偶然の邂逅

 三日後、コンテナが並ぶ港区の波止場にレナードはいた。いつものトレンチコートを脱ぎ、Gジャンの下に黒のチノパンという普段からは想像できないラフな姿になっている。頭のハットも今日は黒ではなく明るめの茶色である。しかし顔はマスクこそしていないものの、いつもの険しい表情のである。むしろいつもよりも眉の寄せはキツい、この格好への不満も理由の一つだ。ではなぜ嫌々ながらこんな服装でいるかというと、彼は今その素性を隠しているからであり、つまりレナードは港区への潜入を行っている。ダストという集団のこともあるのだが、メインは港区の緊張具合の確認だ。そしてここまでの道中、その様子が垣間見えた。常時歩いている警備、民間の者と警官たちの他に、ただの一般人とは思えぬ出で立ち。分かるものにしか分からぬ、安穏としない気配を撒く者が、そうであることを隠して歩いていた。おそらく軍の斥候、情報収集と見張りを兼ねた者だろうが、時折一瞬ではあるが眼光鋭く睨むようなことがあるが、それは殆ど一方向に向けられていた。レナードはそれを辿ってここにいる。

 とある大企業が有していた工場跡地、逃げるように離れたため施設の大部分が今尚残されており、そもそも立ち去った理由、危険度を見ては他の企業もそうそう近づけない。それをいいことに、イービルを主とした集団が居ついている。これは公然の事実であり警察や軍も把握はしているが、突入作戦は相当の体力を使うため、そこから出てきた者にこそ対処しても中は手付かずだ。

 日中ではあるが、背の高い工場、そこから伸びる煙突などが大きな影を落としていると、レナードのいるコンテナ置き場などは一日の僅かな時間しか日が当たらない。隠れるのには好都合だが、薄暗さは人を寄せ付けぬ空気を助長する。ハットを深めに被ると、敷地内をゆっくりと歩く。こういったイービルの根城はこの港区に点在しているが、ここはその中でも特に大規模なものの一つ、一組織が治めているがその名は『フェア』。他の組織だった犯罪組織とはやや趣を異とする、“真っ当”な犯罪者達の拠り所となっている。そこには一つの規律があり、その中のみの秩序が存在する。当然それは外の者にとって喜ばしいものではないのだが。

 海岸にでたレナードは白い息を吐いて辺りを見回す。多くの船が出入りし、そのせいで汚れに塗れた海は数十センチしたも見通せない、それでも白波の中に魚影が見えるのだから逞しさを感じずにはいられない、それを痩せこけた鳥がギョロッとした目で狙う。まるで今のセンチナルを揶揄するかのような混沌さ、そこから工場に目を向ける。工場としては稼働していない建物は錆や汚れで黒ずんでおり、禍々しさすら感じさせる。中にいる者たちは皆が脛に傷のある輩ばかりだが、その数割が失職者、それもここ数年で急増している。その背景には大企業や政府の施策が――一部高所得者の過剰な優遇――影響している。そうして行き場を失った者たちが流れ着くのがこの港区だというのだ。

レナードがここに目をつけたのは、港区で燻っている火種にフェアが関わっているのではないかと推測しているからであるが、それは消去法的な考えに基づく。つまり他の組織には纏まった行動が不可能であると、少なくとも他所の組織と手を組むことが考えづらいからだ。しかしここがその緩衝材の役目を果たした場合は状況が変わる。そうなると戦争への影響も大きい、無軌道な輩ばかりだからこそ群として勝る軍隊が活路を見出しているのだから、向こうも徒党を組めば苦戦、痛手を負うことになる。レナードとしてはその事自体に興味はないのだが、その中で暗躍するであろうイービル、及び対抗するヒーローに用がある。元々レナードはヒーローとも敵対しているのだが、総数に偏りがある現在では専らイービルを狩っている。それはある種の均衡を保つかのような行動であり――。


「隣、良いかい」

「……ええ」


 いつの間にか横にいた男、接近事態には気がついていても、すぐに距離を取ろうとも思えない不思議な気配を纏った、サングラスを掛けた坊主頭の男。片側が深めに刈り込まれ、もう半分は赤く染められている。銀の鋲が打たれた黒いライダースジャケットを着た上で頬には三本の傷跡のような入れ墨。どうみても平穏な輩には見えない。けれどもレナードは普段通り、つまらなさそうな顔で一度見たきり目を合わせようともしない。


「寒い寒い、こう寒くちゃ外に出る気にならねえよな」

「確かに寒い」

「……見ない顔だけれど、他所から来たのかい」


 声の感じではまだ若い、二十代の前半と言ったところ。だがその声からは年若い、浮ついたものはない。今も世間話のようなテンションの中に猛禽類のような鋭さがある。


「西区から、クビになったので」

「そりゃあお気の毒に、……そう言ってくれるやつも今じゃ碌にいないが、俺は言っておくよ」

「……どうも」


 からからと笑うその姿には年相応の柔らかさがある。人を惹く、独特の魅力を持った男だ。


「まあいい、これから苦労するだろうさ。困ったらいつでもここに来ると良い、皆良い奴らだ」

「はあ」

「他のところは酷いぜ? おっさんもガタイは良いけどさ、どいつもやべえ奴ばっかりだ」


 掌を上に向け、おどけてみせる男。


「けど大丈夫そうだな、おっさんは」

「そうですか」

「ああ、俺、目は確かなんだ」

「目、ですか」

「そう、――ああ、名前教えとくか。コーダー。この辺じゃちっとばかし売れた名だからよ、名前出しときゃ良いことあるぜ」

「――」


 驚きに、ハットの下の目が僅かに小さくなる。まさかフェアの『トップ』に出会う、しかもこれほどに若いとは。そしてレナードの僅かな動揺に機敏に反応するコーダー。


「お、知ってるのかい? 俺も有名になったもんだ。それで、あんたは」

「……リオ、だ」

「それだけ? ……まあそう奴も結構多いからな、深くは聞かないさ、それじゃあな」

「ええ、またいつか」


 笑みを絶やさずに去っていくコーダー。今のタイミングで仕掛けることは出来たが、レナードとて無闇に混乱を招きたいわけではない。ジョルンジャックとの約束もある。情報収集はまだ足りない、他に向かうため翻って歩きだす。それをコーダーは工場の上から見下ろす。レナードと離れてから数分と立っていない、いつの間にか工場の外側にある階段の、それも上部に腰掛けて。


「……あれが例のね。なにしに来たんだか、けど……」

「おい、コーダー!」

「ルドル、いつ帰った」

「ついさっきだ、だがシェーンが探していたぞ」

「あ、やべえ。忘れてた」

「はあ、そんなことだろうと」


 呆れ顔のルドルはコーダーの右腕、端正な顔立ちではあるのだが顔の右半分が焼け爛れており、それを茶色い長髪で隠している。いつもネイビーのレインコートを着ており、夏場でも脱いだのを見たものがいないとも。


「直ぐに行く」

「俺も後で用がある、忘れるなよ」

「はいはい」


 去っていくルドルを見送りながら大きく背伸びをしたコーダー。そしてもう一度だけ海岸を見、歩きだす。そうして一言呟く。


「……意外と普通だったな」

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