然知ろうとしてなかったし、お父さんの体を気遣えてなかったなーって思い知った」

「茜……」


 真衣が哀れむような目をしたので、私は努めて明るい声を出した。


「でも、今日明日と仕事は休みもらったみたいだし、大丈夫。食事も崇さんが協力してくれるって言うから、外食じゃなくて、できるだけ家でちゃんとしたご飯を食べてもらうの」

「崇さんが? 昨日の今日でもうおじさんのこと知らせたの?」


「あー……というか、昨日、お父さんが倒れたときに偶然、崇さんが居合わせてね。それで救急車を呼んでくれたり、病院に付き添ってくれたりしたの。私はパニックなっちゃって何もできなかったから、すごく助かったわ」

「それは、すごい偶然ね」

「そう、よね。ねえ、偶然会うなんてことあると思う?」

「思いがけない場所で友達に会うことはあるから、全くありえないわけではないと思う」

「そっか」


「でも、おじさんが倒れたときに……となると、すごい確率に思えてしまいそう」

「やっぱりそうよねえ」

「崇さんはなんて? 偶然って言ってたの?」

「えーと、『偶然……というと嘘になるけど』だって」

「てことは、偶然じゃないってことよね。案外、おじさんも茜と出かけるのが不安で、崇さんに相談していたのかもよ」

「え、そんなまさか」


 私は日曜日にどこへ行くのか知らなかったので、崇さんが誰かに聞いていたとしたら、お父さんからしかない。だけど、不安って何。

 大人で、親になるような人が、子供と出かけるくらいで不安になったりするの?

 お父さんより20歳も若い子に、相談?

 どんな風に、どんな声で。全く想像できない。


「茜のことを知ってる人に相談しようと思うと、今井さんか崇さんぐらいよ。おじさんにとっては異性より同性の崇さんの方が話しやすかったのかも」

「相談してたとしても、それで崇さんがあの場にいた理由にはならないじゃない」

「ろくに交流のない二人が、何のトラブルもなく一緒にいれるか心配になったのよ、きっと。私だってそこは心配になるもの。で、崇さんはこっそり様子を見ていたとか?」

「うっ」


 昨日はお父さんとケンカ別れをしそうになったので、思わず言葉に詰まってしまう。

 私は頭を横に振ると、話を切り替えた。


「ま、まあ、それはともかくとして。崇さんに任せてばかりじゃなくて、私もお父さんのために何かできたらなって思うんだけど。私、これならできるって自信持てること何もないし、思いつかないのよね。何ならできると思う?」

「うーん」


 真衣は考えながら歩きはじめ、私も隣に並んで歩いた。


「あ、そうだ。せっかく崇さんに料理を習ってるんだし、おじさんのご飯を茜が作ったら?」

「ご飯? 私にちゃんとできるかな」


 たいがいのことはお父さん自身ができるほどに回復しているので、今から何かお父さんの面倒をみたいと思えば、確かに食事がいいアイデアだとは思う。

 崇さんにお願いすれば、今日の晩ご飯から作らせてもらえるだろう。だけど、私に美味しいものが作れるのか、自信がない。


「大丈夫だって。この前の卵焼きと味噌汁は美味しかったよ。お世辞とかじゃなく」

「うん、ありがとう」


 あの日作ったものは自分で食べても美味しいと思えた。ちょっとは自信を持ってもいいのかな。


「私一人では作れないけど、崇さんに教わりながらなら何とかなるかもだよね。崇さんにお願いしてみる」


 崇さんには、毎回同じものを作って慣れた方がいい、と卵焼きと味噌汁を教わるということになっていた。でも、お父さんも食べるなら、さすがに頻繁に同じものはどうかと思う。

 違う料理を教わることは可能だろうか。崇さんに聞いてみなくては。どういう料理なら私でも作れるのだろう。

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