五匹め『パチパチうす暗闇』

 トレーニングのあとはきちんと休む。

 回復時に強くなるのは筋肉も脳も同じだ。

 翌日、礼人はリビングのソファに埋もれていた。

 手元のタブレットにはひつ字がきのう見せたがっていた新作が開かれている。

 活字を追いながら気になったところにマークをつけていく。


(相変わらず面白い)


 ほのかに礼人の作風をかもすそれに一人うなる。

 “旧世界のしるし”と呼ばれる巨大な力をめぐって二大国が争うスペクタクル風味のファンタジー。

 片国の若き騎士が主人公で、彼には“印”の力を引き出す素養がそなわわっている。それは本来敵の王族しか持ちえないものであるにもかかわらず。

 大きな力への戸惑い、戦いの中で明かされる出生の秘密、敵国からの使者、恋愛ロマンスからの主家との決別。まさにお手本のような筋書すじがきをテンポよくなぞりながらも、緊迫する戦闘や幻想的な世界観、魅力的なヒロインが読み手を飽きさせない。

 でも、ととおしで読み終えた礼人は天井を見上げた。


「どうして主人公は出奔したんだろう?」


 ひとつだけに落ちない部分がある。

 自身の出生を知った主人公が使者の手引きによって敵国へとわたる転換点。その動機がいまひとつぼやけている。

 時間は昼を回っていた。

 ふと卓上のヘッドマウントディスプレイが通知ランプを光らせているのに気付く。

 かぶった。


『どうでしたか、センセイ!?』

「うわあっ!」


 超至近距離、3Dモデルの断面が見えるレベルの位置にひつ字がいた。


「ひ、ひつ字、ちょっと離れて。見えてるからっ歯列とか眼球とかっ」

『はぇ、やっ、センセイのエッチ』


 ひつ字は乙女のようなリアクションで身体を離す。どうでもいいけどそんな嬉し恥ずかしな絵面えづらじゃなかったなと礼人は思った。


『それより今回のは自信作なんです! ぜひ評価をください!』


 にじりよってくる彼女を押しとどめる。その顔からは無数のスターが放出されていた。


「わかったから、その効果エフェクトを引っ込めて。CPU使用率がすごいことになってる」

『はいっ、やったぁ!』


 まあ疑問もわいたところだしちょうどいいと礼人は再び原稿をり始めた。



「……ってところが気になったんだけど」


 おおむね感心したむねを伝えてからくだんの疑問を口にすると、心底から上機嫌そうなひつ字は声を弾ませた。


『それはですねぇ、使者のヒロインがとっても可愛かったからです!』


 なぜ主人公が祖国を抜けたのかという問いへの答えだ。

 まばたきする礼人にひつ字は不安そうに眉尻まゆじりをさげた。


『だ、ダメだったでしょうかっ?』

「ああ、いや」


 愛にまさる動機はない。なるほど王道だ。もっともそれなら主人公は今のような純粋な性格よりも、はじめしゃに構えているくらいのほうがえると思うが好みの問題だろう。


「けどそういうことなら掘り下げて書いた方がいいと思う。これだけじゃ伝わりにくい」

『なるほどー、こんな感じですかね?』


 ひつ字がむぅっと両こぶしを握ると、該当シーンのテキストが書き変わっていく。

 主人公が抱えてきた純粋さゆえのり切れなさ。周囲が未熟で青臭あおくさいと断じていた性質をヒロインはたった一言で肯定する。印象的で決定的な《出会い》のシーンだ。


「……うん、いいね。ラストも変えたほうがいい。新たな敵国っていう大きな視点より、主人公とヒロイン二人に注目する形に」


 一瞬でこれだけ修正ができてしまうのだから、筆を折ると言った刀祢の気持ちも分かると礼人は思う。だが同時に宝石の原石をみがくような興奮もあった。きっと編集者にとっては打てば響く理想の作家ともなるだろう。


『じゃあ主人公に政略結婚の話が持ち上がるっていうのはどうでしょう? 当て馬ですよ当て馬!』


 無邪気なでさらりと残酷なことをいう。礼人であればキャラへの愛情との狭間はざまで数夜悩み続けるような展開だ。それは極端な例にせよ、新たな障害を作るにあたってニンゲン作家には責任を負うための心の準備が必要になる。


「……別に無理して“引き”をつくる必要はないと思うけど」


 見る限りこの小説は綺麗にまとまっている。それこそストーリーの設計図通りに、すべての問題が片付いている。だがひつ字はきょとんとして礼人を見た。


『それだとイマイチ盛り上がらなくないですか? “めでたしめでたし”で終わるより“めでたし、とでも思っていたのかァー!”の方がいいってわたしは習いましたけど』


 なんて前時代ぜんじだい的な、と礼人はげんなりする。それは――


「それは……ニンゲン作家の理屈だ。世界観やキャラ設定を一から作るのは大変だからシリーズものにしたがる。君はその辺りも一瞬で出来ちゃうわけだから、やりたいことが終わったなら次の作品へ移ればいい」


 そもそもが安定した収益を生むための苦肉の策なのだから。むろん大長編があってもいい、だが本来それは相応ふさわしいテーマがあってこそのもの。

 むぅ、とひつ字は珍しく難色を示した。


『たしかに出来ちゃいますけど。やっぱり引きはつけた方がいいと思います。もし人気がとれたら続きが書けますし、とれなくても塩漬しおづけにしちゃえばいいわけですから』

「あんまりなことを言うな! 引くだけ引いといて続編が出ない作品のファンはずっともどかしさを抱え続けることになるんだぞ!」


 あの作品とかあの作品とか、とやりきれない思いを礼人は馳せた。誰にでもあるだろう。功利主義の果てに目的を失った作品は、水に落ちた砂糖菓子のようにぐずぐずな印象だけを残して消えていく。


『その時はもっと面白いものを作って相殺すればいいんじゃないでしょうか。三本のうち一本を人気作にできれば読者満足度的にはむしろプラスだと――』

「ふざけるな! ひつ字、君には……誰かに何かを伝えようって気持ちはないのか!?」


 思わず大きな声が出た。


『無いですよ?』

 

 直後。

 急に視界が薄暗くなる。チカチカと部屋全体が明滅する。


(……雷? さっきまで晴れてたのに?)


 ディスプレイ部分を額へスライドさせて窓の外を見た。だが。


「……あ、れ?」


 部屋は明るかった。外にも雨の気配などまったくない。

 見間違いかとかぶり直したその画面の中。


『それって意味のあるコトなんですか?』


 暗く明滅する世界の中央で、ひつ字はきょとんとして小首をかしげた。

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