第6話 戦慄の朝

「…ふぁ?」


 窓から入る朝の日差しで、目が覚める。


 真っ先に目に入ってきたのは、見慣れない天井。


 それがコテージの天井だと認識するのには、そんなに時間はかからなかった。


「あれ…?いつの間にコテージに…」


 むくりと上半身を起こすと、誰かが玄関の扉を叩いた。


「…あれ?起きてたんですか?」


 入ってきたのは直人だった。


「直人君…私、何でコテージに…」


「ロッジでそのまま寝てしまったので、運んだんですよ」


「そうなんですか…ありがとうございます…」


「お礼なら萬屋さんと金元さんにも言っておいて下さいね。心配だからって、わざわざここまで一緒に来てくれたんですよ」


「それはそれは…」


「特に金元さんはパジャマに着替えさせるまでやってくれたんですから」


「有り難いですぅ…」


 まだ怠さが残る身体でベッドから降り、パジャマのボタンを外し始める。


 その行動に、お互い躊躇いも焦りも無い。


 ぶっちゃけ、今更過ぎる。


「僕は一度自分のコテージに戻りますから、支度が出来たら呼んで下さい」


「はい~…」


 壁に掛けられた時計を確認すると、時刻は六時過ぎ。


 想像よりかなり早く起きていた。


「ブラシは…あった」


 服を着替え、洗面台の前に立つ。


「わわわ…寝癖が…」


 手早くそれを直し、いつもの様に三つ編みにする。


 昔は祖母にやってもらっていたが、今では目を瞑ってでも出来る様になっていた。


「…よし!」


 仕上げに眼鏡を掛け、鏡の前で笑顔。


 そして、直人のコテージの扉を叩いた。




「あ!」


 直人と二人でロッジに向かっていると、前を歩く泰造と希美の二人を見つけた。


「おはようございます!」


「おはようございます」


 向こうも挨拶に気付き、振り向く。


「よっ、グッモーニン!」


「おはよ」


「すみません、昨日はご迷惑をかけてしまって…」


「ん?ああ、いいって事よ」


「気にしなくていいわ」


 挨拶を交わし合い、再度ロッジに向かい始める。


 ロッジの前で友和とも合流し、中へ入った。


「おはようございます!」


「ん?ああ、おはよう…」


 しかし、中は朝食の用意がされているものの、どこか様子がおかしかった。


「どうかしたんですか?」


「いや、珍しく千鍵が遅れていてね…さっきからインターホンで連絡をとってるんだが、反応も無くて…」


「米倉さんが?」


 ロッジ内を見回すと、確かに千鍵の姿だけが無い。


「仕方ない…これ以上皆を待たす訳にはいかないし、直接呼びに行くか」


「ほっとけよ。寝坊する奴が悪ぃんだからよ」


「そうはいくか。ここは零士さん達に任せても?」


「はい」


「どうぞ。私はまだ料理がありますので」


「私達にお任せを!」


「ありがとう」


(…七時)


 時計を確認すると、確かに毎日六時に起きるのならば、既にロッジに居てもいい筈だ。


(何か…嫌な予感がしますね…)


 探偵の勘、特に悪い勘はミステリーにおいてはよく当たるものだ。


 それは愛花も例外ではなかった。


 十数分後、玄関横のインターホンが鳴る。


 千鍵のコテージからだ。


「…はい、松原です」


『日向さん!?大変だ!』


 スピーカーから、拓真の焦りの叫び声が聞こえた。


「ど…どうしたんですか?」


『ち…千鍵が…!』


 一度声はそこで途切れ、最後にこう言った。


『死んでる…!』


「え…?」


 その場の空気が凍り付く。


 真っ先に動いたのは泰造だった。


「希美ちゃん!」


「はい!コテージから取ってきます!」


「私達も行きます!」


 それに続く様に愛花達も、最終的には全員がロッジを飛び出していた。


 千鍵のコテージはロッジから北東の方角。


 距離はどのコテージも同じ位だ。


「中井さん!」


「萬屋さん!皆まで…!」


「中の様子を!」


「は…はい!」


 扉を開け、コテージに踏み込む。


「こいつは…!」


 そこには、ベッドで頭から大量に血を流している千鍵がいた。


「皆は来るな!特に女の子は見ない方がいい!」


 ビリビリと空気を震わす程の大声。


 その声に反応してか、森から大量の鳥が飛び立った。


「タイ兄ちゃーん!」


 遅れて愛花が息を切らせながらやって来る。


「よ…米倉さんは…どう…なって…?」


 黙って顎で中を差す。


 あんな事を言ったが、愛花は例外だ。


「うわ…」


 一瞬言葉を詰まらすが、呼吸を整え、死体に近づく。


「とりあえず、皆は一度ロッジへ」


「は…はい」


「愛花嬢ちゃんは希美ちゃんが来るまで、少し立ち会ってもらえるか?」


「はい」




 愛花と泰造を残し、ロッジに戻ってどれ程の時間が経っただろうか。


 八時を過ぎ、漸く愛花達三人が戻ってきた。


「えっと…ま、順番に説明しますか」


 そして淡々と泰造の口から結果が報告される。


「まずは…簡易的な検死だから断定は出来ないが、死亡推定時刻は今から九時間から十時間前だと思われる」


 つまり、昨晩の午後十時から十一時の間。


「死因は刃物による、頭部への一撃。頭頂部の右側から眉間にかけて傷があった」


 そう言って、目の前にいた希美の頭に手刀を喰らわす。


「やめて下さい」


「はいはい」


 軽く笑うが、すぐにその笑みは無くなる。


「やられた後に動いた形跡が無いから、恐らくほぼ即死。凶器は刃が厚く、そこそこ重量のある刃物だな」


「つー事は…斧か?」


 浅葱は何かを振り回すようなジェスチャーをする。


「いや、斧にしちゃ傷が浅い様に思える。斧だと重心が先端に集中しているし、遠心力も加わるからかなりの威力になる筈だ」


「じゃあ、何や?」


「柄が短めで遠心力がかかり難く、もう少し軽め。だから…鉈かな?もしくは肉切り用のチョッパーナイフ」


「鉈なら、煖炉にくべる薪用のがありますが…」


「お、じゃあ希美ちゃん、墨田さんと一緒に確認してきてもらえる?」


「了解です」


 零士に続き、希美もロッジを出る。


「んで、死亡推定時刻とコテージまでの道のりを考えた結果、十時から十一時までの一時間と、その前後十五分、この一時間半の間で三十分以上ロッジに居なかった人が犯人って事だ」


 そう言われ、各々が記憶を辿り始める。


 最初に思い出したのは、英里だった。


「そう言えば…松原さんが薬を取りに、一度コテージに戻りましたよね?」


「は…はい。確か十時過ぎに出て、戻ってきたのは半になるかならないか位です…」


 次に友和が手を挙げた。


「アリバイなら自分も無いで。そのねーちゃんと入れ替りにロッジを出て、コテージで寝とったからな」


「零士さんも愛用のパイプを探しに、一度船に行ってたな…」


「ふむ…」


「他の人達はロッジにずっと居たのを、僕は覚えてます」


「そうだったか?」


「浅葱さんは酔い潰れてたでしょ…」


「つまり…アリバイが無いのは、松原日向さん、伊藤友和さん、墨田零士さんの三人っと…」


「んな事しなくても、犯人は分かるっつーの!」


 突然の発言に、皆が振り向く。


 蒼也だった。


「中井ぃ…犯人はお前ぇだろ?」


「な…!?何を…!」


「根拠は何ですか?」


 二人の間に割り込む様に、愛花が前に出る。


「根拠ぉ?んなの、殺す動機があるからだよ!」


「アリバイはどう説明するんですか?」


「はん!名探偵のクセに、んな事も分かんねぇのか?」


「では、氷室さんは説明出来ると?」


 それを聞き、待ってましたと言わんばかりに笑う。


「簡単だ。どっかこの近くで殺して、後でコテージに運びゃあいい」


「くっ…!」


 確かに氷室の推理は筋が通っている。


 しかし、それは二人にすぐに否定された。


「あり得ませんね」


「あり得ないな」


「何…!?」


「彼女がロッジを出たのは八時過ぎ。殺されるまでの二、三時間、彼女は外で一体何をしてたんだ?それに、死体に動いた様な形跡は無かったって言ったろ?」


「あと、コテージの壁板や床板の隙間にも血が飛び散った跡がありました。なので、あのコテージで殺されたと考えて、間違いありません」


「…ちっ」


 舌打ちをし、つまらなそうにそっぽ向く。


 その時、希美と零士が戻って来た。


「どうだった?」


「はい。確かに鉈が一本、無くなってたそうです」


「よし、凶器はほぼ確定かな」


「それともう一つ…墨田さん」


 希美に呼ばれ、零士は首肯うなずく。


「船の鍵が…無くなっていました」


「なっ…それは本当か!?」


「間違いありません…昨日の昼、ロッジに着いてすぐに倉庫に掛けたのを覚えていますから」


「じゃあ…私達はこの島から出られないんですか!?」


「落ち着いて下さい、松原さん。すぐに会社に連絡して、迎えの船を寄越すように言いましたから」


「そ…そうなんですか…?」


「ええ。しかし、操縦出来る人間が法事で北海道に帰っていまして…だから迎えに来るのは、明日の朝になるそうです」


 つまり、船が来るまで二十四時間程。


「よし…おい、中井」


「な…何だよ…?」


「俺のコテージの合い鍵を寄越せ」


「はぁ!?」


「俺はまだお前を疑ってんだよ。俺はコテージに籠るから、殺されない為にも寄越せっつってんだよ」


 確かに氷室の言っている事はもっともだ。


「どうした?殺す気がねぇってんなら、問題ねぇだろ?」


「…分かった」


 きっと、これ以上疑われるのも嫌なのだろう。


 拓真は奥の部屋へと合い鍵を取りに行く。


「それと…そこのメイドのねーちゃん」


「はい、何でしょう?」


「明日の朝までの食いモンを作ってくれ」


 どうやら本格的に籠城するらしい。


 英里は少し考え、特に嫌な顔もしないで答えた。


「分かりました。では、サンドイッチでよろしいでしょうか?冷めても問題無いですし、コテージの冷蔵庫でも保存できますから」


「おぅ、そうしてくれ」


 英里はすぐに調理にかかり始める。


「松原さん、戸棚からバスケットを取ってもらえますか?」


「は…はい」


 戸棚から出てきたのは、かなり大きいバスケット。


 下手すれば二日分以上の食糧が入りそうだ。


「ほら、蒼也」


「ん?おお」


 ひったくる様に拓真から合い鍵を奪い、ポケットにしまう。


「言っとくが、コテージに入る時にはこの鍵で開けさせてもらうぜ」


「…好きにしろ」


 蒼也の言いたい事は、すぐ理解出来た。


 もし偽物だった場合、犯人の線が濃くなる、と言う事だ。


「氷室さん、一つだけいいですか?」


「あ?」


「米倉さんを殺したのは中井さんと思ってるんですよね?」


「…だから何だ?」


「米倉さんが殺されたなら、氷室さんも中井さんに殺される…そう思う理由は何ですか?」


「っ!」


 瞬間、蒼也の顔が険しいものになったかと思うと、いきなり愛花を突飛ばした。


「きゃっ!?」


「愛花さん!」


「テメェ…!」


 浅葱の顔も、みるみる怒りに満ちてくる。


「ぶっ殺す!」


「あぁ!?やってみろや!」


 昨日の蒼也の様に浅葱は右手で拳を作り、地面を蹴る。


「浅葱ちゃん!」


 が、愛花の声で攻撃が中断された。


「約束…忘れちゃったんですか…?」


「でもよ…!」


 じっと見つめてくる愛花の大きな瞳。


 愛花の気持ちが通じたのか、浅葱は黙って拳を降ろした。


「ちっ…いいか!?用事があるなら、インターホンで呼びやがれ!」


 そう怒鳴り散らし、返事も聞かずにロッジを出ていってしまった。


「…悪い、愛花…」


 浅葱が愛花に近寄る。


「…ありがとうございます」


 しかし、愛花が返した言葉は感謝だった。


「約束を守ってくれて…私の事を大事に思ってくれて…」


「…ああ」


 と、愛花が何かに気付く。


「浅葱ちゃん…手…」


「ん?」


 開いた手を見ると、そこには四つの小さな弧を描く様に血が滲んでいた。


「あー…最近爪を切り忘れてたわ」


「消毒を…」


「唾で平気だって。それよりお前は大丈夫なのか?」


「はい。少しお尻を打っただけです」


 お尻を擦りながら、立ち上がる。


 見たところ、特に怪我は無いようだ。


「こんな女の子を突飛ばすなんて…サイテーな男」


 服に付いた埃を落としてやりながら、希美がロッジの玄関を睨む。


「本当にな!昨日の俺よかサイ…」


「昨日の萬屋さんもですよ」


「あ…そですか…」


「で、これからどうするんや?」


 友和の声に、皆が我に還る。


 そうだ。


 これからどうするべきかを考えなければならない。


「犯人、捕まえれるんか?」


 その質問に、愛花と泰造は顔を見合わせ、首肯く。


「勿論です」


「あの男を納得させるだけの推理をしてやる」


 泰造は指の骨を鳴らす。


 タイムリミットは明日の朝。


 早速調査が始まった。


「まず…皆にはこのロッジからあまり出ない様にしてもらって…」


「コテージに行く用事があれば、一応申告してもらいましょう」


「だな」


「では…皆さん、ご協力お願いします」


 愛花が深々と頭を下げる。


 それを見て、皆は黙って首肯いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る