夢の話
駆けつけた村は散々な有様だった。
泥で溢れかえり、悲鳴と鳴き声、絶叫が渦巻く地獄。尤も、あの病を前に声を上げることができるのならば、それは初期症状に過ぎない。やがて呼吸ひとつも困難になる。
「助けなくては」と動いた足を、「誰を?」という思考が止める。
彼女を見殺しにした連中を? 彼女が愛した連中を? 彼女の愛を踏みつけ、唾棄し、崇め、彼女が信じ、施し、愛し、帰りたいと願った場所、彼女を追い出した場所、彼女を殺した連中を助けてやる義理がどこにある?
もちろん彼女が生きていたらそれを願うだろう。しかし彼女はもう死んで、いない。誰も喜ばない。だから助ける必要はない。たとえ奴らを治せるのが俺ひとりだったとしても。
やがて腹に焼けるような痛みを感じた。せり上がってきた泥が喉を塞いで、ひどく安心したことを覚えている。――これで誰も救わずに済む、と。
これは報いだ。彼女の信頼を詐取した代償。醜く腐り落ちた体、汚臭を放つ泥はその内心の醜悪にひどく似合う。余力があれば自嘲くらいは漏れただろう。
三日三晩は呼吸もできなかった。一週間は体を起こすことも叶わなかった。胸を焼かれるような苦しみに、土や肌を掻き毟って過ごした。そうして少しずつ、周囲から命の気配が消えていった。
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変な夢を見て起きると、まだ夜中だった。空には月がふたつ浮いている。いらねえこの微妙な異世界感。
火の側に誰も居ないので周囲を見回すと、草の陰にユリウスがうずくまっていた。激しく咳き込み、嘔吐している気配がある。アレックスとメリアは熟睡しており、なんで寝相似てんのかなここ二人。ウケる。
「ユリウス」
苦しそうだし背中でもさすってやるべきかと思って手を伸ばすと、ユリウスは振り向きざまにその手を強く払った。ユリウスが吐いたのだろうゲロはなんとも、あれだけ野菜ばっかり食ってれば当たり前のような気がするが、食物繊維がたっぷり含まれていそうな緑色だ。見た目グリーンスムージー。
「ごめん、驚かせた?」
「……いや」
「具合悪い? 横になってた方が楽だったりする? 火の見張り代わろうか?」
「いい。一旦落ち着きさえすれば治せる」
ユリウスが口の中で小さく呪文を唱えると、吐いたゲロは水のように透き通ってあっという間に地面にしみた。片付け楽でいいな。そっか吐いてるときって魔法使えないのか。もしかして咳でもそうなのか? だとしたらちょっと不便だな。医者の不養生じゃないけど自分で自分は治しにくいのか。
ゴリラの顔色とかはわからないけど、たぶん結構具合が悪いのだろうと思う。もう咳き込んではいないものの、息は上がってるし呼吸音に喘鳴が交じる。ユリウスはそのまま焚き火の近く、木の根元に寄り掛かるようにして座り込んだ。俺もなんとなくその近辺に腰を下ろす。
「昼間のさあ、あれ、石投げられたやつ、大丈夫だった? 魔法で傷治したときって痛みも消えんの?」
「……お前は、疑わないのか」
唐突。会話のキャッチボールとかするつもりは無いのか。
「何を?」
「普通、何の理由もなく石なんて投げないだろう。子供に石を投げられるような人間が近くに居て、なんの疑念も無いのか」
人間って翻訳されたのでちょっと笑いそうになってしまった。いや文章としては自然だしそう翻訳されるのが正しいと思うけど。
「うーん……正直なところ喋ってもいい? 嫌な気がするかもしれないけど」
一応前置きだけしておく。ユリウスは返事をしない。まあいいってことだろたぶん。
「こっちの世界に来てから、なんていうかな――比較対象がないから、何を疑っていいかもよくわからないんだよね。仲間くらいは信じてないとっていうか、仲間だって言われたから仲間なんだなって思ってないと、何も頼るアテがないし、敵も味方も自分じゃ判断できないからさ」
その時のユリウスの顔がどういう感情を示していたのか、俺にはよくわからなかった。ブラウンの瞳が揺れる。やばい傷つけたかな。
「だからうん、えっと、ユリウスについては疑ってない。アレックスとメリアも疑ってない。これで答えになる?」
ちょっとわざとらしいくらいの笑顔を作って両手を広げて掌を見せた俺を一瞥し、ユリウスは盛大にため息を付いた。
「馬鹿か」
結構長々喋ったのに反応が三文字。厳しい。うまくコミュニケートできる気がしない。
「だからユリウスもさ、その、急に他所から来たベージュ色の謎の生き物を信じろって言われても実際困ると思うんだけど、俺にできることがあったら言ってよ。できるだけ力になるから」
信頼関係の第一歩はそこだ。取り敢えず仮に信頼してみて、相手の信頼を獲得するために頑張る。魔王を打倒する勇者のパーティなんだからお互いへの信頼は大事だし、かといって目的を同一とするだけのチームなんだから感情的に踏み込みすぎるのも良くない。タッチアンドゴー、トライアンドエラー。千里の道も一歩からである。
ユリウスはまた深々と溜め息をつき、それから俺の方に向かって手のひらを差し出した。ひょっとして握手かな? と思いつつ俺も手を差し出してみるのだけど、もちろん握手などではなかったらしく、ユリウスの手のひらは俺の顔に向かって伸びてきた。
「ユ――」
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