この世界において俺は『逃げる』しか選択肢が無い。

無頼 チャイ

第1話

 三十六計逃げるに如かず。


 困った時は逃げることが最善策とかそういう意味だったと思う。


 この言葉を小3の頃に知り、それ以降、困った時は真っ先に逃げるようになった。もう逃げて逃げて逃げまくった。それこそ、ドッチボールで味方の数が減った時、こっそり相手のチームに潜り込んだりした。

 バレてボールを投げられたけど。


 で、そんな言葉を掲げて生きた人間がどうなるかというと、『引きこもり』『いじめられっ子』『親不孝者』という不名誉なレッテルばかり。


 小学校の頃までは良かった。しかし中学になると、辛気臭い、何かイライラするというちっぽけな因縁を付けられ、教育という名のパシりをやらされていた。


 暴力を振るわれたこともあるが、それは俺の天才的な逃げ技で回避した。

  囲んでも逃げられることから『うなぎ』とも呼ばれた。

 でも、永遠と逃げられる訳もないので、結局パシりからは逃げられなかった。


 高校では真面目に学生しようと思ったが、まあ、なんというか、いじめっ子も同じ高校だったので一週間もせずに不登校になった。


 で、今現在、7月の猛暑から隔離された薄暗い部屋の中、クーラーの恩恵を受けつつRPGゲームに没頭してるというわけだ。


「……お前ら雑魚に用はねぇーんだよ」

 コマンドから逃げるを選択、逃走成功。


 しかし、現実からは逃げられない。髪はボサボサで耳が隠れるまで伸びていて、目の下には隈ができ、辛気臭さがより磨かれていると思う。


 そう、人生からも『逃げる』を選択した。愚かな高校1年、鍵弥かぎや しのぶとは俺のことだ。


 笑いたいやつは笑えば良い、俺は俺の自由に生きる、なんて現実では言えない。

 ただぼんやりとテレビ画面に向かって流れ作業の如くコントローラーを操り逃げるを選択し続けるだけ。


 しかし、RPGでの逃げるはただ逃げるのではない。戦略的撤退というやつだ。

 パーティーの体力も温存できるし、ここぞという時のアイテムもボス戦の時、存分に使うことが出来る。例えレベル差があっても、そこを知恵と攻略本を駆使すればなんの問題もない。


 しかし、現実は違う。目に見えない様々なステータスを管理し、また上げなければならない。例えば、学力とか。


 目に見えるのなら俺だって努力する、が、それは目に見えない上に時間が経つにつれ変化する。ゲームのように上がったらそのままということはない、何とも不平等な世界だ。


 だからこうして、自分の世界に引きこもった。扉越しに親が説得して部屋から連れ出そうとしたが、父を怒らせ、母を泣かせる結果となった。


 真面目な人間になれ、親父が最後に掛けた捨て台詞。

 それ以降父は声を掛けなくなった。でも、その言葉が頭の中に木霊こだまして父の台詞を忘れられないでもいる。


「……うっわー! 親父は混乱系の魔法使いか!」

 俺を揺さぶり続けるその声と、抑圧する現実からは逃れなれない。

 それが俺の持論だ。


「本当、世の中不平等だ」

 ちょうど、見慣れた中世風な町に到着した。町の教会に入りセーブして、徹夜明けの冒険は一時的な幕を下ろす。


「それにしても、このゲーム随分遊んだな、そろそろ新しいのでも買おうかな」

 金だけは貯金していたので、新作ゲームを買うには余裕があった。

 でも、欲しいのなんてまだあるわけが……。

「あるじゃん!!」


 暗闇の中、コウモリのように高い声をあげてカレンダーとスマホをチェックした。

「まさか、今日が発売日なんてな!」

 よだれを腕で拭う。


 待ちに待った、某人気RPGの新シリーズ。

 内容もこれまでとは比較にならないほど進化していて、さらにゲーム機種によって画質が大きく変わる。


 リアルに近いRPG、特にファンタジーとは映像の中でしか許せない俺だが、このシリーズだけは別だ。CMで見て惚れたね。


「よし! そうと決まれば出発だ!」

  部屋の鍵を開けドアノブを回す一歩手前ぐらいで気がつく。

 引きこもりの正装など、大体決まってる。

 故に、身だしなみなんてものここ数ヶ月悩んだこともなかった。

 上下ともグレーの寝間着、ここ3日間の寝汗をたっぷり吸い上げている。片時も離れなかった相棒とこんな形で別れるなんて。


 さて、どうするか。

 悩むこと数秒、汗臭いを理由に相棒を脱ぎ捨てた。


 □■□■□■□■□■□■□■□■□



「外ってこんなに暑かったのか……」

 晴天に太陽がギラギラと光り、この辺りをこんがり焼くんではないかというほどに照らす。

 風は吹いているものの、それが逆にこの暑さを強調してるのか、より一層暑く感じさせる。


 7月の中旬、学校は夏休みに突入したらしく、周りに学生の集団が見られる。


  クーラーの効いた部屋から外に飛び出し早速後悔する。

  何故って? 汗は止まらないわ目眩もするわと嫌なことだらけだ。

  体が猛暑に適応出来ていないのだ。体感的にいえば砂漠にいるような暑さだ。

 行ったことは無いけど。


 ネット通販という手もあったが、ネットを信用してない俺は利用していない。それに、ゲームというのは直接買う事にも意味がある、パッケージのデザインとかソフトの重みとか。


 要するに手にとって買いたいのだ、ネットはネガティブ思考を加速させるだけだ。

 ネット、嫌い。


  目的のゲーム屋までの道のりを半分いった辺り、赤信号に捕まった。

  くしゃくしゃの髪はそのままで、動きやすいTシャツとカーゴパンツを選んだ。

  Tシャツにはドット絵がプリントされている。ゲームを買ったときに付いた特典だ。意外にも着るのは初めてである。


「本当に暑いな~、帰りにアイスでも買おうかな」

  そんなことをぶつぶつと呟く。黙ってると余計に暑く感じるので独り言を低めの声で呟いている。

  それがかえって気持ち悪いのか、同じく信号待ちの人から『なんだこいつ?』みたいな視線で見られる。


 夏の幻と思って気にしないようにするが、見えるものは見える。

 何となくそちらに顔を向けると。

  「ハッ! ……どうも」

 おばちゃんに愛想笑いされた。

 ていうかハッってなにハッって。


 何となくショックを受けつつ、ようやく青になった信号を見て道路を横断する。歩む度に足が軽くなっていくように思えた。


 もうすぐ買える、もうすぐで。

 心の中で小躍りしながらルンルン気分で渡り終え、足早にお店の入り口に向かおうとした。その時、店から出てきた人間を見て、奈落に突き落とされたような絶望感に襲われる。


「よう、うなぎ」

 嫌な笑みを浮かべながら、そいつは俺に向かって歩きだした。

 俺をうなぎと呼ぶやつは大抵決まってる。ありもしない噂を流し、俺を散々パシりに使った男、田中たなかだ。


「お前、最近学校来ないだろう? だからすげー寂しいんだよ、なあ? 中学の頃みたいに仲良くしようぜ」

 そういって、田中は一歩、また一歩と歩み寄ってくる。


 なんだよこいつ! こんなボスキャラいらねぇんだよ!


 もちろん声になんて出せない。でも体が恐怖を覚えてるようで、見えない鎖か何かで動きを封じられる。本当にボスキャラ見たいで余計に怖い。


「お、おれ……は」

 心臓が早鐘を打つ。脳裏に苛められた時の光景がフラッシュバックされる。

 その光景は顔を覆いたくなる程惨めみじめなものだ。恥ずかしいし情けない。


 変わるために逃げたのに、結局こうなるのかよ。

 神様がいるのなら問いただしたい、逃げたやつにはチャンスはないのか、と。逃げた奴に勝者はいないのか、と。


「なあうなぎ」

 気付けば、田中との距離は3メートルぐらいになっていた。


 逃げたい、でも逃げた先に何があるっていうんだ。


 うなぎと呼ぶ声が近づく。


 俺が何したって言うんだ!


 うなぎ。


 頼むからほっといてくれよ!


 うなぎ!


「うわっーーー!!」


 醜い雄叫びを上げ、後ろに振り返って来た道を駆ける。

 キィィーという低音がしたかと思ったら、世界が逆転し、さっきのおばちゃんが悲鳴を上げた。


 しかし俺は、そんなことよりも田中の表情が面白くって目が離せなかった。

  うっわー、あいつの顔なんだよ、真っ青じゃねーか、だっせー。

 もちろん声には出さない。しかし何故だろう、田中以外の周りの人も同じ顔をしてこちらを見ている。


 口を両手で抑える者や、小さい子供に目隠しをする者、ドアガラスから上体を覗かせ固まる者。


 何が起こったのか、顔を上げて見てみると、凹んだボンネットの車から男が下りてこちらに駆け寄る。何かを必死に呼び掛けているが何も聞こえない。

 男に上半身を起こされた際、男の肩越しに見えた。


「しん、ごう……あか……じゃん」


 事故にあったんだと、意識を手放す直前に理解したのだった。



 □■□■□■□■□■□■□



 何かに漂うような感覚、空とも海ともつかぬ浮遊感。さっきまでの暑さはまるでなく、ちょうど良いぐらいの気温だ。


 意識がゆっくりと覚醒していくなか、瞼を開き外を見やった。

「あれ? もう、よる」


 写ったのは夜空に輝く小さな星達。日本でまだこんなに美しい夜空を見れるとは思わなかった。天の川もはっきりと見える、流れ星もいくつか目撃できる。


 この浮遊感も合わさって、まるで星空の海を漂っているような気分だ。


「このままゲームでもできたら最高なのにな~」

 長時間ゲームをすると、どうしても肩とか腰とか痛くなるんだよな。でもこれならそんなこと気にせずゆっくりと新作を堪能できそうだ。

「……新作?」


 ふわりと浮かんだ単語を噛みしめ、記憶を辿る。

 新作、道路、信号、お店、いじめっ子、道路、車、赤信号。


「あ、そっか」

 俺、死んだんだ。


 流れ星が前を過る。その煌めきは真夏の太陽にも負けないくらい、ギラギラと輝いていた。


「あ~あ、死んだのか、俺の人生、終わったのか」


 悲しいとか悔しいとか、特に具体的な感情は無い。でも、心に突っ掛かる何かはある。いや、何かなんて遠回しの言い方はもう必要ないのか。


「真面目な人間になれなくて、ごめんよ、親父」


 あー、このままこの感覚に任せて天国に行こう、これ以上先なんてないんだから。

 死ぬ直前に田中のブサイクな顔を見れて良かった。


「……」


 親父、真面目な人間になれなくてごめんよ。母さん、出来の悪い息子で悪かったよ。

「……」


 え、え~と、新作のゲームやりたかったなー。

  「……って何でだよ!」


 何にも反応がない、こんな変な空間で1人後悔の言葉を述べるのって割りと恥ずかしいんだぞ!


「ていうか、ここどこだよ、あの世?」


 変に間があったので頭がハッキリしてきた。

 再度辺りを見渡すが、星、星、星。感覚的に横になっていたようなので、起き上がってみると、シスター服を着た女の子が目をキラキラさせながら俺を見つめていた。


「……」

 あれ、女の子っていたっけ? 起き上がるまでは確かにいなかったのに。

  どうみても怪しい女の子は、何かを期待するようにこちらを見つめている。


  これは、声を掛けた方が良いのだろうか?

「あ、あの……」


「おおー勇者よ、死んでしまうとは情けない!」


 呆然とした。何を期待していたかと思えばそんなネタかよ。確かにやりたくなるけど。

 とりあえず話そうと何とか話しかけるタイミングを探すが、引きこもってただけあるのか話しかけるタイミングが分からない、しかも相手は小さくガッツポーズを決めている。

 どんだけやりたかったのだろう。


「あ、あの、君は?」


「フフフ、ミコの言いたいセリフランキング4位が言えました、意外に言える場面が限られてしまうのが難点ですが、いざ言えるとやっぱり気持ちいいものですね!」


 グッ! グッ! と拳を胸の前で二度握り直す。

 1人盛り上がっているが、この子と話さなければ先に進めそうにない。とにかく話しかけてみよう。


「あの~、ちょっと」


「そもそも勇者なんて普通言いませんからね、ふざけて話しても勇者とか魔王とか全くでません、しかも、こういうのは相手が起きてからでないと意味がありません。それを考えればこの場所、このシチュエーション! フフ、まさにこのセリフを言えと言わんばかりの力がはたらいて……」


「あの! 良いかな!」


 シスター服の女の子は、今気付いたとばかりに目を大きく開いてこちらを見つめている。

 ハッ、という短い音。サッとこちらに向き直り、笑顔を作る。


「初めまして、ミコはミコと言います。これからあなたを異世界に連れていく神様であり、第2の人生を歩むあなたの母でもあります、さあ! 抱きついても良いんですよ!」


 お星さま見たいにキラキラ輝く瞳を瞑り、精一杯両手を広げる。

 抱っこをねだる子供のようだ。


 ぷるぷる震える自称神様を観察する。数分すると、くたびれたのか床らしきところに両手をついて肩で息をする。


  神様体力ねぇー。


「もう! ノリの悪い子ですね、お母さんそんな風に育ててませんよ」


「あんたに育てられた覚えはねぇーよ!」


 ツッコミを入れた後、ミコはふいっと口の端を吊り上げ、満足そうに頷く。

 もしかして相手にのせられた?


「うんうん、随分とリラックス出来たみたいですね。では、質問です!」


 妙な気迫と共に人差し指を突きつけるミコ。

 一体どんな質問なのだろうか。


「このまま死にますか、それとも、異世界で勇者として生まれ変わりますか?」


 初めて聞くのに妙に聞きなれた台詞だった。

 勇者になる? それも異世界で? いやいや待ってくれよ。俺は普通……とは言い難いが学生だぜ、そんな質問をされて、はいなりますなんて言うか。

 


「勇者になる!」


「そ、即答ですね、もうちょっとこう、その場の雰囲気を味わって欲しかったんですけど、まあ良いでしょう」


 そういうやいなや、ミコは両手を上げ、訳のわからぬ言葉を唱える。

すると、今まで流れるだけだった星が俺に向かって来て、俺を中心に衛星の如く周り始める。それも1つでは無い。次々と星が集まってくる。


「難しいお話しは異世界についてからお話ししましょう、とりあえず、向こうで生きていけるよう言葉と文字は読めるように加護を与えたのでご安心を、ではでは、良き旅をです!」


 その言葉を最後に、俺は再び意識を手放した。

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