初場所・千秋楽【部屋】

 すずりを磨る音が静かに繰り返される。

 筆先にぺたり、ぺたりと染み込ませると、さらっと慣れた手つきで文字を象る。


「見事な相撲文字だね」


 …相撲文字、番付表やに用いられる独特な飾り文字。江戸時代、芝居小屋や寄席などとももに『江戸文字』と呼ばれる書き方の中のひとつの流派。相撲文字を習得するのも行司の大切な役目である。


 ぼくは心の中で解説を加えた。

 今ここに解説すべき相手がいないこと、目の前で書いているしきりちゃんの邪魔をしないこと、なにより相撲用語を声に出して解説しないと気が済まないこの性分を修正するため、ぼくはあえて心の中で解説をしてみた。


「できたー」


 彼女が書いていたのは相撲部の部員募集の垂れ幕。

 土曜日の午後、校舎内は人もまばらだ。

 楽器の音がする。吹奏楽部の練習が始まったようだ。

『お母さん!お母さん…⁉︎お母さぁぁん!』

 演劇部も稽古を始めたようだ。


 ぼくらは一応相撲部の勧誘も兼ねて、書道部の部室にやってきた。正直、勧誘の成果は期待をしていない。しきりちゃんの言うように、数合わせだけで幽霊部員を集めるよりは、稽古相手になりそうな屈強な部員を揃えたいとも思っていた。


「上手に書けたかしら?」

 上品なノックをし、濃いめのグラスごしに優しく微笑みながら入って来たのは、陸上部のカリスママネージャーの木暮陽子先輩。

 こうして文化系の部活から勧誘を始めたのも彼女のアイデアだ。

 それは比較的地味で部員も少ない部活動の顧問を見つけ出し、相撲部の顧問を引き受けてもらう作戦だった。


「え?屋?」

 先輩はしきりちゃんが書き上げた垂れ幕を見て驚いた様子だ。

「ええ、見てください!見事な相撲文字でしょう!新米行事よりずっと上手ですよ!さすが伝説の力士の孫ですよね!」

「マエミツくん、そうじゃなくてこれ…」

「これを校門に立てるわ!『来たれ!土俵つちだわら高校相撲!』」

、いらないでしょう!相撲部、でしょ⁉︎」

「まぁ、部活動ではありますけど、ぼくらとしてはあくまで部屋を立ち上げるくらいの意気込みでして…」


「当たり前よ!それくらいの覚悟がなきゃ、あの人とは渡り合えないわ!」

 ノックもせず大声とともにドアを開けて、西山カイナがやってきた。しきりちゃんとは幼少から因縁のある、態度のデカイ同級生だ。

「ほら!コソコソしてないでさっさと来なさい!」

 カイナの後ろに色白な男子が5人ほど立っていた。

「し、失礼します…ぼく天文部2年の…」

「あぁ、いっちょまえに自己紹介とかいらないわ!長ったらしい!あのねしきりさん、こいつらそのへんの文化部から連れてきた2年どもよ!みんなこの部屋に入りたくて来たのよ!ね!」

「そうなの?ようこそ相撲部へ!」

「部?相撲?カイナさん、ここって書道部の部室ですよね?」

「そうよ。この部屋、はね。でもアンタたちが入るのは相撲部。土俵高校相撲部屋よ」

「は、話が違うじゃないスかぁ!ぼくらカイナさんが部屋に来ないっていうから部活サボってついてきたのにぃ!」


 そうか。


 前にも美術部の3年生を何人か連れてきたけど、あれもたぶん詐欺まがいの強奪だったんだろうか…。とにかく、部の設立に必要な『各学年で大会出場規定人数』をクリアするために協力してくれているのは事実だ。


「東十両しきり!これは貸しにしておいてあげるわ!アンタとは土俵の上でチッキリ決着つけるんだからね!」

「…魁皇ちゃん、望むところよ!」

「それからマエミツ!」

「ぼく?ぼくに用なの?カイナ?」

「もしかしてアンタ、私がアンタのこと心配してあげてるみたいに思ってるかもしれないけど、大間違いだからね!」

「どうゆうことだよそれ」

「アンタが、私がアンタのこと心配してないんじゃないかって心配してるといけないから、心配しないように心配してるって思わせるてるだけだからね!心配しないでよね!」

 これは…まったく意味がわからないがなんか怒られてるような。でもいま、ちょっとだけカイナの顔が可愛く見えてしまった。しきりちゃんほどではないが。ほんと!しきりちゃんほどじゃないんだから!


 …変な病気がうつりそうだ。


「カイナさん?アレ、まだナイショなのかしら?」

 木暮先輩が部屋を出て行こうとする彼女を呼び止めた。アレ?ナイショ?

「もちろんナイショよ!もしバラしたりしたら陸上部潰してやるからね!」

「校長室の前で盗み聞きしてたことも言っちゃダメなのよね?」

「ま、そのこと自体はバレたって構わないけど!下手にしゃべると何か隠してるって勘ぐられちゃうからくれぐれも注意してよね!あのひとに一泡吹かせるためにまだやらなきゃならないこと山積みなんだから!」

 そこまで一気にまくしたてると連れてきた2年生を残したまま、西山カイナこと魁皇ちゃんは書道部の部室を後にした。

「あのひと、って校長のことですよね?盗み聞きしてたんですか?ぼくたちや先輩とのやりとり」

「絶対ナイショらしいからアタクシからは言えないけれど」

「…先輩。もうほとんどバラしてますよソレ。なんとなく事情は読めましたけど」

「え!マエミツくん何かわかったの?魁皇ちゃん誰と話してんだろうと思ったら、ナイショ話だったの?」

 しきりちゃんはそれでいいよ。天然でも、口調や着こなしが乱暴でも、相撲にしか興味なくても。


 あえてしきりちゃんには話さないけれど、概ねこんなとこだろうと推測できる。


 西山カイナは相撲が好きだ。それも、幼少からずっと。そうでなければ『魁皇』なんて呼ばれ方させないだろうし。祖父の校長・西山 強は何かをきっかけに相撲から距離を置いた。それが彼女には気に入らないのだろう。あえてこの高校に入学し、相撲部創設を画策していたのだろう。それが難航すると察したと同時に、ぼくとしきりちゃんの計画を知り、先輩たちを巻き込みながら力添えしてくれていたのだ。

「彼女、来週から相撲部に来てくれるんでしょうか?」

 ぼくの質問をはぐらかすように木暮先輩は指を折りながら数を数えはじめた。

「3年生が美術部から4人。2年生はここにいる5人ね。マネージャーはマエミツくん。顧問も園芸部から引き抜けそうだし…残り3週間で1年生が4人、3年生がひとり必要ね、最低でも」

「間に合うでしょうか」

「どうにもならなくなったとき、魁皇ちゃん?あの子がいるじゃない。大丈夫よ」

「おいおい、男子部員がいねえじゃんよ!」

 今日はよく客が出入りする日だな、妙なセリフとともに。髪をかきあげながらやってきたのは『軟式テニスのプリンス』こと、三段目 翔くん。


「なんだオマエか。顔じゃねえつったろ」

 小気味好いしきりちゃんの毒舌。

「あれから考えたんだけどね。ボクも相撲部に入れてもらうよ?」

「は?オマエ相撲なんか興味ねえだろ」

「ないよ」

「じゃあ来んな」

「興味があるんだよ。ボクよりも、そこのヒョロヒョロに興味がある美少女ってやつにさ」

「意味わかんねえこと言ってんなよ!」

 いやいやしきりちゃん!コイツ今めちゃライバル宣言したよ!ぼくに!


「フフフ!いいわ!相変わらず賑やかで!」

「先輩、笑い事じゃないですよ」

「あたし陸上部だもん。これからも楽しませてね『マネ連』会長さん!」

 そうだ…それも引き受けてたんだった。


 でも、これがぼくの決意なのだ。

 名字とこ関係なく、しきりちゃんが結婚したいと思う男になる!これまでの冴えない自分とはお別れだ!


 週が明ければ入学から2週間。大相撲の本場所も2週間。いわばぼくの高校生活『初場所』はめまぐるしく、そして確実に実りあるものとなり幕を閉じようとしている。


 前頭 玉光の一番出世…番付に名を連ねるための前相撲は、これにて千秋楽にござりまする。

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