二十九匹め『どっとはらい』

 あぐらをかき、礼人のスマートグラスで作品を読んでいた刀祢がほぐすように首を回した。

 天井を見上げた顔が待つ二人へと向けられる。

 

「両方とも不愉快ふゆかいだ」


 眉間にみぞをつくって刀祢は言い切った。即座にクシビが反応する。


「それが――」

「目的だって言うんだろ? 分かってるよ、別に悪いとは言ってない」


 さえぎって刀祢は話をその隣へふった。


「礼人はこいつの、読んだのか? どう思った?」


 あごでクシビを指して訊ねる。

 ためらいつつも礼人。


「……正直に言って、八ケ代先生にそっくりだと。一瞬ホンモノかと思ったくらいで」

「俺もそう思う。不本意だけどな」


 テンポや舞台の選び方、ネタのキレまで遜色そんしょくなかった。フォロワー型作家の究極、それを見た思いがした。

 刀祢はほんの少し複雑そうな、けれど軽い調子で告げる。


「まあ俺をつぶす気で書いたんだろうからな、当然こうなるだろう。もうここまで真似できるなら充分じゃないか」

「っ」


 クシビがのどをひきつらせた。礼人には分かる。あれは泣く前段階だ。


「ぼ、僕のはどうでしたかっ!?」


 慌てて差し込んだ。刀祢が彼女の思いに気付いているかどうかは分からないが、あまりにむごい。


「アヤトのは……お節介せっかいだな、お前も」


 刀祢は苦笑。その指がページをめくるように宙を滑る。


「まあよく出来てたよ。文体がどう見ても落雷坂クシビフォローなのは気に入らないけどな……アヤトっぽくないってこと以外はいい新鮮さだと思う。こういうのも書けるんだな」


 それは暗に誰のことを題材にしたか分かりやすくするための仕掛けだったが、存外キャラやストーリーの色にもマッチしていると思う。

 先に本人に読まれてしまう想定外があったが、何も言われなかったということは彼女にも心境の変化があったのかもしれない。


「前半がわりと綺麗に整ってるから、後半のギャグシーンはもっとぐちゃぐちゃにしてもいいかもしれない。蓄音機も惚れさせるとか」

「ふくっ……なるほど、勉強になります」


 思わずふき出した時、睨むクシビと目が合う。表情から察するに「何をなごやかに勉強しているの」といったところか。


(そんなこと言ってももう書き終わっちゃってるわけだし)

「ああでも、このラスト……」


 すっと宙をフリックした刀祢に礼人ははっと顔を上げる。


 ――王女の押しが勝り、ギロチンの刃が落ちそうになったその時。

   更なるクーデターにより王女の処刑が中止された旨が報せられる。

   そして。


「この終わり方はいいな。柔らかいし万人受けする。厳しくテーマを突き付けてくる作風もいいけど、これも俺は好きだ」


 ――王女はかつぎあげられ女王となりそれまでと変わらぬ日々を過ごす。

   ギロチンは刑具置き場で長い歳月を経て、次に引き出された刑場で自身に横たえられた少女にかつての誰かの面影おもかげを見、ふたたび恋に落ちる。


 いわゆる“天丼くりかえし”を予感させるラスト。

 に、なるはずだった。

 礼人はクシビをうかがう。


「……?」


 彼女はスマートグラスの奥の目をすがめ首をかしげている。

 礼人はきのう寝る直前に彼女が書いたラスト案を、先の案と差し替えてほぼそのまま採用していた。


 ――不本意にも処刑をまぬがれてしまった勇ましい王女様。

   彼女は謁見えっけんの間に置いた処刑具から断頭女王とおそれられつつ、気ままに歌い、たまに真面目におれを出したりして自由に暮らしましたとさ。

   めでたしめでたし。


 道の異なる二人の一瞬の交わり。

 火花のようなそのはかなさをこそ美しいと以前の礼人なら信じただろう。

 けれど今は二人を繋ぐものがあってもいいと思えた。本来別々だったものが隣り合う線になる軌跡きせきもまた人の胸をうつだろうと。

 ふいに廊下から梓が顔をのぞかせた。


「兄さんちょっとー、ニワトリ逃げてるから小屋に戻してきてー」

「はあ!? 何やってるんだまったく」


 悪いな、と言いおいて刀祢は腰を上げる。


「あ、や、八ケ代先生!」


 出ていこうとするその背中に礼人は呼びかけた。これだけは、と。


「この小説、僕はひつ字がいなかったら書きませんでした」


 書けなかった、ではなく書かなかった。


「……何故だ?」

「先生の言った通りです。僕らしくない。正直半分くらいは上手くいかないかもって思ってました」


 昔の兵法家は『兵は国の大事である』と説いた。糧食、輸送、外交、一日に千金をついややしてようやく軍隊は領地を発し、決着までその出費は続くのだと。

 小説家にとっての執筆も同じだ。長編一つに費やされるコストは作家の職業人生の数パーセント以上。商業作家なら別に締め切りという制限もある。


「それでも書こうと思ったのはひつ字がいたからです。アシストAIは執筆のコストを軽くする。もちろん先生が言ったような弊害もあると思いますけど」


 その道でトップクラスの力を持つ作家たちが、生涯しょうがいひとつの作風に固執こしつせざるをえないというジレンマ。それを打ち破る可能性をひつ字は秘めている。


「僕じつは、八ケ代刀祢が真面目に書いた推理ものを読んでみたいって思ったことがあるんです」

「なっ、にを……」


 振り向いたその目が一瞬、想像を巡らせるように泳いだのを礼人はみた。

 クシビがそれに食いつく。


「あら、リクエストしていいの? なら私は異世界異能バトルを推すわ」

「アホか! ファンタジーにファンタジーを重ねてどうする、絶対書かないぞ!」


 怒鳴ると逃げるように本堂を出ていく刀祢。クシビが呟いた。


「……どうかしら」

「とりあえず気持ちは伝わったと思います」


 あとは本人にゆだねるべきかもしれない。無理強いしても意味がない。

 クシビも同意見かどうかは知らないがひとまずほこを収めることにしたらしかった。


「そうね……。ところであなたの作品の最後だけど」

「はい?」


 それは言わずもがな、クシビが書き渡してきた部分だろう。


「ここ、いくら私に寄せたっていっても似すぎじゃない? どこかから地文ベースを持ってきたんじゃないでしょうね?」

「……は? えっちょ、おまっ」

「お前?」

「いえっいえいえ、その! それは――」


 まさか覚えていないのか? ありうる。礼人の部屋に来た時点で一種の夢遊むゆう状態だったとしたら。


「それにこのキャラ……あなたの過去作にはない絶妙ぜつみょうなチグハグさだわ。モデルがあるんじゃなくて? まさか私の作品から――」

「急に節穴フシアナ化するのやめてくださいよ! えっ本当に分からないんですか? 創作物から作者が透けるうんぬんの設定どこいったんですかふぶゥっ!?」

五月蠅うるさい」


 動揺のあまりまくしたてる礼人の頬にクシビの平手裏ひらてうらがめりこんだ。


「誰が設定よ。キャラのモデルなんて読み取れるはずないでしょう。今書いてるキャラならともかく」

(書いてるどころか生きてるんですが)


 自分のこととなると分からないとかそういうアレだろうか。

 何と説明したものか迷っていると、すうっと長い影が二人の間へ差し込んだ。


「どうも、お待たせしてすいませんッス」


 目の前に置かれる大皿。青菜と焼き豆腐の煮びたし。

 エプロンを着た神辺は気さくな笑顔でお辞儀をした。


「よく顔を出せたわね」

「先生ちょっと!」


 思ったから言いましたとばかりのクシビをさすがにいさめる。神辺は申し訳なさそうに苦笑いした。


「アハハ……いやもうほんと、昨日はすみませんでしたっ!」

「いいんですそんな土下座とかしなくて!」


 何事かと集まる視線に礼人は焦り、なんとか顔をあげてもらう。


「えと、昨日はあの後どうしたんですか?」


 それから結局ききそびれていたことを訊ねた。

 神辺は妙に嬉しそうに、というかニヤつきながら頭をかく。


「配置したデータをすべて削除して……あ、それは梓さんがジブンに聞きながらやってくれたんッスけど。へへへ」

惚気のろけるならよそでやってくださる?」


 容赦ないクシビの舌鋒ぜっぽうにも笑って首を振る。


「いえいえそんな! ……で、ジブンはクラウドにアップした元データまで消してくれるように頼んだんッスけど、梓さんがせっかく作ったんだから、って言ってくれて。メッチャ優しくないッスか!?」

鬱陶うっとうしいわねえ」

「言葉選んでください先生!」


 刀祢からの当たりがキツかったせいか本当に心底わずらわしそうなクシビをなだめた。


「それで……よかったら意見をもらったら、って言われたんス。その、お二人に」


 おずおずと切り出した神辺に礼人は思わず問い返した。


「僕たちにですか?」

「はい、作家の先生がたって聞きました。ストーリーのプロからみてジブンの作品はどう見えたかなと思った次第ッス」


 それはなんというか、とても。


「へえ……? それは批評レビューして欲しいってことね?」


 不味マズい。ズオッと膨れ上がった負のオーラに礼人は慌てて口を開く。 


「ぁ、あ、落雷坂先生、それはちょっと」

「ふざっけるんじゃないわよ、何なのあの雑な伏線は! お望み通り頭から最後までツッコんであげるわ! そもそも――」

(あああ、もうダメだっ)


 よほど腹にえかねていたのだろう。

 作家の仕事の半分は自分の書いた文章のあらさがし、すなわち推敲すいこうだ。自然、そういうことが得意になる。他人のあらまで目につくようになる。

 礼人はいつ自分に跳ね返ってくるか分からないので普段から口つつましく暮らしているが、クシビはそんな性格でもないだろう。


 結局その後、礼人は的確かつキレがエグいクシビ’sレビューが終わるのを耳を半分ふさいで待つほかなかった。

 ヘロヘロになって戻っていく神辺の背中に心で合掌する。

 

「……そういえばどうして梓さんだったんでしょう。ラスボス。あんなにしたってるのに」


 あえて触れていなかった疑問を口にした。

 昨夜の異形いぎょうのもととなった世話人。その姿は確かに梓だった。モデルにされた本人がそれを知らなかったらしいのは不幸中の幸いといえるだろう。

 クシビはなんだそんなこと、と髪をかきあげる。


「作家は必ずしも素直に気持ちを表さないものよ。隠せないのは執着しゅうちゃくの度合いだけ。私だってよく美少女を血まみれにしたりするけど憎くてやってるわけじゃないわ」

「なるほど、説得力がありますね」


 特に前半が。と礼人は心の中だけで付け加えた。


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