十六匹め『宴のざわざわ』

 飲み食いのペースも落ちてきた頃。

 礼人は雰囲気に酔った心地であたりを見渡した。

 少し離れたところでクシビが子供たちと遊んでいる。たまたま近くを通りがかった子に声をかけ、ごく自然な流れで混ざっていったのだ。あの性格や服装が珍しいのか子供たちの多くがその周りに集まっている。


(もしや小さいものが好きなだけなのでは……?)


 ひとりウーロン茶で唇を湿らせつつ礼人は怪しむ。

 刀祢はクシビと離れたことで気がゆるんだのか、座ったまま船をいでいた。たまに思い出したようにコーヒー割りが作成される。


「アヤトぉ、しっかりやれよ……お前は……ぐぅ」


 その寝言に苦笑したあと、礼人はふと深刻な顔になった。

 明朝までに書くコメディのことだ。まだネタどころかそのきっかけすら掴めていない。


(短編なら、アイデアひとつ……)


 充分に飛躍ひやくした発想さえあれば組み立てることは難しくない。曲がりなりにも昔笑いを書こうと苦しんだ分だけの蓄積はある。実を結ばなかったとはいえ。


(パロディは味付け、オリジナルはキャラクターが決め手になる)


 いずれも刀祢やクシビと比べて自分に利があるとは言いがたい。

 なら、と礼人の指が机を叩き始めたとき。


「失礼しまっス」


 ふらりと細長い影がテーブルへ落ちた。

 見上げるとその通りの形をした優男。たしか梓に紹介されたお手伝いの若い方、神辺かんべ、と呼ばれていたか。肩から釣りに持っていくようなビニールのクーラーボックスをさげている。


「飲み物は足りてまスか?」


 返事をするより早くそこからウーロン茶、メロンソーダが卓上へ追加された。


「どうも、ありがとうございます」

「イエイエ……ありゃ?」


 クーラーボックスを探っていた神辺の手が止まる。


「ハイボールって飲まれまスか?」


 350ml缶を取り出して見せると、空になったらしいクーラーボックスを潰した。


「いえ」

「そうっスよね」


 神辺は嬉しそうにうなずくと対面に座り込んだ。ふし立った指がプルタブを開ける。

 ふわっと花のような香りが鼻先をかすめた。


「美味いっス」


 邪気のない笑顔。礼人より年上だと思うのだがへだたりを感じさせない。

 刀祢をうかがうも机に突っ伏して停止していた。礼人はいったん構想こうそうから離れることにする。


「お手伝いの方だと聞きました」


 そう切り出すと丸い目がきょろりと動いてこちらを向く。


「え、は、あぁ、そうです、ええ」


 話しかけられたのが以外だったのか神辺はしきりに頷いた。


「ちょっと長い大人の夏休みっていうか。家にいても邪魔だからって家族に勧められて」


 どうもあまり突っ込まない方がいい話だと礼人は察する。


「それは大変ですね」

「イヤイヤそんな! 何かスミマセン気を遣わせて」


 神辺はくすぐったそうに身をよじると丸く刈り上げた頭をかいた。


「新鮮っスよ。ジブンは伝奇小説が好きで小さいころは古い屋敷やしきなんかに憧れたもんスけど、ここはリアルにそんな環境っスからね」


 その目がチラリと刀祢をうかがい、声のトーンを落とす。


「知ってます? ここ、もとは霊能寺れいのうでらだったらしいっスよ」


 つられて礼人も前がかりになる。そういえば梓が、おはらいがどうのと言っていたのを思い出した。


「なんでも動物霊が専門だったとか。狐憑きつねつきや犬神憑いぬがみつき、あとはイタチなんかも祓ったと」

「イタチもとりつくんですか」


 初耳だった。いずれにせよ時代錯誤じだいさくごな話だ。いや、もしかするとこれも地方再生の余波かもしれない。古い伝承や迷信めいしんの復権。


「憑きますよ。猫は七代、イタチは九代」


 神辺が不意に真顔になったので礼人はごくりとつばをのんだ。


たたれる動物っていうのは限られるんです。ひとつに人里近くでみ、ひとつに食用でない。クマやウサギが祟ったなんて話は聞かないっスよね?」

「そう、ですね」


 それを言うならイタチの祟りというのもさっきまで礼人は知らなかった。


「犬猫は昔からペットとして飼われてきた歴史がある。キツネやタヌキも猟師りょうしは普段は避けるそうです。肉がまずいらしい。イタチはそもそも小さい」


 つまり、と神辺は胸を指で突いた。


「無用な殺生せっしょうは霊的な罪だと昔の人は考えたわけっス。不明の病気や精神症がコミュニティの中に現れた時、患者の過去にさかのぼって原因探しがはじまる。で、ちょうど都合よくイタチやヘビなんかを打ち殺してしまっていると――」


 ――その時点で“憑いた” と判断される。

 礼人の想像よりずっと合理的なその説明に生々しいイメージが去来した。

 暗い土間どまの隅で掘り返された獣の死骸しがい。固く閉ざされた板戸。

 その前で声をひそめ話し合う大人たちと、中から時おり聞こえるすすり泣くようなうめき。


「ここじゃ多い時は七、八人、そういう患者が共同で暮らしていたこともあったみたいスよ。皆ばらばらの故郷を離れて、どんな気持ちで過ごしたんスかねぇ」


 しみじみと天井を見つめて神辺は締めくくった。まるで往時へ寄りうようなその視点に、礼人は親近感を覚える。それはまるで。


「あなたは――」

「何してるんですか、神辺さん?」


 すうっ差し込む新しい影。

 梓が立っていた。神辺のちょうど背後に。


「うひっ!」


 ぴょんと尻を浮かす神辺。おそるおそるといった様子で振り返るとひきつった笑みを浮かべた。


「あ、ずさチャン、いやあ、半端に飲み物が余っちゃってさぁ。サッと片付けてたんだけど」


 梓はじろりと卓上の缶と礼人を見る。それからふっと笑った。


「もう仕方ないですね。食器を片すので手伝ってもらえますか?」

「ハイ、はい、もちろん!」


 神辺はさっきまでのほろ酔い加減がウソのように機敏きびんに動く。


「牧さんはゆっくりなさってくださいね。すみませんが兄をよろしくお願いします」


 梓もぺこりと頭を下げるとそれに続いた。


(よく出来た妹さんだなあ)


 礼人に兄妹はいない。欲しいと思ったこともなかったが、ほんの少し刀祢が羨ましく思えてしまった。


「……婿むこにくるか? アヤトならいいぞ」


 いつの間にか刀祢が顔をあげている。

 その寝ぼけまなこは立ちはたらく梓に、声は礼人に向けられていた。


「はっ? い、いやっ、僕はそんなつもりじゃ」

「んぁ、そうか、いいアイデアだと思ったんだけど……」


 刀祢は何事か口の中へ言い残したまま再び机に沈んだ。


「……間に受けるなよ」

「え、あ、はい」


 突っ伏したままのもった声に礼人は冗談か、と息を吐く。それはそうだ。身内を作家にとつがせようとする作家など業界中を探してもいないだろう。


「昔の話だ、ずっと……」

「え?」


ぎゃあっと子供の叫び。

声のした方を見やれば、正座したクシビの対面で男の子がたたみに転がされていた。


「お次は誰? くす」


 どうやら腕相撲うでずもうらしい。机に片腕を立てたまま泰然たいぜんと微笑むクシビ。

 まるでシャチに目を付けられたペンギンの群れのように子どもたちが互いを押し合う。


「辰野、いけって!」

「お前だけだろ、やってないの!」

「えぇ……うぅ~ん」


 眠そうな目をした高学年くらいの少年が押し出された。

 向かい合って手を組むと、クシビが少年に笑いかける。


「いつでもどうぞ」

「……っふ! くぅ~……ッ!」


 少年は力をかけるが腕を倒すことはできない。

 必死さを楽しむようにクシビはじわじわと優勢に立ち、やがて勝利した。


「あぁ楽しかったわ。それじゃお姉さんはこれからお仕事だから」

「もう来んなババア!」

「んー? 誰かしらぁ今言ったのはー?」

「ぎゃああ!」


 逃げてくる子供と早歩きで迫るクシビ。

 凄みのある薄笑いが何かに気づいたように礼人の隣へ向け固定される。


「あらぁ?」

(ぞわっ)


 礼人はとっさに刀祢を小突いた。

 完全に寝落ちしていた彼はそれでようやく顔を上げ、同時に危機を悟ったらしい。


「刀祢さん、風邪をひいてしまうわ」


 クシビの猫なで声。


「お休みになったほうがいいのではなくて? なんなら部屋まで付き添いましょうか?」

「……あぁ、そうだな」


 よだれをぬぐった刀祢はその少年のような髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。


「寝る。アヤト、ついて来い。お前の部屋へ案内してやる」

「は、はいっ」

「んん、もう」


 立ち上がり思いのほかしっかりした足取りで歩き出す刀祢。

 礼人も慌ててそれに続いた。不満げなクシビが不意に笑う。


「刀祢さん、明日は楽しみにしていてね。綺麗に未練みれんを断たせてあげる」


 その声は慈愛すら感じさせるようで、かえって礼人は背筋が寒くなった。


「俺よりもまずアヤトに負けないことを考えたらどうだ?」

(あ、煽らないでください先生っ)


 パチリとうなじがはぜるような敵意を礼人は首をすくめてやり過ごす。

 だがそれは続く刀祢の言葉で霧散したように感じられた。


「それに何を書こうと俺の気持ちはおよそ変わらない。正直もうどうでもいいんだ」


 あるいはそれは礼人自身のショックだったのかもしれない。


「AIの参入で創作はさらに商業主義へ取り込まれる。これまではそのせめぎ合いの殿しんがりをやってるって矜持きょうじもあったけどな。 あんなものを被せられて、虎の子の感性まで削って付き合う義理はない」

「で、でも、それは――」


 刀祢次第ではないかと口を開こうとした礼人を振り返った目が射抜いぬいた。まるで異種族を見るような眼差まなざしで。


「アヤト、お前の新作な。過去作とそっくり同じ比喩が少なくとも七つあった。これまでのお前ならきっとそれぞれに別の表現ができたはずだ」

「っ、そんな……」


 まさか、とは言えなかった。礼人自身、ほんのわずかに既視感きしかんをおぼえる箇所があったのは事実だ。ただいくら自作とはいえ細かな表現をすべて覚えているわけではない。


――待っているのは作家の枯れ死にだ。


 刀祢の言葉がよみがる。

 反論は封じられた。自分がその証明となってしまった。

 礼人はそれ以上はなにも言えず、案内されるままついていく他なかった。

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