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 人通りもなく、真っ暗な夜道。

 電信柱の街灯が、向かい合う私たちをスポットライトのように照らしています。


 「寧々香ちゃん……」 

 「大丈夫だよ、姫穂ちゃん。分かってる」

 

 姫穂ちゃんは複雑そうな顔で私を見つめていました。自分の中で『姫穂』と『周輝』の関係にどう折り合いをつけるべきなのか、悩んでいるようでした。誰かが導いてくれるのを待っているかのような、そんな表情。


 「さっき、周輝くんと何をしたの?」

 「……」

 「あなたの口から言ってみて?」

 「ちゅー……した……」

 「どれくらい?」

 「いっぱいちゅーした……。周輝くんの口からいっぱいヨダレが出てくるから、ひめはそれを……その……」

 「飲んだの? キスしながら」

 「うん……。周輝くんのベロが、ひめのベロを舐めて、そしたらねばねばのツバも一緒に流れてきて、ひめがそれをごっくんした……」

 「ふふ。周輝くんはきっと嬉しかったと思うよ。姫穂ちゃんに愛されてるのを感じられてさ」

 「……」


 私の言葉に対して、姫穂ちゃんは目を伏せてしまいました。それ以上の返答はなく、ただ黙りこくっています。やはり答えの見つからない感情が胸にあるらしく、スッキリした顔を見せてくれません。

 私は「共生係」として、そんな姫穂ちゃんのケアをしてあげることにしました。謎の感情に対して、答えを与えてあげるのです。


 「で、姫穂ちゃんはどう思ったの?」

 「えっ……?」

 「必死にね、必死に必死に姫穂ちゃんからの愛が欲しくて迫ってくる周輝くんのこと。何もかも捨てて、なりふり構わず、血走ちばしった目であなたを追いかけてくる周輝くんのこと、どう思ったの?」

 「そ、それは……その……」

 「言葉にしにくい? じゃあ、私がその気持ちをなんて言えばいいか教えてあげる」

 「なんて……言えば……?」

 「“怖い”」

 

 姫穂ちゃんはハッとして目を見開き、もう一度私を見つめ直しました。


 「怖い……? ひめは、周輝くんを怖がってるってこと?」

 「うん。ただし、今回の“怖い”は、以前あなたが言った『ひめ、しゅーきくんこわいのっ……!』のそれとはまるで違う」

 「違うって、どんなふうに?」

 「以前の『こわい』は、周輝くんが怒鳴ったり殴ったりするから怖い、というとても分かりやすいものだよ。だから、あなたでも簡単に言葉にすることができた」

 「……」

 「でも、今の姫穂ちゃんが感じている『怖い』は、得体えたいの知れないものへの恐怖なんだよ。●●●になった周輝くんは、何を考えているかさっぱり分からないよね。次にどんな行動に出るかも分からないし、自制なんてかける気もないだろうから、怖い」

 「分からないから……怖い……」

 「そう。キスをした時、あなたのその体は本能的に、周輝くんを理性のない生き物だと判断したの。彼女は一線を越えた世界にいる存在だと、ね。簡単に言うと、『生理的にムリ』なわけ」

 「じゃあ、ひめは……周輝くんのこと……」

 「その通りだよ。姫穂ちゃんは、周輝くんのことを●●●として見ている」

 「……!!」


 私はわざと強めの言葉を選びましたが、それはどうやら図星だったようでした。姫穂ちゃんは、今まで自分に向けられていた異形いぎょうな物を見るような視線を、立場が入れ替わった相手である周輝くんに、無意識のうちに向けていたのです。


 「でも、姫穂ちゃんは偉いよ。今までずっと『そんなふうに見ちゃダメだ』って、自分の心に抵抗してたんでしょ?」

 「うん……。ひめも●●●だったから……」

 「●●●の周輝くんに優しく、同じ一人の人間として接してあげるのは、素晴らしいことだよ。ただ、その子に優しくしすぎたせいでなつかれてしまった場合はどうするのかって話。ねぇ、どうする?」

 「どうする……って?」

 「ふふふ。“怖い”のを我慢して、周輝くんをカノジョにでもする? もしそうするなら、24時間365日、身の回りのお世話をしてあげなきゃね。経験者から言わせてもらうと、すごく大変だよ」

 「……」

 「きっと周輝くんはどんどんあなたに依存いぞんして、ワガママになるけど、耐えられる自信はある? お世話が面倒になったから別れようなんて言い出したら、周りの人たちは『●●●に優しくしろ!』とあなたを批難ひなんするだろうし、ストッパーの外れた周輝くん本人が何をしてくるか分からないよ。それでも、一生を周輝くんに捧げる?」

 「そ、それは……」


 綺麗事きれいごとでは片付けることのできない決断が、姫穂ちゃんの頭を悩ませました。その悩み方はまさしく、かつての私と同じでした。

 せっかく手に入れた、新しい人生。頭も痛くならない、かんしゃくも起こさない、口からヨダレも出たりしない新しい身体と性別。姫穂ちゃんは、それを無駄にしてはいけないのです。

 私は姫穂ちゃんの耳元に近づき、そっとささやきました。


 「姫穂ちゃんは、私の方が大切? それとも周輝くんの方が大切?」

 「ううぅ……。ひめ、よく分かんないよぉ……」

 「ふふ、ごめんね。悩ませちゃって。考える時間はあるから、そんなに苦しまないで」

 「寧々香ちゃん……」

 「じゃあ、最後に一つだけ。もし周輝くんじゃなくて私の方を選んでくれるのなら、私からも手を貸してあげる。姫穂ちゃんが、過去としっかり決別できるように」

 「どういう……意味……?」

 「考えがあるの。と言っても、たいした考えじゃないけど」

 「その考えって、つまり……」

 「ふふっ。周輝くんを学校から消すんだよ。私たち二人で、力を合わせてね」


 とても静かな夜でした。


 * *


 そして翌日。学校の授業がある普通の日です。

 周輝くんと姫穂ちゃんと私。三人だけしかいない特別な教室で、いつもと変わらないハズの一日が始まります。


 「うぅ~……。じゅるる……」

 「どうしたの? 周輝くん」

 「あぁ、ひめほ……。体が、しゅごくあちゅいんだ……。あせもいっぱいかいてきたし……」 

 「うーん、ちょっとねつがあるのかも。とりあえず、寧々香ちゃんに体の汗を拭いてもらおうね」

 「むぅ~! やだっ! ひめほがいいっ!!」

 「え?」

 「じゅるるっ……! おりぇ、ひめほにふいてほしい……」

 「えぇっ!? でも、女の子の体を拭くのは、女の子じゃないと……!」

 「そんなの、気にすりゅなよ……! おりぇ、おまえといれかわったせいで、こんな目にあって、つらいんだ……! だから、おりぇの言うこと聞けよ……! はぁ、はぁ……ほら、はやくっ……!」

 「う、うんっ」


 昨日あんなことがあったせいか、周輝くんは姫穂ちゃんに対してベタベタと甘えるようになっていました。周輝くんに●●●だという立場を主張されると、姫穂ちゃんとしても断れません。


 「あぁ、あちゅいなぁ……。あせでべとべとだ……」

 「じゃあ、制服を脱がせてあげるね。バンザイして」

 「うん……。いひひっ、おりぇのセーラーふく、またヨダレついてる」

 「よいしょ……っと。このままシャツも脱がせて、下着だけの格好にしてもいい?」

 「うん。はやく……」

 「よいしょ……っと。あれっ!? 周輝くん、下着は!? おっぱい丸出しになっちゃったよ!?」

 「えっ? したぎ……? う~ん、したぎかぁ……」

 「もしかして、着るのを忘れたの? 下着なしで学校に来たの?」

 「わからない……。でも、あちゅ苦しいから、いらないよ。あんなの」

 「そ、そうかなぁ? 寧々香ちゃんや他の女の子は、みんな着てるけど……」

 「うりゅしゃいなぁ……! おりぇは女じゃないんだから、いらないってば! あぁ、くそっ、頭が痛い……! はぁ、はぁ……イライラすりゅ……!! うぅっ、ううあ゛あ゛あぁーーっ……!!!」

 「あっ、ご、ごめんねっ! 周輝くんは着なくてもいいんだよねっ!?」

 「はぁ……はぁ……。あぁ、そうだ……! ひめほは、おりぇの言うことだけ、聞いてりぇばいい……」


 危うく『かんしゃく』が出そうになりましたが、ギリギリのところで踏みとどまったようです。以前よりワガママになった周輝くんの扱いに、姫穂ちゃんはとても苦労しているように見えました。


 「やわらかいタオルで、まずは優しく口元を拭いて……っと」

 「んぷぅ、んうぅ~……」

 「気持ちいい? 周輝くん」

 「うぅ~ん……。体もふいてくりぇ。あしぇかいてりゅから」

 「体の、どこ?」

 「むね……の……ところ……」

 「む、胸っ? おっぱい?」

 「うん……。ひめほのてで、おりぇのむね、さわってほしい……」

 「そんなことして大丈夫かなぁ。寧々香ちゃんに怒られるかも」

 「じゅるるっ……! ねにぇかはかんけいないだりょ! ほら、はやく……はやく……!! そのゆびで、さわりぇっていっちぇるんだよっ! こっちはもう、しょの気になっちぇるんだ……!!」

 「わ、わかった! 触るよっ! こ、このあたり……?」

 「はぁっ、はぁっ……。ふああぁ、おあぁ~……」

 「こんな感じでいい?」

 「ふああぁ~……。くしゅぐったくて、きもちいぃ……。ほら、もっとなでてくりぇよ……」

 「しゅ、周輝くん?」

 「えへ、えへへっ……いひひっ……。やべぇ、きもち……よすぎりゅ……。ヨダレ、とまんねぇ……。ふあぁ……んっ……」


 姫穂ちゃんに胸を優しく撫でてもらうと、周輝くんは半開きの口からヨダレをだらだらと垂らしながら、のぼせ上がったような顔で笑みを浮かべていました。どうやら、周輝くんの目にはもう姫穂ちゃんしか映っていないらしく、私が近くでその様子を見ていても、気にも留めずにずっと快楽におぼれ続けていました。


 「……」


 そして姫穂ちゃんは、何も言わずに、ただひたすら周輝くんの体を拭いていました。

 

 * * 


 しかし、これもまだ序の口。

 私の言った通り、周輝くんは姫穂ちゃんからの愛を求めるあまりに強く依存し、ワガママがどんどんエスカレートしていきました。


 「う゛うぅー……。ひめほぉ……」

 「うん? 周輝くん、どうしたの? スカートが気になる?」

 「ちがう。おむちゅが、なんかヘンなんだ……」

 「オムツ? もしかして、おしっこした?」

 「わからない……。ちょっと見てくりぇないか……?」

 「え? 見るって、どうやって?」

 「おりぇ、スカートひろげりゅから。中にかおをいれてくりぇ」

 「こ、この中に?」

 「じゅるるっ……。ほら、はやく」

 「う、うん……」


 姫穂ちゃんは周輝くんの正面でしゃがみ、周輝くんはセーラー服のスカートをつまみ上げました。しかし、姫穂ちゃんが頭を入れると周輝くんは突然手を降ろし、姫穂ちゃんの頭を自分のスカートの中に包み込んでしまいました。

 

 「わあっ!? しゅ、周輝くんっ!? なんでっ!?」

 「ふぅー……、ふぅー……。あばれりゅな……!」

 

 周輝くんはスカートの上から強い力で、姫穂ちゃんの頭を逃がさないように押さえつけています。


 「痛いっ! 痛いよ周輝くんっ!」

 「ひめほは、そこで、見ていてくれりぇばいいんだ……!」

 「お、オムツなら見てあげるからっ! 放してーっ!」

 「ちがうっ! おりぇが、おしっこすりゅところ、を、見てりゅんだよっ……!」

 「えっ……!?」

 「今から、おむちゅに、いっぱいおもらしすりゅから、見ててほしぃ……」

 「ひ、ひめの顔の前でおしっこするのっ!? やめてっ!」

 「いひひっ、こうふんすりゅ……! ああぁ、出しゅぞ……」

 「もう出てるのっ!? ひゃあっ!? おしっこの、臭いが……!」

 「はあああぁぁん……。いひひ……きもちいぃ……」

 「しゅ、周輝くんっ。どうして……?」

 「ふぅ……。ちゃぷちゃぷだぁ……。ひめほ、ちゅぎはおむちゅかえてくりぇ」


 今の周輝くんに、かつての理性的なおもかげはありません。嫌がる姫穂ちゃんを見て、満足そうにニヤニヤ笑っているだけです。本人もきっと、自分がどんな酷い行為をしているのか、よく分かっていないのでしょう。

 

 さらに周輝くんの命令は、三人での食事の時間にも……。


 「うぅ、手がしびれりゅ……。スプーンが、うまくもてにゃい……」

 「ひ、ひめの体は、時々そうなるよ」

 「こりぇも●●●だからか……。おい、ひめほ」

 「はいっ! な、なに!?」

 「ごはん、くわせてくりぇよ。おりぇのくちに入れてくりぇ」

 「あーんしてってこと? それなら、いいけど……」

 「じゅるるっ……! おまえのハシで、な」


 周輝くんは、床にスプーンを投げ捨てました。

 

 「ええっ!? でも、これは今ひめが使ってるから……」

 「おまえがハシをちゅかえりゅのは、おりぇになったかりゃだろ? おりぇはおまえになったしぇいで、こんな、手までしびりぇて……」

 「うぅ、分かったよ……。ほら、お口を開けて」

 「いひひ、そりぇでいいんだ……! あー、あんむっ」

 「お、おいしい?」

 「んむんむ……。んうぅ、んむぅ」

 「あれ? しゅ、周輝くん?」

 「くちゃくちゃ、くちゅくちゅ。ぷちゅ、びちゅちゅ、ちゅーーっ」

 「ひゃっ!? お、おはしは吸っちゃだめっ!」

 「んーっ、んぐっ! ぷはぁ」

 「うえぇ……。ひめのお箸、周輝くんのツバでぐちゅぐちゅ……」

 「いひひっ、かんしぇつきしゅ……。ひめほと、きしゅ……」


 返ってきた自分のお箸を見て青ざめている姫穂ちゃんに対して、周輝くんは間接キスの余韻よいんに浸りながらウットリとしていました。


 逆セクハラ……とでも言うのでしょうか? 『姫穂』が『周輝』に性的な嫌がらせをする、という男女が逆転した光景です。暴力こそないものの、周輝くんは姫穂ちゃんに常に発情し、●●●という立場を利用して変態的な行為を強要し続けました。「好きな男子の気を引くためにアピールする」という、一般的な女子の行動原理ではあるのでしょうが、周輝くんは自制というブレーキが壊れているため、このように本能に忠実な異常行動になってしまっているです。


 「ね、寧々香ちゃん……!」

 「どうする? 周輝くんはもう手遅れだよ? このままずっと、『●●●の姫穂ちゃん』として生きていくんだと思う」

 「……」

 「ふふっ、もういいんだよ。あとのことは私に任せて?」

 「うん……」

 

 そして、姫穂ちゃんはついに私を選びました。

 周輝くんには私たちの前から消えてもらいましょう。

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