影追い人 シュレイン編

最良のヒーロー

 センチナル市はこの国の政治、経済の中心であるが、その中で更に重要な部分が集結しているのがここ中央区。そこには議会や大企業が入るビルが立ち並ぶ。そんな場所にも、そんな場所だからこそ存在する住宅街。上流貴族たる者たちが住む建物は全てが強固な守りの下にある。イービルの増加が囁かれて久しい今日では、入り口や周辺を巡回する警官や、雇われのヒーローが昼夜問わず目を光らせている。

 建築物の多くが高層ビルであるここで、一際目を引く邸宅がある。とても安いとはいえない地価にも関わらず、広大な敷地を確保し、高級住宅街“らしい”立派な家が建っている。誰もが羨む、中央区に住む者達にとってすら、手の届き難いそれを、何故か妬む者はごく少数であった。

 それもその筈、『彼』無くしてはこの街の人間は安心して外を出歩けない、実際にその限りであるかは確認のしようもないが、そう思わせるだけの『力』が彼にはある。

 彼の名はシュレイン・ウルフカーター。そして彼の父親はアドリアン・ウルフカーター、またの名を『ザ・トップ』という。そう、彼は伝説のヒーロー、ザ・トップの実の息子である。ザ・トップは、同じヒーローである女性と結婚しており、死亡する以前に彼を残していたのである。トップ亡き後、十五年の月日は彼を二十三の青年にし、父と同じ道を歩ませた。偉大な父を持ちながら、その重圧に負けない、多大なる期待に応えるだけのものを見せていた。この時代、ヒーローを目指す者は専門の学校に通うことが殆どであるが、彼は父のコネクションを大いに活用し、歴代のヒーローから実践的な訓練を受けてきた。ヒーローの卵からして、黄金のような価値を持つ時間は、現役で活躍するヒーローが瞠目する程の戦士として成長させた。訓練内容にはただ強ければ良いのではない、模範となるべき人格、良識を携えねばならないとして、教養や精神訓練なども行われていた。そうして生まれた彼は、最高のヒーローである父に対し、“最良”のヒーローとも呼ばれる。

 そのシュレインは自宅の暖炉がある広いリビングでソファに座り、書類を見ていた。茶色い肌に栗色の髪を撫で付けて、鋭く黄色い瞳は睨むように書類に注がれている。まだ早朝であり、白いガウン姿のまま、コーヒーを片手に座る姿は、端正な容姿と相まってまさに貴族といった出で立ちである。しかしいつも冷静で、温和な表情を浮かべているはずの彼は、今凍てついた顔をしていた。横には使用人かつ、彼の右腕であるナリアンという男が立っている。元ヒーローで、ザ・トップの師をしていたこともある彼は、その経験を活かして情報収集を行っている。白髪で皺も年々増えてはいるが、未だ往年の勘は鈍っていない。そんな百戦錬磨のナリアンをして、今のシュレインの雰囲気は息を呑むものがある。シュレインは持っていた書類を読み終えると、机に投げ捨て一瞥した。


「論外だ、いつも通り何の価値もない。市井の噂、戯言、妄言。そんなものに“奴”の情報があるものか」

「ですが、その塵のようなものから、真が掘り起こされることもあります」

「冗談も大概にしてくれ、爺。それで今までに何か一つでも有益なものはあったか」

「……」


 片手で頭を抑えたシュレイン。


「済まない、言葉が過ぎた」

「いいえ、シュレイン様の仰る通りです」

「――その様付けは何時までたっても慣れない」

「貴方が私を越えた時、この立場は確立されました。そして貴方はお父上を越える、すでに越えたとの声もありますが」

「くだらない、父上は未だはるか遠い、未熟な僕が及ぶはずもない」


 シュレインにとって、父、ザ・トップは尊敬すべき、崇拝にも似た感情の向く対象である。触れてきた全ての人間が父を賞賛し、自身もその功績を知るにつれ、その思いは高まった。そしてそれは今尚続いており、父に並ぶことが彼の最大の夢でもある。


「だからこそ、父上が唯一、たった一度の敗北を喫した相手である、あの“断罪人”を探し出す、それが僕の使命だ」


 殆どの人間が知らない事実、ザ・トップの敗北。不意打ち、通り魔による最期を除き、ザ・トップがただの一度“真剣勝負”で敗北したことがある。その相手が断罪者、アグリオン・レナードであった。それもザ・トップが数少ない、本当に親しい者だけに明かしただけで、戦い自体を見た者はその後妻になったヒーローを除いて一人もいない。シュレインもその事を知ったのは最近、ナリアンが折を見て打ち明けたのだ。それを聞いた時のシュレインの取り乱した様は、世間が彼に持つイメージを大きく崩しかねないほどであった。それ以降、シュレインは妄執とも呼べる気迫で、レナードの情報を集めていた。


「しかし、本当にどういうことなのか。一般市民からだけではなく、あらゆる伝手を辿っても、決定的といえる情報、特に奴自身の話はまるで出てこない」

「まるで影のごとく、ですな」

「まさに、突如現れてはその二つ名の通りにイービルを“断罪”し、また消える。本当に存在しているのか、疑わしいほどだ」

「ですが実際にその痕跡は残っております」

「ああ、また現れたと、ここにも書いてあった」


 つい先日、ある少年をイービルから解き放った。そういう話が警察関係者より伝わっている。


「なにが目的なのか、それも定かではない」

「今回の調査では、ある種、彼を称えるような声も聞かれました」


 酷く苛立たしげに顔を歪ませるシュレイン。


「その情報を知る、地位のある人間が。……よもやイービルでは無かろうな」

「まさかで御座います」

「イービルは、どこまでいってもその業からは逃れられない。だから僕達ヒーローがいるのだ」

「左様であります」

「……奴のことを世間に打ち明けられれば、どれほど捗るか」

「それだけは、どうか」


 イービルがその力を失う。元の人間に戻る。これは今の常識を大きく覆すもので、イービルを絶対悪とする価値観を破壊しかねない。また“元イービル”への報復も考えられ、あらゆる方面からレナードのことを公で話すのはタブーとされている。


「いつか、必ず見つけ出してやる。そしてその時、奴を倒した時、僕は父上を……」


 拳を固く握りしめた時、彼の電話が鳴り響いた。着信音は、彼の出動要請を意味していた。


「その為には日々の研鑽だ」

「ご武運を」

「ああ、ありがとう。行ってくる」


 手早く準備を済ませると、颯爽と飛び出していくシュレイン。それを見送った後、ナリアンは苦しげに俯いた。


「断罪人、あれが坊っちゃんに悪い影を落とさぬか、心配でありますな……」


 レナードのことを語る時、シュレインは“ヒーローではなくなる”。それが何を意味するか、シュレイン本人は気づいていない。そしてそれは自分自身で気が付かねばならない、彼が父を越える、真のヒーローとなるために。

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