6. 料理のできない女とできる男

「それって崇さんの仕事ですよね。なんで私が?」


 崇さんは料理を作る対価としてお給料をもらうのに、私が手伝うのはおかしくないだろうか。


「茜は高校を卒業したら、大学に行くのか就職をするのか知らないけど、家を出るかもしれないだろ。料理はオレの仕事で、茜に手伝わすのも変な話だが、少しは家事を覚えた方がいいんじゃないか」

「う、それは――」


 言い返せない。紅茶すら淹れられない自分に危機感を抱いたところだ。

 未来がどうなるのかわからないけど、もしも一人暮らしを始めたら、私の稼ぎでは家政婦なんて雇えない。このままこの家で、お父さんの世話になり続けるか、自分で少しは家事をするか、どちらかだ。

 料理を覚えなくてはいけない。

 そうわかっていても、今日出会ったばかりの崇さんに「お願いします」という気持ちにはならなかった。


「それでも、やっぱり私が手伝うのは変です」

「手伝うって思うからだろ。教わるって思えばいいじゃん。実際、教えなきゃ手伝いなんて何もできないだろうし」

「そうですけど……」


 さりげなくケンカ売られた? と思っていると、崇さんに背中を押されてリビングから追い出される。


「制服だと汚したら困るし、着替えてきてくれ。よろしく」

「ちょっと、私やるって言ってない!」


 崇さんは私に返事もせず、キッチンへ行く。その姿を呆然と眺めた。

 言われた通りにするのはしゃくである。でも、このままご飯ができるのを待つというのも居心地が悪く、結局、自分の部屋へ向かった。


 5分後、私はセーターとジーパンに着替え、今井さんが我が家に置いている予備のエプロンをして、キッチンに立っていた。

 崇さんに負けた気分だ……。

 軽く落ち込みながらも、手を洗って、何をしたらいいのか指示を仰ぐ。


「まずは茜にもできそうな作業からってことで」


 崇さんはレジ袋の中から何やら取り出して、私に見せた。出汁パックと書かれたものだ。


「これで味噌汁用の出汁を取る」

「お出汁って難しいんじゃ……?」


 家庭科の調理実習で習った記憶はある。お湯を沸かして、沸騰したらかつお節を入れ、かつお節が沈んだらとか何とか。

 同じ班の子に任せっぱなしだったので、うろ覚えだ。

 自分でできる気がしない。


「この出汁パックを使えば、簡単に出汁が取れる。まあ、ちゃんとかつお節で出汁を取った方が美味しいし、そう難しくもないんだが、目が離せないしな。これの方が他の作業と並行してできるから便利なんだ」

「そんなものなんですか」


 かつお節がパックに入っているかいないかの違いに見えるのに。


「出汁の取り方はパッケージに書いてる。これは細かくしたかつおが出汁パックの中に入っていて、中火で5分ほど煮込むだけだ」

「煮込むだけ?」


 崇さんから受け取った出汁パックのパッケージを裏返し、確認した。確かに、崇さんが言ったようなことが書かれている。

 これなら私でもできるかもしれない。

 私は崇さんの指示で、2パック分、1200ccのお出汁を取る。


「これって味噌汁一人分にしては多くないですか?」


 余りは明日の分にするのかな。

 今井さんは飽きないようになのか、洋食と和食を交互に作ってくれていたので、一度にたくさんの味噌汁を作ってはいなかった。もしかしたら崇さんは続けて和食を予定しているのかもしれない。


「親父さんと二人分だろ」

「お父さんは家で食べませんよ」

「は?」

「帰ってくるのが遅いので、仕事の合間に食べているのか、帰りにどこかで食べているのか、どちらかみたいです」

「うわ、それなら作りすぎかな」

「あ、じゃあ崇さんも一緒に食べませんか。私一人だと寂しいので。崇さんも16時半からうちにいたのなら、晩ご飯はまだですよね?」

「茜が構わないならそうしようか。オレも腹減っててよ」


 崇さんがお腹を押さえる。

 お出汁のいい香りが空腹を刺激して、作るだけ作って食べられないなんて耐えられないよね。


「ぜひぜひ」


 なんて言っている間にタイマーが鳴ったので、火を止めてパックを引き上げた。

 これでお出汁は完成だ。想像以上に簡単だった。

 崇さんは冷凍庫に白米があるのを確認してから、ほうれん草をゆで上げた。お出汁とお醤油や砂糖などを合わせて、ほうれん草を浸す。ほうれん草を湯がいている間もごぼうを切ったり、手際よく作業をしていたので、感心する。

 彼はさらにお出汁の一部を取り分けると、残ったお出汁を再び火にかけ、水で戻しておいたわかめを入れた。


「豆腐をサイコロみたいに切って入れてくれ」


 ぼーっと見ていた私は、その言葉で慌てて豆腐を手に取った。


「あれ、開かない!」


 豆腐の蓋のフィルムが外れない。


「貸してみな」


 豆腐を受け取ろうと崇さんが真横に立ち、ドキンとした。

 肩がすぐそばにある。さっき吸っていたタバコの匂いだろうか。苦いような香りがする。

 男の人と二人きりなんだ。

 手を伸ばす崇さんに豆腐を任せると、崇さんはパックの淵を包丁でザクザクと切っていく。

 変に意識してしまう自分をごまかしたくて、「すごいー!」とテンション高めで言ってみる。


「このくらい常識」


 と言いながらも、崇さんは照れくさそうだった。

 崇さんに豆腐の切り方を教わり、手を切らないように慎重に切り分けると、お鍋に入れた。お鍋が沸騰すると、火を止めて、味噌を溶き入れる。

 崇さんが私とは違う作業を始めると、私たちの間には少し距離ができ、緊張がほぐれた。


 すると心に余裕ができたのか、手伝いというよりは本当に作り方を教わっていることに気づく。

 料理教室だとこっちがお金を払って教わるんだもんね。

 そう考えると、タダで教わっているようなもので、これって実は結構お得なことかもしれない。最初は嫌々だったけど、今は悪くないかなと思える。


 味噌汁が出来上がる頃には、崇さんが並行して作っていたきんぴらごぼうも完成した。


「よし、あとは卵を焼くか。茜は大根をおろしてくれ」


 包丁で危なっかしくも大根の皮をむき、おろし金でおろしていく。

 崇さんは卵を割り入れたボールにお出汁の残りと醤油も入れ、かき混ぜた。それを熱した卵焼き器で焼いていく。

 焼き色もなく綺麗に巻いていくさまは、思わず大根をおろす手を止めて見惚れるほどだ。自分には到底、真似できそうにないことはわかった。

 私は崇さんに指示されながら、作ったものを盛り付け食卓に並べていく。

 最後に、大根おろしを添えた出汁巻き卵を置いた。


「じゃ食べるか」

「はい」


 私たちはエプロンを外して、食卓についた。

 出汁巻き卵、ほうれん草のお浸し、きんぴらごぼう、豆腐とわかめのお味噌汁。

 どれもすごく美味しそうだ。


「いただきます」


 お醤油をかけた大根おろしを乗せて、出汁巻き卵を口に入れた。噛んだ瞬間に卵からお出汁がじゅわっとしみ出す。

 かつおのいい香りと大根の爽やかな風味が口に広がる。


「美味しいです!」

「口にあって良かったよ」


 崇さんがほっとしたように微笑む。

 性格は子供っぽくてアレだけど、顔は無駄にいい人だから、またドキッとしてしまう。

 そういえば、異性と二人でご飯を食べるなんて初めてだ。

 途端に緊張する。

 しかし、それも二口目、三口目と食べ進めるうちに忘れていた。夢中になって食べる。

 ほうれん草もきんぴらも味付けがちょうどいい。私が初めて作った味噌汁も美味しくて、お腹が温まった。


 その間、私たちに会話はなかった。

 会話がなくても、初対面だからというような気まずさもなく、落ち着いて楽しく食事を済ますことができた。

 派手な金髪で、絶対に関わり合いたくないタイプの人間に見えるのに、一緒にいることがこんなに落ち着くなんて不思議だ。


 不思議といえば、崇さんの年齢の男性がこんなに料理上手というのも珍しいのではないだろうか。

 崇さんの淹れてくれた食後のお茶で一息つきながら尋ねてみた。


「崇さんは料理が好きなんですね」

「んん、好き? まあ、嫌いではない……か」

「嫌いでは、ない?」

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