第4話 帰還

「本当にカンタが迷惑をお掛けして……」

「そんなに迷惑掛けてねーって」

「掛けてないわけないでしょ! あんたって子は、ああ言ったらこう言うんだから。本当にすみません」

 リンナが深々と頭を下げる。

「頭を上げてください。我々の配達に同行して、カンタくんも音魅の仕事が簡単なものではないことを理解してくれたはずです。何より……こうして無事にカンタくんを送り届けられて、良かったです」

 ロークの言葉がジルに重く響く。

 あの時、ロークがいなければ……。カンタは確実に不協和音ノイズに食われていた。不協和音ノイズに食われたが最後、その体は不協和音ノイズに奪われてしまう。体を奪われた者は不協和音ノイズに支配され、自分の意思が存在するにも関わらず身体の主導権は持てない。指一本、自分の意思では動かせない。

 不協和音ノイズに食われた者の末路は、悲惨なものだと聞く。

(本当に、そうならなくて良かった)

 ジルは心から胸をなで下ろした。


 特別国家公務員音魅役所、官舎奥の駐車場。そこには、多くの馬車用荷車が並ぶ。いつも見ている光景ではあるが、木製の荷車の中に鉄製の二輪車はかなり異質だ。だが、今日に限っては……。

「あれ、音動二輪車バイクがもう一台ありますよ!? これもロークさんの音魅道具です?」

「んな訳あるか」

「じゃあ…………」

 考え混むジルになど目もくれず、ロークは音動二輪車をいつもの場所へ駐車しようとして舌打ちする。そこには例の音動二輪車が既に駐車していたからだ。

「あいつ……んと趣味悪ぃな」

「あいつ? お知り合いですか?」

「うるせぇ、とっとと下りろ」

 入り口でジルを下ろした後、ロークは不機嫌そうに眉を寄せ例の音動二輪車の隣へ駐車したが、すぐに考え直し、もう一台の音動二輪車の対極線上。ぱっと見、一番遠い場所へ駐車した。

「俺は寄るところができたから、お前は先に戻って休め」

「僕も一緒に行きます!」

未成年ガキは入れねぇとこだ。わかったら、とっとと帰って寝ろ。明日起きれねーだろ」

「う……」

 きっともう一台の音動二輪車の持ち主のところへ行くのだと想像はできたが、ああ言われてはついて行けない。いつもなら既に寝ている時間だ。早く寝ないと起きられないのはわかりきっている。ただでさえ朝に弱いのだから。

「言っとくが、明日は7時集合だからな」

 追い打ちを掛けるように、ロークが告げる。

「え……聞いてな」

「言った。一週間の予定はいつもまとめて伝えているだろ」

 確かにロークは週初めにその一週間の予定を伝えてくれる。だが、そんなの記憶力の悪いジルは覚えていられない。

「でも……」

「ああ?」

 いつもの倍以上増しの凄み声と眼光に、ジルの背筋が反射的に伸びた。

「寝ます! 寝させていただきます。おやすみなさい!「」

「おやすみ。はっ……初めからそう言やいいんだよ」

 ジルが官舎に入ったことを見届けてから、ロークは踵を返す。

「チッ……この時期に帰ってくるとか、聞いてねぇぞ」

「そりゃあ、言ってないからね」

 ふいに暗がりから煙が上がる。

「ずっとそこに居たのかよ……。んと、趣味悪ぃな」

「おかえり……はないのかな?」

「うるせぇ。お前が帰ってきたっつーことは、そういうことだろ。さっさと話を聞かせろ」

 暗がりから出てきたのは、ウェーブの掛かった金色の長髪で片目を隠した優男風の青年。見える片眼は碧眼で、サファイヤのような透き通った色をしている。腰まである長いコートの奥にガンホルダーが覗く。

「話を急かせる男はモテないよ?」

「ああ?」

「あはは、冗談だよ。でも……ここでできる話ではないことも知ってるでしょ」

 優男はふいに笑顔を崩し、ロークを見据える。

「場所を変えよう」


 場所は変わって官舎。

 入館証を見せて、中へ入るジル。ふわぁ……とあくびをしながら、おなかの音を聞く。音魅はなぜか自身の音を聞くことはできても、見ることはできない。自分の声も、血液が流れる音も、骨が鳴る音も、おなかの音も、心の臓が動く音も。どんなに激しく鳴っても、ジルの周りに宝石はこぼれない。

 ジルが入っているのは独身専用の官舎内。中に入ると、すぐ目の前に大食堂がありその左右には男性寮と女性寮へと繋がる階段が配置されている。

「ジル! おかえりー」

 薄暗い食堂から手を振っている人影と赤い宝石、ルビーの煌めきが見えた。

「マーシィ?」

 ボリュームのあるツインテールがふわりと揺れ、ぴょんぴょんとその場で飛び跳ね、ジルを呼ぶ。

「早くおいで! ご飯、取っといたよー!」

 官舎の食堂は夜9時に終わってしまう。現時刻は11時を回ったところ。完全に終わっている時間だ。小走りでマーシィのところへ駆け寄ると、彼女の目の前にはクロッシュで蓋をされた食事が置かれていた。

「ご飯まだでしょ?」

「うん、取っといてくれたの?」

「ええ。ローク上官はどんなに遅くなってもご飯なんて食べさせてくれないと思って。当たり?」

「あはは……」

 信用のされ方がひどい。

「すっかり冷めちゃったけど、食べられないよりいいでしょ? 今日はね、なんとステーキなの!」

 じゃ〜んとばかりにクロッシュを外され、ジルは戦いた。

(ステーキとか、冷えたらおいしくない料理代表だよね……言っちゃあ悪いけど、すっごいまずそう)

 だけれど、誉めて貰わんとばかりに目を輝かせる彼女には言えない。言える訳がない。ジルはにっこりと笑い、「ありがとう、いただくね」とナイフとフォークを取ろうと手を伸ばした。……が。

「あれ、フォークとナイフは?」

「あ……」

「忘れたんだね……」

「で、でも大丈夫だよ! これを使えば……っ」

 マーシィが取り出したのは刀の柄。刀先はついていない。

「出でよ、音のナイフちゃん!」

 彼女がそう叫ぶと同時に、まるで魔法のように柄に巨大な刀先が現れる。ただそれは肉を切るナイフとはとても言い難いレベルの大剣。

「これで肉を……」

 構えた剣から逃げるように、肉がのった皿をさっと避ける。

「あら?」

「気持ちだけ貰っとくよ」

 こんな大剣を振り下ろされたら、肉どころか皿まで。いや、身体まで切り落とされかねない。彼女が再び剣を使おうなどと考え出さないうちに、とジルは慌てて肉にかぶりつく。冷たい肉は固く、パサパサしていた。焼きたてのお肉はさぞかし美味しかったんだろうなぁ……なんて考えながら、冷たいお肉をもぐもぐする。

「おいしい?」

「んぐんぐぐぐー」

「そう、良かった」

 まあまあかな、という返事も彼女には、とってもおいしいと聞こえていたらしい。にこにこ笑顔のマーシィにわざわざ訂正する必要もない。ジルはにっこりと笑う。

「ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして!」

 彼女の笑顔は、こっちまで笑顔にする力がある。ジルは常々そう思っていた。

「あ、夜の食堂に侵入するとかいっけないんだー!」

 にっこり笑い合う二人の間にズカズカと入り込んできたのは、同じ音魅であるマルコ・ウィングだ。巨体にたわわについたお肉が歩く度に揺れる。

「失礼な。許可は取ってるわよ」

「マジで? じゃ、ここで飯食ってもいいの?」

 食堂の狭い通路をカニ歩きで進む姿に、思わず漏れる小言。

「食べてもいいけど、自分の体型と相談なさい。あなた、また太ったでしょ!」

「う、うっせぇな。たった6000グラム増えただけだろ」

「6000グラムって……6キロも太ったの!? 信じられない。前の健康診断からたった1ヶ月じゃない。それで6キロも増えたの!?」

「6キロ6キロうるせぇなー。たった6000グラムだって」

「6000グラムは、6キロでしょうが!」

 マーシィが叫ぶように指摘する。

「わかってねぇなぁ。6キロっていうより、6000グラムっつった方が少なく聞こえるだろ〜」

「一緒よ!」

 マルコはその体型のせいで、健康診断の再検査常連組。ついには毎月、体重と腹周りの計測が義務づけられるまでになっている。

「どうせ隠れてお菓子とかご飯ばっかり食べてたんでしょ」

「だってよー、見るもの見るものお菓子やうまそうな食いもんに見えるんだぜ? 食べるなって言われてもよー。お、うまそうなケーキ! いただき!」

 すかさず「それ」を取り、さっと取り出したオーブン型の音魅道具に入れる。入れて3秒。オーブンがチンと言えば出来上がりだ。マルコがドアを開けると、甘い香りがふわりと漂ってくる。

 そこにあったのは、大きなホールケーキ。ホイップクリームがたっぷりで、いちごが乗っている。

「…………」

 甘いものに目がないマーシィが、じっとお菓子を見つめるとマルコがニヤニヤしながらそれを掴み、目の前につきだしてきた。

「食うか?」

「いらないわよ! そんなばっちぃ手で触ったヤツ、絶対にいらない!」

「自分の音だろ〜」

「え、それ私の声なの? うわ、絶対にダメ! 食べないで!」

「別にやってもいいけど、どうせ食わないだろ?」

「う……でも、ダメ。返して!」

 さっきまでステーキがのっていた皿を差し出すマーシィをじっと見つめたあと、マルコはニヤ〜〜っと笑って手に持つホールケーキをたった一口で自分の口に入れた。

「ああああ、やだ! 返して!」

 マーシィが涙目になっている。

「ひひじゃん。ほーへくはないふへに」

「マルコ、やり過ぎだよ。人が嫌がることをやっちゃダメでしょ」

 ごっくんとケーキを飲み込む音がコロンと転がる。相当おいしかったらしい。幸せな気分を示すピンク色の宝石。ぱっと見る限り、ローズクォーツのようだ。

「お前だって、音宝石集めてるじゃんよ」

「そ、そうだけど……。それは必要だからで。それに嫌がった人の音宝石までは拾わないよ!」

「そうよ。ジルをあんたなんかと一緒にしないでよ!」

「はー……うまかった。おめぇの音、なかなかイケたぜ」

 マーシィの全身にぞわぞわぞわ〜〜と鳥肌が立つ。

「気持ち悪い!!!」

「オレにとっちゃ、音は食いもんだ。何か文句あっか」

「大ありよ! 私の声はあなたの食料じゃないの! 勝手に食べないで!」

「んなこと言うなら、もっと食べてやんよ」

「そんなことさせないわ!」

 重ねて言うが、音魅はなぜか自分の音を「見る」ことはできない。マルコはマーシィの声を掴んでオーブンに詰め、マーシィはマルコの声を刃にした大剣を構える。ジルの声とはまた違う、丸みを帯びた曲線的な刃が彼女の持つ柄に生えている。

「ちょっと、やめなよ」

「「ジルは黙ってて(ろ)!」」

 仲が悪いんだか、いいんだか。

「息ぴったり……」

 そう呟いた瞬間、二人が勢いよく振り向く。

「「全然ぴったりなんかじゃない(ねぇ)から!」」

「ぴったりじゃん……」

 自分の声を提供することでマルコを鎮め、その派生でマーシィを鎮めることに成功したジルは、改めて食事を続けることにした。目の前にはマルコが出してくれたほかほかのステーキとパン。

「……自分の声を食べるとか、変な気分」

「あら、私の声の方が良かった?」

「いやー……そんなことは」

 またケンカにならないかとヒヤヒヤしながらマルコを見るが、彼は目の前のスイーツと肉の山を食べることに忙しいらしい。ジルはほっと胸をなで下ろし、食事を続ける。

「自分の声を自分で食べるなんて、共食いっぽいっていうかなんていうかじゃない?」

「ふふふ、そう言われて見たらそうかもね」

 マーシィが楽しそうに笑う。そして、一口サイズにちぎったパンを持つ手を差し「一口ちょうだい?」と顔を寄せた。

「えっ……」

「見てたらおなかすいちゃった。ダメ?」

「いや、ダメって訳じゃないけど……その」

 ジルは、この時になってやっとマーシィが怒った意味がわかった気がした。


 音魅の生活は規則的だ。7時前には起床し、支度を調え、食堂で朝食を取り、8時までには各々の職場へ行く生活。

「あ、明日7時に職場集合なんだった……」

「あら、随分早いわね。どこか遠くまで配達?」

「んー……よくわかんないんだよね」

 ジルは笑いながら頭を掻いた。

「それでよくあのローク上官が怒らないわよね」

「怒るよ。いつもめっちゃ怒る。でも、覚えられないものは覚えられないんだよねー」

 マーシィは、ジルの開き直り具合に苦笑いを浮かべる。

「それ以上怒らせないように、明日はちゃんと起きなさいよ?」

「がんばる……けど、自信ないよ」

「オレが起こしに行ってやろうか? 朝は得意だからさ」

「「え……マルコが?」」

 今度は、ジルとマーシィの声がシンクロする。それもそのはず。学生時代、遅刻常連者だったマルコから「朝は得意」発言がでたのだから。

「信用ねぇなぁ。うちの上官厳しいからさ、必然的に早起きが身についたんだって」

「僕の上官も厳しいけど、身につかないよ?」

「そりゃ〜……本人のやる気の問題じゃね?」

「僕だってやる気はあるよー。ただ起きられないだけで」

「気合いが足りねぇんだって! うちの上官はいつもそう言うぜ」

「マルコは軍部だっけ?」

 マーシィが口を挟む。

「そう、軍部遠征班サポート係。かっけーだろ!」

「要するに食料を補充する係でしょ?」

 音さえあれば無限に食料を生み出せる彼には、ぴったりの役所だ。

「任務内容はそうだけど、軍部は軍部だろ。は〜、学生の時には自分が軍部に配属されるとは思ってなかったぜ」

 完全に自分に酔った風に、マルコは自分自身を抱きしめ身体をくねらせる。

「クラス全員がそう思ってるわよ……というか、その体。軍部で注意されないの?」

「うっせぇな。お前には関係ねぇだろ」

 ムキになるところを見ると、図星らしい。マーシィはため息交じりに続ける。

「元クラスメイトのよしみで忠告してあげるけど、それは太りすぎよ。健康を害するレベル。今のあなたはポッチャリじゃない、おデブちゃんよ!」

「なんだと!」

 勢いよくイスを引き、立ち上がろうとしたのだが腹がつかえて立ち上がれない。

「ほら、見なさい。悔しかったらダイエットすることね」

「くそ〜〜」

 二人のやり取りを見ながら、ジルは笑う。そんな彼をマーシィが不思議そうにのぞき込んだ。

「どうしたの?」

「んー……懐かしいなって。学生の頃は、毎日がこんな感じだったじゃない?」

「……そうね」

 それぞれの課に配属され、音魅として働き出して4ヶ月。早くも学生時代が懐かしく思えた。

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