第10話 頼むから誰か続きを(『一輝まんだら』)

 『バーナード嬢曰く』という漫画で、登場人物たちが『火の鳥』なら何編を推すのか話あう回があった。その中で、鳳凰編か復活編の二択のような雰囲気になっていたのがちょっと納得いかなかった……。別に鳳凰編と復活編が面白くないとか劣っているとか言いたいわけではない、単に私が太陽編が一番好きというだけの理由である。


 『火の鳥』全体の物語の構想からすると太陽編はやや異色な存在である――というような事情を一切知らないまま小学生くらいのころに図書館で読んで、「ヒィ~戦で負けて顔の皮剥がれる展開怖い、でも犬の皮被せられたクチイヌ格好いいから良し」「ヒェ~、ゴキブリの油漬け食うようになってる未来社会怖い。でもネズミの唐揚げは結構うまそう」とかそんなノリで気軽に読み始め、なんやかんやで古代と未来の登場人物の運命やらなんやらが交錯しあった末に一組の恋人が巡り合うというラストに「おお〜スゲエな! 面白かった!」と感動した量の大きさが他の「火の鳥」各編より大きかったため思い入れが強かったのである。あのダイナミックなストーリーだとか、伝奇とSFの入り混じった特盛のエンターテイメント感とかとにかく好みである。あとどうでもいいけど脇キャラのイノリちゃんが可愛い。

 そもそも高貴な身の上の青年が戦に負けて辱めを受けるという冒頭もなかなかのフェティッシュさがあるといいますか貴種流離譚バンザイといいますか、とにかくいいですやあね。あとやっぱり心のケモノ域に訴えかけるものがあるといいますか……ケモナーではないんですが。


 と、なんだか勢いに任せて偏愛的なものを語ってしまったけれども、『火の鳥』各編も同じ頃に地元の公立図書館で読んだ。が、いかんせん小学生の頃なので感想が貧困であり壮大かつ深淵なストーリーに感動するとかではなく、どのストーリーも大抵「エグい、エロい、怖い」に集約されてしまっていたのだった。以下印象深かったもの。


 ・復活編……手術をしたせいで人間が人間に見えなくなってしまう有様がとにかく怖い。頻繁に出てくる手術のシーンも怖い。ロビタの集団自殺のきっかけになる事故の件も怖い。あとロボットのチヒロより人体売りさばいてる組織の女ボスの方が可愛いと思ってた。

 ・宇宙編……閉所恐怖症気味なので中盤までのカプセルで宇宙漂流するところがもう既に怖い。あと流刑惑星のあの生き物になるナナって女性キャラがなんかイヤ。

 ・生命編……主人公のクローンが行きずりの幼女と北海道の原生林で逃亡生活を送るのはいいとして、それまで擬似親子として生活していたのに幼女が成長して年頃になると急に異性として意識しだす描写は多感な時期の女児としては正直キッツいな……というものがありました。ていうか今でもある。最近話題のボーンセクシーイエスタデイってやつではないのか? あと、私の姉妹間でサイボーグおばあちゃんの口の中にゴキブリがはいってしまう件でついつい笑ってしまっていた……笑うような所ではないのに。ごめん、おばあちゃん。


 代表的なものを思い出してみたけれど、総じて印象はやっぱりエグい、エロい、怖い。もちろん面白いんだけども、やっぱりエグい、エロい、怖い……。


 あと火の鳥ガールズは口が悪くて威勢の良い女の子キャラの方が全体的に魅力的だと思うのだが、それは単に私の好みなだけかもしれない。ついでに言えば男装女子好きとしては異形編の左近介さんは大層素敵なキャラクターだと思う。なお肝心の火の鳥に関しては、いつかtwitterでつけられていた「スーパーファッキンバード」の名称が相応しいやつだと思う。……あいつ結構依怙贔屓激しいよな。



 さてどうして何故に『火の鳥』の話を始めたかというと、昔の図書館には漫画といえば学習漫画と『はだしのゲン』と手塚治虫の漫画(当時出ていた角川の愛蔵版みたいなのがメイン)くらいしかなく、漫画が好きで読みたくてたまらなかったのになかなか漫画を買ってもらえなかった家の子だった自分は必然的に手塚治虫漫画を読むことになり、なんだかよくわからんままにエグい、エロい、怖いの洗礼を浴びることになるのだった、という説明をしたかった為である。

 ……この流れでうっかり『奇子』なぞ読んでしまい大いにショックを受けたもんですよ、面白かったけども。嫌いじゃなかったけども(余談だが、何かの記事で手塚るみ子が「思春期に『奇子』を読んで、お父さんがこんなの描いてたなんて! ってショックを受けた」みたいなことを語ってたのを読んだ記憶があるけど、そりゃあそうなるよなあ、そうなるの不可避だなあと……となった思い出がある)。

 あと『アドルフに告ぐ』もこの流れで初めて読んだんでは? 小学生ではストーリーをあまりよく把握できなかったので、今ではこの漫画の登場人物で一番同情を寄せてしまうアドルフ・カウフマンの行動にいちいち納得がいかなかったものである(今ではエリザに対して「コイツ……!」となるが、反面面白いキャラクターでもあるなと思う。物語の終盤近くまでほぼほぼ明朗快活な主人公キャラだったアドルフ・カミルが終盤では無辜の人間を虐殺する側になっているというのがあの漫画で一番抉られる場所であるよなあ……とか語りだすと止まらんので終わる)。



 話のマクラを兼ねて「子供の頃に図書館で手塚漫画読んで大いにトラウマを負った」という説明をしていたら尺を大幅にとっていた。今回語りたかった『一輝まんだら』という漫画もこの流れで読んで、しっかりエグい、エロい、怖いの洗礼を浴びた一作である。




 ※以下、『一輝まんだら』のネタバレを派手にかますので気になる方はバックしてください(今更ネタバレに関する注意してたけど上の方ですでに太陽編のネタバレかましてたな……まあいいか)。



 『一輝まんだら』は西洋列強に蹂躙されまくるがそれに対する有効な手だてが打てず腐敗に身を任せるしかない清朝末期から始まり、最終的には北一輝を中心に様々な登場人物の波乱万丈な人生と戦争の絶えることのなかった近代東アジア史を俯瞰して語られる一大ロマン――のようなストーリーになる予定だった、。非常に雑な説明で申し訳ないが『一輝まんだら』とはそういう内容のまんがである。

 何故、「」とわざわざ傍点をふっているかについてはそれなりにわけがあるので、そのことも含めてもうちょっと説明をしてみる。



 主人公は、無知無学でついでに不器量な農民の娘の姫三娘で、ひょんなことから義和団に参加したことからなんやかんやで革命の闘士の所に身を寄せる。その結果、明治期の日本にたどりついて真の主人公であるらしい北一輝に出会うことになる――という展開になる。

 姫三娘は普段はいたって素直で素朴でまあまあ心優しいこともあるが基本的に難しいことが考えられない単純な田舎娘なのだが、義和団にいた時のある経験から男性の裸をみると狂暴化して相手を殺さずにはいられなくなるという特徴のあるキャラクターである。拷問の使い手やらなんやらを相手に派手に立ち回る大暴れっぷりが読んでいてわかりやすく痛快なキャラクターだった。

 男の裸が作中に出てくるということは当然女の裸も出てくる(可憐な伯爵令嬢の貞操帯姿とかが出てくる。これも私がるみ子だったら「お父さん何描いてるの⁉」ってなるのは避けられなかっただろうなあと思う)。拷問の使い手が出てくるということは各所でキツめの暴力が出てくる。末期の清朝と明治期の日本が主な舞台なわけだから、戦争に革命に差別に勝者に敗者に男に女に……と様々な物語の種がある。というわけでエロと暴力と波乱万丈なストーリーがみっしりつまっていたので、激動の近代東アジア史のうんちゃらかんちゃらという小学生には荷が勝ちすぎる難しそうなテーマについてあんまり考えなくても、それなりに「エロいわ怖いわな漫画だけど、なんか知らんが面白い漫画ではあるなあ」とぼんやりと読み通すことは可能だったわけである。


 読み通すことが可能だったので、なんだか把握しきれないまま最後まで読んだのだがどうにもこうにも子供には「?」な終わり方をしていたのだった。

 流れ流れて日本の新聞社で雑用係として働きだした姫三娘が雌伏の時を過ごしている北一輝と再会して会話して終わっている。物語的に大変中途半端な終わり方である。それまで読んだ手塚治虫の漫画では、納得いこうがいくまいが物語はちゃんと閉じていたのに『一輝まんだら』に関しては物語が全く閉じていない中途半端な終わり方をしていたのだった。

 姫三娘と一緒にやってきた日本で差別された清の富豪の息子はどうしたんだとか、その息子と恋に落ちるもお家の都合で華族のバカ息子と結婚させられそうになった伯爵令嬢はどうなったんだとか(その流れで先に触れた貞操帯の件がある)、それよりなにより姫三娘と北一輝のラブコメが始まったっぽい展開でこの結末はなんだ! 

 ――と小学生なりに首をひねりまくったのだが、結局は「まあ大人の漫画だし子供にはよくわからんけど、大人になれば納得いったりするラストなのだろう」「ていうかひょっとしたらどこかに続きがあって、そこでちゃんとした結末が描かれているのかもしれない」と、自分に言い聞かせるような形で腑に落としたのだった。


 以降約十年、『一輝まんだら』のことをほぼ忘れて過ごして大人になったのだが、ふとしたきっかけで思い出し「そういえば昔すっごいラストに納得のいかなかった手塚漫画があった! 今はもう大人だしちゃんと終わりまで読んでも納得がいくかも! ていうか昔読んだのは実は途中までであるところには真の最終回まで収めた単行本がるかも!」となってしまったがためにいてもたってもたまらず、大人の財力で手塚治虫全集版で買い求めた(ちなみに全集版では全二巻なので多少の小遣いがあれば学生さんでも普通に購入できます)。


 そしてワクワクしながら読んでたどり着いた結末は――なんのことはない、ただの見事な打ち切りエンドをくらっただけなのだった。


 雑誌で漫画を読むことが遅かった子供時分、世の中に「打ち切り」というものが存在することを知らなかった為「なんだかよくわからない変な終わり方」としか思えなかった結末は、実は単なる打ち切り……! そのことが判明したときのガッカリはとても言葉では言い尽くせない。

 クライマックスが昭和の中期あたりに想定されていそう物語が明治で終わり! 日露戦争が終わったとこで大正時代を向かえず二・二六事件の影も形もないまま終了……! 嗚呼! と心の中でよろめいた思い出が今でもよみがえる。



 全集版のあとがきによれば、掲載誌の都合で連載が続けられなかったらしい。手塚治虫は続きを描きたかったらしいが結局はかなわなかったことは、打ち切りエンドが真のエンドになってしまったことから明らかである。言ってもせんないが当時の掲載誌に対しては延々「バカ!」を連呼しまくりたい気持ちが今でもふつふつ湧き上がる。――なぜなら大人になってから読む『一輝まんだら』は本当に面白かったから――。

 ここからどうやって、北一輝の思想だのなんだのにつながるのか、それに登場人物たちがどうからんでどういう結末を迎えるのか未だに知りたくて知りたくてたまらない。イタコに頼んで手塚治虫を降ろして続きを描いてもらいたいくらいに知りたい。それは無理だけど、それならせめてどこかの漫画家か小説家に続きを受け継いで描いてもらいたいくらいに知りたい。手塚家からラストまでのストーリー概要でも書いたメモでも発掘されないものかと本気で夢みてしまう。

 

 そこまでこの漫画に対して思い入れがあるのは、主人公である姫三娘が今まで自分が読んだことのある手塚漫画の女性キャラクターの中ではおそらく一番か二番に好きだからというのも大きいかと思われる。

 不器量であまりかしこくないキャラクターであるということからか美女・美少女キャラにはさせられないような汚れキャラじみた扱いをさせられることも多いけども、体つきはグラマラスというギャップもよく、多少の暴力ではへこたれないところとか、凶暴化した時は圧倒的に強くて敵をぶち殺すところとか本当に魅力的だった。


 だからこそ、この終わり方が辛すぎる……。今からでもいいので手塚プロは実力派の作家あたりに続きを描かせてほしい、頼むから。いいよもう、ブラックジャックの焼き直しとかは! もう! と主張しまくりたい。

 

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