質 ――1

 直下 沙綺羅そそり さきらは駅に降りたとたん、不快感を覚えた。

 浅月 二三也あさづきふみやが失踪してから二か月。浅月は個人的な興味で話が聞きたい、と紹介された人物だ。多少のクセはあるものの頭の切れる面白い男で、何回か飲んだこともある。

 姿を消す直前、届いたメールを思い返す。


 ――街がヤバい。絶対に近づくな。に気をつけろ。


 まったく意味が分からない。あやかって何。街がどうしてどういう風にヤバいのか、何も伝わってこない。

 浅月は霊感のある方だと言っていた。今の新聞社に来る前は、どこぞの雑誌でそういう心霊関係の記事を書いていて自分でも体験があるのだとか。もし方面で何かあったのなら、行くしかないだろう。

 沙綺羅さきらは『歩き巫女』だ。特定の神社に属さず、定住せず、外法箱を背負い各地を巡り歩くのが古来の姿。ただ最近では短期間にせよ拠点を構え、そこから出張するというスタイルに変化している。ただ、荷物は変わらずに多い。


 人間は一人一人、固有の波動を持つ。似たような波動の人たちはすぐに仲良くなるし、逆に波動が合わず『生理的に嫌い』になる場合もある。霊も同じで、見える見えないというのは霊と波動が合うかどうかの問題だ。

 霊の波動は生者とは少しずれた位相にある。霊を見やすい体質はある――波動を受信できるレンジが広いのだ。時間と共に体質が変わることもあるし(子供の方が霊を見やすい)、見えたからと言って過剰に恐がることはない。沙綺羅たちは霊と波動を合わせられるよう訓練している。

 基本的に霊に害はない。霊障とは霊――死者の波動に生者が引きずられてしまって変調をきたすことをいう。こちらから霊の波動を狂わせてしまえば、霊はほぼ波動そのものだから、消えてしまう。はらう際に鳴り物やことばを使うのはそのためだ。危険なのは、物理的にこちらの世界に干渉できるほどのパワーを持った波動、強烈な恨みを持った魂――怨霊だ。

 現在のこの状況は、数多くの経験をしてきた沙綺羅にとっても初めてだった。


 ――街全体から腐ったような匂いがする。


 本当に臭いわけではない。そういう感覚である。

 街のあちこちに異様ながいる。

 コールタールに長い髪の毛を大量にぶちまけたような不定形のどす黒い塊だ。ときおりいくつかの眼球が表面に出てきては沈む。

 醜悪さに目を背けたくなる。行きかう一般人には見えていないようだ――幸いにも、というべきか。

 ふと通りの向こうの少女が気になった。というより、その動きが。

 明らかに黒い塊を避けて歩いている。お下げ髪に黒い縁のある眼鏡をかけた、文学少女といった趣のある少女だ。素人に受信する力があると霊の標的になる危険がある。沙綺羅は彼女の前に回りこむように動いた。

「あなたも――見えるの?」

 声をかけると、少女は泣き出すかのように顔を歪めた。遠くからでは気がつかなかったが、肩が小さく震えている。

「何なんですか、あれ?」

「私にもわからないけど、よくないであるのは確かね」

 沙綺羅は少女の肩を抱いた。

「あれらがどういう風に出てきたのか、話を聞かせて。対処法を考えましょう」

「俺も混ぜてくれないか」

 背後から声がした。どこから現れたのか、無精ひげが伸びた、くわえ煙草のひょろりとした男。顔色が悪いし、やつれて見える。

「――浅月! いったいどこ行ってたの!」

「まあ立ち話もなんだから、コーヒーでも飲みながらにしようや。沙綺羅は荷物多そうだしな」


 三人はファミレスに入り、テーブルを囲む。

「私は鈴森さつきです。高校二年です」

「さつきちゃん、こんなふうになったのはいつからなの?」

「一年位前から、たまに見かけるようになったんです。こんなに増えたのは二か月ほどかな。すごい勢いで」

「近寄ったり、触れちゃだめだよ。引きずられるから」

「絶対触りたくないです」

「……でな、一年前から月ごとの死亡者数が倍近くになってるんだ。調べてみると、ある高校の同じクラスで、担任と生徒五人が死んでる。それぞれ別の事故や事件でだぜ? 嘘だろ、って思ったよ」

「浅月はそれらが全部つながってると思うのね?」

「それらの少し前に、ひとりの女の子が自宅マンションの屋上から飛び降りて自殺していた。それが――」

?」

 びくっとさつきが反応した。

「さつきちゃん、知ってる?」

「クラスは別だったんですけど、ひどいいじめの噂があって。自殺って聞いて――ああ、やっちゃったんだ、かわいそうだなって思いました」

「ふうん……」

「でもしばらくして、いじめのボスみたいな子もおかしくなったり、転校する人もいたし、事故で亡くなる人とか、もうめちゃくちゃで――怖くて」

「さつきちゃんもその――あやかって子が原因だと思ってるの?」

「偶然だって思いたいですけど、でも、本当にあの事件から日常がおかしくなった気がするんです」

「こいつのたちが悪いのは、ターゲットだけじゃなくて家族や関係者もみんな巻き込んで殺してるらしい点だよ。まるで見境ない――遊んでるみたいに」

「たいていは一人二人で気が済むはず。そういう意味ではすごく厄介な種類の怨霊なのかもしれない」

「あの、ちょっと見てほしい場所があるんです。全く関係ないかもしれないんですけど、すごく――気になっていて」

「あ、うん。少しお手洗い寄ってから付き合う。さつきちゃん、あんなやつらに負けちゃだめだよ。気を強く持ってね」

「ありがとうございます、直下そそりさん」

 沙紀羅が手をひらひら振って席を外す。

 さつきはそれを見送って、声を出さずに笑った。



 沙綺羅は弓袋から小ぶりの梓弓を取り出し、バトントワリングのようにくるくると回す。弦の張りを確かめ、はじいてみる。

 びいん、と大きな音が鳴った。

 弓矢は邪をはらうという。破魔矢は今でも神社で売っているし、弓を鳴らす退魔儀礼『鳴弦めいげん』は平安から続く儀式である。

 霊の波動に対抗するための大事な武器だ。

「……工事現場?」

 さつきが連れてきたのは、高いビルの間にぽっかり空いた更地だった。大きめのユンボ――パワーショベルがあり、ドラム缶で廃棄の木材を燃やしている。ただし、工事をしているはずの人間はいない。奇妙な不在感があった。

「ここに何があるの」

 さつきが沙綺羅の背後から近づく。うなじに白い手を伸ばして――。

 沙綺羅はくるりと振り返ると、いつの間にか手にした矢を、さつきの顔に向けて突いた。

 競技用の矢ではない。人を殺すための武器だ。腸抉わたくり――逆刺かえりのある、鋭いやじり――がつけてある。

 左目を貫いた。


「ひどいなあ。肉体からだ

 痛がりもせず、さつきは矢を引き抜いた。刺さった眼球が一緒についてくる。

 ぽっかりと空いた眼窩から黒い粘液が溢れだした。見る間に足元にたまり、黒い沼と化した地面から別の少女が顔を出した。さつきの身体はそのまま倒れ込み、ショック症状を起こし痙攣している。出現した少女からは、今までとは明らかに違う瘴気が吹きつけてきた。

 あちこちから黒いたちが、ゆっくりと集まってくる――。

「……あなたがね」

「バレてるとは思わなかったわ」

「私の苗字、変わってるでしょ。いちいち説明するのがめんどくさくて、自分からあんまり名乗らないの。初対面なのに間違えずに呼ぶことなんてありえない。あらかじめ私の事を調べてたのよね」

 びぃん。

 弓が鳴る。

惟神霊幸倍坐世かんながらたまちはえませ

 朗々たる声が響き渡ると黒いたちが嫌がるように身をくねらせる。

「それが祓いの呪文ってわけね」

「そんなものはないのよ。神様があらわれたら邪魔をしない。それだけ」

 沙綺羅は続ける。

「――きわめきたなきもたまりなければきたなきはあらじ。内外うちと玉垣たまがき清浄きよくきよしもうす――」

 びぃん。

 澄んだ波動を響かせる。

 澱んだ水を押し流す清流のように。

 黒いたちが、ほどけてゆく。

「だけどあたしにはそこまで効かないわね」

 あやかは近寄ろうとするが、足が動かないのに気づく。

「!?」

 いつのまにか黒スーツの男が数人、呪符を貼りつけた杭を地面に打っていた。

 沙綺羅に気を取られている隙に、結界を張られた――。

「あなたみたいなヤバいやつ、ひとりじゃ手におえないもの。陰陽師たちに連絡して来てもらったわ。大人しく封印されなさい」

「……苗字で呼ばれるのが嫌なの? じゃあ、沙綺羅って呼んでいい?」

 ――この余裕はなに?

 あやかの様子は変わらない。それが恐ろしい。

「あたしはこの街から出たい。なぜだか出られなくなっちゃったの。こんなところで地縛霊になるのは嫌なのよ」

「それは一種の安全装置セーフティよ。あなたみたいなのにふらふら動き回られたら困るわ」

「沙綺羅のなら街を出られるかも、と思ったのよ。取引しない? あたしを出してくれたら、この街の人をもう殺さないと約束する」

「早く封印してしまって!」

 沙綺羅は陰陽師たちに叫んだ。

「考えてよ、沙綺羅。いくら人数を増やしたところでこの街の人間全てを警護するわけにはいかない。いわば街に住む全員を人質にとったってわけ」

 さつきは――あやかが使っていた身体の子――もうぴくりとも動かなくなっていた。おそらく死んでいる。沙綺羅は答えた。

「そんなの飲めるわけないじゃない。あなたが約束を守るかどうかさえ私にはわからないんだから――」

「残念。――隣のビルの屋上って見える?」

 思わず見てしまった。人影? 多すぎる。二十人ほども何をしてるんだ――沙綺羅は気づいた。まさか。

「やめてっ!!」

 ひとり突き落とされた。

 あんなところにまで弓鳴りは届かない。

 無様な悲鳴を上げながら、背広を着たサラリーマン風の男がどすっ、と降ってきた。

「もう左に二メートルくらいね。もっと軽い方がいいのかな――小学生とか」

 人間を落としてその肉体と血で呪符をけがし、物理的に五芒星の結界を破るつもりだ。その発想がもう、まともではない。

「……人ではなくなったのね、あなた」

「それは事実だから罵倒にはならないわ。あたしは<わざわい>。老いも若きも男も女も、分け隔てなく平等に殺すの」

 呪符を貼った杭に落とされた少女の頭が直撃し、杭と共に倒れた。まだあどけない顔。頭が砕け、白いものがのぞく少女が息絶える時、沙綺羅と目が合った。

 膝から力が抜けそうになる。できるなら悲鳴を上げて逃げ出したかった。

 でも、できない。

 私は神様の意のもとにある。を放り出して自分だけ助かるなど――。

 気力を振り絞り、沙綺羅は弓をかざす。

 その弓が、後ろから奪われた。

「浅月!?」

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