最強なソフィは今日も猫を撫でる。―百合な母とハーレムな息子は現代でファンタジーする―

恒石涼平

第一章 主婦、日本にやってくる。

第1話 主婦、猫と共に世界へ。

 上空一万メートルをかけるアルミニウム合金のボディとプロペラで出来た小型飛行機が、燃料石カーストーンと呼ばれる魔法の石を使ったレシプロエンジンを唸らせながら濁った空気を排出しては大きな音を響かせていく。

 地上には人間を中心とした八つの種族が入り混じり、科学と魔法で出来た都市にはガラスで囲まれた高層ビルや宙に浮いた住宅たちがこの世界の異常さを表している。

 最もその異常さに気付けるのは、この世界でたった三人しか居ないのだが。


 その三人の内の一人である少女はその真っ白な髪を床に垂らし、飛行機よりも高い空中で女の子座りのまま無表情に世界を見下ろす。その少女は手に持った真っ黒な拳銃と共に肘から下をブラブラと揺らして、退屈な風に溜め息を吐いた。


『――こんな世界、早く亡くなっちゃえばいいのに』


 たった一人の空間で何十、何百億もの生物を観察し続ける日々は億劫で退屈で、特に人々の争いは見る価値すら無い。自ら住みやすい環境を次々と整えていく人とは違って、猫や犬など人が動物と名付けた生物を見る方が心が休まるような気がする。

 そんな少女は今日もお気に入りである都市の路地裏に住む猫を見ようと世界を覗き込んだ。目の前の丸い世界の小さな小さな世界を拡大するように見つめていく。そこに居たのは一匹の猫と、それを取り囲むように網の付いた棒を構える人々の姿だった。


『……どうしよう。猫ちゃんが』


 そこが人々の作り上げた都市である以上、人は残酷にも猫を自分たちの邪魔ものとして捕獲してしまうだろう。時に殺し、時に誰かに飼われ、だがそれでは少女が好きな猫の気ままな生き方は見られなくなってしまう。

 どうにか出来ないかと思った少女だったが、また思い出す。自分はこの世界に触れる事が出来ないと。自分がこの世界に干渉する力は無いのだと。


『誰か……猫ちゃんを……』


 その声が聞こえたのか、否聞こえる筈は無いのだがその路地裏へと忍び寄る一つの影を少女は見た。


「アンタたち、そこの猫ちゃんをどうするつもり?」


 真っ黒な髪を頭の横で一つ括りにし、結ばれた一本の髪は地面へと触れそうな程に長く伸ばされている。百六十センチ後半の身長にスレンダーな体型のその女性は貫禄や見た目で考えると二十歳位だろう、しかし少女の知り得るデータには三十歳と見える。平らな顔に丸みを帯びた赤い眼鏡の奥には髪と同じ色の釣り目を携え、その表情は怒りに燃えていた。


「誰だあんた? こいつは今から俺たちが保護するんだよ」

「俺たちは公務員だからなぁ」

「此処には害獣が一杯いるからな、俺たちが処理しないとな。お前も俺たちが保護してやろうか? へへへ」


 猫を取り囲む三人の男たちは作業員のような服を着ており、その胸の辺りにはこの国の公務員の証であるエンブレムが縫い付けられている。だが彼らの表情は国を背負う責任ある者の顔では無く、その行為を楽しんでいるような下卑た笑みだった。それを見た彼女は眉をピクリと動かす。


「その可愛い猫ちゃんが害獣ですって? 信じられないわね」

「信じられないも糞もねぇよ。とりあえず一般人は仕事の邪魔だから行った行ったぁ」


 彼女の質問に彼らは追い払うような手振りをしてから猫へと近付いていく。彼らにとって一般人である彼女は取るに足らない存在らしく、興味すら浮かばないようだ。

 まぁそこが暗い裏路地で無ければ彼女の美しさに惹かれていたであろうが、残念ながら顔もよく見えない薄暗さだった。


「そう、一般人ねぇ。……とりあえずアンタたちは眠ってなさい」


 遠い空の彼方から見ていた少女はその様子を見て唖然としていた。彼女は三人の男に気付かれる事無く腰の拳銃を構え、其々の首元へと一秒掛からず撃ち込んだのだ。

 悲惨な光景になると思った少女は目を瞑ったが、聞こえる音は何かが三つ倒れる音だけ。


「ほら猫ちゃん、私の家に行きましょ? 近くのアパートに住んでるのよ」


 その声に目を開けた少女に見えたのは優しく猫を抱える女性と路地に倒れ伏した三人の男たち。しかし男たちから死の臭いは無く、上下する胸を見る限り寝ているようだ。

 首元をよく見てみると針のような物が刺さっており、漸く少女は女性が撃った拳銃が麻酔銃である事を知った。その技が神懸かった芸術的な早撃ちであった事にも。


「よしよし、一緒に帰りましょうね。家には息子が居るけど仲良くしてあげてね」


 先程までの怒りの形相は消え、言葉からも分かるように母親の優しい慈しむような表情を見せる女性を見て、少女は心が暖まるような気がした。これまでこの世界の監視者として生きてきて、初めて感じるこの気持ちは……一体何なんだろうか。


『あの人……暖かい』


 何百年も冷めていた心の中に沸々と知り得なかった感情が込み上げる。彼女の事を知りたい、彼女の傍であの暖かさを感じていたい。

 そう考えた少女は生まれて初めて自分の意思で立ち、歩き始める。


『……あの人の所に……行かなきゃ』


 どうすればあの人の所に行けるのか。それを考えた瞬間、少女の目に映ったのは抱えられて欠伸を零す猫の姿。それがとても羨ましくて少女は手を握り力を込め、それによって大気が揺らぐのを感じて慌てて止めた。

 そして気付く。この世界に存在する魔法という物を利用した、とても簡単な方法に。


『……私も猫になれば』


 人ならざる少女は願った。猫になって彼女の傍に居たいと。


『……行こう……地上へ』


 少女の力は万物を超え世界は少女の願いを叶える為に動き出す。そして少女という監視者を失くした世界は静かに、誰にも知られる事無く変化していく。


「――あら? もう一匹居たのね、猫ちゃん」


 彼女は路地裏に置かれた大きなゴミ箱の裏から出てきた真っ白な毛を持つ猫に手を伸ばし、猫は導かれるようにその手に触れた。指を舐める猫に擽ったいと笑いながら喉を撫でる。

 懐かれた二匹の猫を両手に抱え彼女は腰のホルスターを揺らしながら歩き出した。自身の家がある薄暗い路地裏の更に奥へと。

 そしてふと立ち止まった彼女はこう呟くのだった。


「……あ、夕飯の食材買うの忘れてた」


 猫を抱えたままでもお店に入れるだろうかと疑問に思いつつ彼女は足を逆方向、食材が売っているスーパーの方向へと向けた。そして一歩踏み出すと。


「んひゃいっ!?」


 そこに地面は無かった。ソフィという名の主婦は今日この時、この世界から消えた。

 重力に従って落ちていくように、新しい地面に尻もちを着くまで。




「――いつつ、何なのよ全く。猫ちゃんたちは無事?」


 みゃあと鳴く二匹の猫を地面におろして弱く打ち付けたお尻を撫でながら周りを見渡す。

 そこは先程まで居た路地裏では無く、すぐ傍に家と思わしき建物が傍に見えた。地面は短い草が絨毯のように広がっており、周りは石か何かで出来た二メートル程の壁に囲まれている。遠くから聞こえる優しいエンジンの音や鳥たちの合唱にソフィはキョトンとしていた。

 先程までは飛行機や工場から聞こえる迷惑極まりない音と、燃料石カーストーンによってもたらされる濁った空気があった筈なのに。此処にはそのどちらも存在しなかったのだから。


「……何処?」


 足を踏み外して穴か何かに落ちてしまった所までは覚えている。だが空を見上げれば太陽が目映くこちらを照らしており、あんな空高くから落ちてきたとは到底思えない。

 此処は何処なんだろうかと考えているソフィの耳にか細い声が入ってきた。


「あ、貴女は誰、ですか?」


 家の掃き出し窓が少しだけ開かれ、カーテンの隙間から覗くのは何処か不安げな女性の顔。此処に住んでいる人だろうか? そう思った彼女は立ち上がり優しく微笑んだ。


「お邪魔しております。お聞きしたいのですが、此処は何処でしょうか?」

「へ?」


 そしてこの日、主婦(銃持ち)と主婦(不安げ)が出会った。

 これは二つの世界を行き来する最強な主婦の物語。

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