12. 味噌汁と卵焼き

 キッチンに戻ると、続きだ。

 玉ねぎは崇さんが切ってくれたので終わっている。

 崇さんは大きめのフライパンで何かを焼いていた。見た目は小さなハンバーグで、たくさんある。


「いい匂いですね。ハンバーグですか」

「いや、鶏肉のつくね。半分はこのまま照り焼きのタレで食べて、残り半分は大根と一緒にピリ辛に煮つける」

「ピリ辛、美味しそうですね! 楽しみです」


 ピリ辛とはどんな味付けだろう。想像するだけで、お腹が空いてくる。

 私は崇さんの指示のもと、お出汁を中火にかけ、じゃがいも、玉ねぎ、わかめを入れて5分ほど煮る。


「じゃがいもが煮えたら、火を止めて味噌を入れる」

「はい」

「味噌を入れたら火をつけて、鍋の淵がフツフツしてきたら火を止める。沸騰させたら美味しくないから、気をつけるように」

「わかりました」


 私はじっと鍋を見つめて、鍋の淵に泡が立ったところで火を止めた。

 こんなに早く火を止めて、温まっているのだろうか。

 試しにお玉でひと混ぜしてみると、湯気がぶわっと立ち、お味噌の香りが鼻とお腹を刺激する。

 うん、大丈夫のようだ。


 私がそうこうしている間に、崇さんは、さっきまでつくねを焼いていたフライパンで大根を炒めている。

 つくねを半分だけ戻して、酒、みりん、砂糖、しょうゆ、コチュジャン、水を加えて煮込む。


 そうか、ピリ辛はコチュジャンの辛味なのね。コチュジャンを使った料理ってビビンバ以外は食べたことないかもしれない。豆板醤や唐辛子とはどう違うんだろう。

 食べるのが楽しみだ。

 大根とつくねは落とし蓋をして、このまましばらく煮込むそうだ。その間に、卵焼きを作ることになった。

 味噌汁の鍋をコンロから下ろし、空いたコンロに卵焼き器を置く。


「今日は出汁巻きじゃないんですか? お出汁、取り置いてないですよね」

「出汁巻き風にしようとは思うんだが、おいしい出汁巻き卵って、出汁が多くて巻きにくいんだ。初心者じゃ巻けないと思う」

「それじゃ、どうするんですか」

「卵3個割って、薄口醤油と、このかつお節を半分入れて混ぜる」


 崇さんはかつお節の小分けパックを取り出した。


「お出汁じゃなくて、かつお節そのまんま!」

「邪道だろうけど、わりとしっかりかつおの風味がして、それっぽくなる。出汁の素でもいいけど、こっちの方が余計なもの入ってなくて好きなんだ」

「へええええ! ちなみに、余計なものって例えばなんでしょう」

「化学調味料とか」

「あー、なんとなく体に悪そうですよね」

「体にどう悪いのかは知らないが、自然のものの方が安心だろ」

「そんなことまで考えてるんですねえ」

「うーん、自分の食べる分だけなら気にしないが、誰かに作るときは多少は気になる」

「そんなもんですか」


 うん?

 ということは、今日は私のために出汁の素を使わずにかつお節で作るってこと?

 誰かの好意に慣れてなくて、胸がムズムズする。

 私は、卵3個、かつお節半パック、薄口醤油小さじ1を小さなボールに入れた。


「で、さらに、少しだけ水を入れた方が柔らかく焼きあがるから、水も大さじ1入れる。本物の出汁巻き卵はもっとたっぷりの出汁を入れるから、上手く焼けるようになれば水は増やしてもいい」

「つまり、水分を増やせば増やすだけ、難しいってことですよね」

「まあ、そうだ」


 初心者以下の私は無茶なんてしない。

 言われた通り、水を大さじ1にして、卵を混ぜた。


「卵焼き器は熱して、油を少し入れたら、キッチンペーパーで余分な油をぬぐいながら全体に広げる」

「はい」


 ガスコンロに火をつけ、卵焼き器を熱する。キッチンペーパーは小さく折りたたみ、菜箸で挟んで油を薄く広げた。


「で、菜箸で卵を少しだけ落として、ジュッと音が鳴れば、卵の1/3を流す」


 崇さんの言うことをしっかり聞きながら、卵を混ぜて、音を確認した。

 ジュッと響く。

 いよいよだ。緊張する。

 唾を飲み込んでから、溶いた卵を流し入れた。


「すぐに菜箸でグルグルッと混ぜる。外側の卵を真ん中に持っていくように」

「は、はい!」


 急に早口になった崇さんの言い方に鬼気迫るものを感じ、一心不乱に菜箸をグルグルと回す。

 卵がスクランブルエッグのようにグチャグチャになっているのだけど、本当にこれでいいのか。四角にもなってないのに、綺麗な長方形に焼き上げるなんてできるの?

 ええい、もうどうなっても知らない!


 崇さんは私の横から卵焼き器を覗き込んだ。

 タバコの香りにまたドキッとする。

 肩が触れそうなほど、いや、それどころか髪の毛まで触れそうなほど近い。意識が卵から崇さんに持っていかれそうだ。

 崇さんって他人との距離感が近い人なのかもしれない。いちいち気にしていたら心臓が持たないし、意識しないようにしよう。


「うん、卵を手前に寄せて」

「こんなにグチャグチャでいいんですか?」

「1回目は気にしない。こうすると空気が混ざって、ふわふわになる。1回目からきっちりと巻こうとすると、固い卵焼きになるからな」

「はい」


 言われた通り、卵を手前に寄せて、奥に油を敷く。

 卵を奥に移し、手前にも油を敷くと、再び卵を流し入れた。

 ここからは崇さんの勧めでフライ返しを使う。菜箸だと巻く難易度が上がるそうだ。

 うん、簡単な方がいい。


 奥の卵を浮かせると、フライパンを傾けて、その下にも卵を流す。

 卵にフツフツと気泡ができるので、それはフライ返しの角ですばやく潰す。そして、手前に巻いていく。


 フライ返しのおかげか、初めてでもなんとか巻くことができた。

 我ながら、綺麗に焼けている。少し焼き色はついているけど、焦げているわけではないので、たぶん許容範囲だ。

 同じようにしてもう一度卵を流し、焼き上げた。

 まな板にのせた卵焼きを見ていると、落ち着いたはずの目がじーんと潤んでくる。


「私に卵が焼けるなんて……」


 奇跡だ。

 炭のように真っ黒のかたまりではなく、きちんと黄色だ。ところどころ茶色の焼き色はあるけど、おおむね黄色だ。

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