疾走する閃光 4

 視界の三分の二くらいが空だった。

 高い部分は透明な紺。地表に近付くにつれて、それは薄く、虹色に変化していく。

 東の地平にはオレンジの光が横に長く広がっていて、大地の際が燃えているようだ。

 雲はない。

 ただひたすらまっすぐに伸びる灰色のアスファルト。

 その中央の白い破線は、空との交わりまで続き、やがてそれは、一本の極細の白線になる。

 三本のくさびを繋ぎ合わせた羽根を持つ純白の風車が、行列のように右手に並んでいた。

 28基もの巨大な風車が、3.1キロの長さに重なり立つ『オトンルイ風力発電所』だ。

 道路の左右は緑の草原。

 左手には、暗い部屋の鏡のような色の海。

 夜明けのオロロンロードは、まるで無人の滑走路のように見える。

 そして、本当にここでなら戦闘機だって離陸できるだろう。

 空と大地の境界は、すっぱりと横に切れた見事な地平線で、余計な突起物はなにもない。

 直線だけで構成された風景は、信じられないほど美しく、いさぎよかった。

 じきに、他の車やバイクが現れ始める。まごまごしている時間はなかった。

 それでも俺は一度エンジンを切った。

 水冷4ストDOHC5バルブ並列4気筒の低く唸るような独特の稼働音と入れ違いに、海や、波や、風や、草の揺らぎや、鳥や、風車のプロペラの回転する音が一体となった、乾いた音の集合が耳に飛び込んできた。

 決行の場所として定めた最長の直線。

 起点であるここまで、鏡沼から約15キロ。

 タイヤもエンジンも十分にウォームアップしている。

 勝負は一度きり。やり直しはなしだ。

 失敗した場合は、きっぱり諦め、再挑戦はしない。じゃないと意味はない。

 別に、最高速をどうしても出したいわけじゃないのだ。

 それはトライアンドエラーを繰り返して成功させるようなことじゃない。数字にそれほど重要な意味はない。

 そもそも俺は、頭のネジがぶっ飛んでいる人種とは違う。 臆病だし、冷静だし、身のほどをわきまえている。

 だからこそ、やる意味があった。

 くだらなくてアホらしい。言われなくてもわかっている。

 だからこそ、やる価値があった。

 ……他人と馴染めず、世の中への疑問は尽きず、自分自身のこころ以外に、居場所もなかった。そんな俺が、若いころからずっと考えていることだ。

 自由の本質たる『選択』と『実行』

 そこに必ず介在するモノ……『恐怖』

」というのが、20代を費やし見極めた、俺なりの持論だった。

 墜落の恐れがある高い大空。

 漂流の危険がある広い外洋。

 外敵の危機がある牧場の外。

 ひとは自由を求めながらも、同時に恐れから身を遠ざけようとする小利口な生き物だ。本当の意味で、高い空にも、広い海にも、囲いの外にも出ようとはしない。

 口で自由を求めながらも、決して危険な場所まで出ていこうとはしない。

 だからこそ、は自由の証明になる。 

 もし、意志の力で、恐怖や、ためらいや、迷いをねじ伏せることが出来れば。

 そこにこそ、が生じるはずだった。

 自分自身からも自由になれるはずだった。

 それが『自由のパラドックス』

 ……自由以外には何も持たない俺がたどり着いた、たったひとつの真理だ。

 スタンドを立てる。ヘルメットを脱ぐ。

 鼓動は一定。呼吸も平静。手にも足にも震えはない。

 きっと、非現実的過ぎて、具体的なイメージが湧かないからだろう。

 ポケットから、イヤホンを出して耳にねじ込んだ。

 これだけは計画の最初から決めていたこと。

 いまこの瞬間にもっともふさわしいと信じるこの曲を聴く。


fox capture planフォックス・キャプチャー・プラン

 ―― 『疾走する閃光』

















 

 曲が終わる。

 イヤホンを抜き取る。

 エンジンをかける。

 マフラーから目覚めの咆哮。

 滑走路のような道路の真ん中。

 FAZERを停車する。

 地平線の果てをにらむ。

 息を吐き、スロットル・オン!

 いつもの三倍はまわす。ウィリーだけは御免だ。慎重に、そして大胆に。

 オオオオ、とマフラーが吠えた。ディアブロが大地を咬んだ。巨人からオーバースローで投げられたかのような圧倒的な加速力が、俺の身体を前に突き出した。タコメーターの針が、熊が載った体重計の針のように、右に向かって大きく跳ねた。一瞬だけ見た速度計は80キロを瞬時に超えていた。

 ギアを蹴る。

 二速。さらにまわす。

 レッドゾーン。

 速度計の針はあっさり100キロを通り過ぎ、120、140と一足飛びに進んでいく。

 三速。さらにまわせ。

 紳士的に制御された暴力的なエネルギーが、俺の身体をぐんぐん加速させていく。

 EXUPイグザップが真価を発揮し、生み出された強大なトルクが、青い車体を蒼い弾丸に変貌させた。

 ステップを踏みしめ、両膝に強い力を込め、ニーグリップ。

 絶妙な曲線で成形されたタンクを、身体全体で抱え込む。

 風景がものすごい勢いで前から後ろにぶっ飛んでいく。

 アスファルトは、流れ、灰色の川になる。

 空気が重たい塊のように身体にぶつかって来る。

 小さなスクリーンの付いたアッパーフェアリングは、それでも、確かな盾となって、凶暴な風から俺の身体を護ってくれた。


 180。


 190。


 200。


 最初の節目として意識していた200キロをFAZERはいともたやすく超えた。

 恐怖を感じる暇すらない。拍子抜けするほど簡単だった。

 史上最強の、普通のバイク。

 こいつがおまえの本性か……!

 残るギアは二つ。アクセルにはまだまだ余地がある。

 さらに加速。ぐん、と下半身が底知れない強力な力で、前に押し出される。


 210。


 220。


 まわせ! 限界まで。

 さらに先の領域へ、自分だけでは到底行けなかった場所へ連れていけ。

 そのためなら俺は、リスクを支払い、危険を享受し、恐怖にだって立ち向かう。

 死の天秤に、魂を載せてやる。


 230。


 口元が自然と笑みの形に歪んでいく。

 興奮と歓喜の稲妻が全身を貫く。

 あとはこのまま最後のギアを蹴り、スロットルを限界まで開けば、目的の場所へ到達できる。

 そう考えた。だが甘かった。


 

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