土用の丑の日は謎掛けであり、その答えは、実は・・・平賀源内の仕掛けた錬金術

 鰻の旬は、土用の丑の日=夏場・・・と思っている人は多いと思われるが、実は・・・出鱈目だった?


 江戸時代、当時の人々は平和が長く続く中、刺激を求めてというナゾナゾに興じていたという。


 そんな中、新たに投じられた謎が、土用丑の日。

 川魚とされる鰻を扱う魚屋や料理屋に、突然掲げられた謎を解きたくて、人々は掲げられた日に店に寄り、謎を解こうとしたのかもしれない。


 ただ、掲げた店の主人も答えは知らぬまま。

 言われるがままにはぐらかし続けたのかも。


 その答えに根拠はなく、自分なら解けると思わせつつも関心を持たせている間に料理を、人気を作り出すまでの間を稼ぎ、土用の丑の日の謎の答えがどうでも良くなるまでの間と関心を稼ぎ出したのかもしれない。


 それこそが、平賀源内の策略と知らずに。ただ、それが現代にまで連綿と続いていくとは、当時の人々も、平賀源内も、思いもしなかったのかも?

 現代に至っては、気にする人のほうが異様に思われてしまうこともw



 天然鰻が最も美味しいとされる時期は、実は・・・


 夏真っ盛りの時期は、実は天然のうなぎには活動期で最も餓えて痩せている時期で、最も多く穫れるの時期であって、特段に美味しいというわけではなかったそうな。

 ただ、夏場に多く入れ喰い状態で獲れすぎるのに、どうしても不人気で売り捌けないことを苦慮した魚屋や川漁師が相談し合っていたところ、土用の丑の日という名の謎掛けを仕掛け、知らないのに知ったかぶりで引くに引けなくなった人々を巻き込んだ一大流行ムーブメントを引き起こしたキャッチコピー。


 その際、引くに引けなくなった当時の人々は、夏場に鰻はあまり美味しくも食べたいとも思わなかったそうな。

 それなのに、夏場の痩せて骨ばった鰻を美味しく食べるための工夫と方法を編み出し、昨今の大人気調理技術と養殖技術へと結びつかせたと考えられる。


 嘘も方便ではあるが、その嘘報フェイクニュース実報リアリティにまで変えることができたことこそが、その時代に生きた人々の凄さと言えるのかもしれない。


 嘘を真に。夏場の土用の丑の日の鰻を美味に。

 土用の丑の日、夏の天然モノの鰻は活動期であるために、食料の奪い合いが熾烈で、大半が痩せ細ってしまう。

 そのため、その活動的な鰻を餌で釣り、肥育することで食べごたえのある状態にまで持っていく様になった。そして、来る日X-Dayを設定することで、その日に向けて肥育と出荷を調整し、大大的に広告を打つことで否が応でも盛り上がる。


 昨今では、当たり前とも言える広告の手法ではあるが、その当時である江戸時代にはその当たり前の情報収集でさえも困難な時代に、そういった事象に気が付ける事で稀代の発明家ともコピーライターにもなり得たのだろう。していることはうそぶく事で、詐欺に近い事ではあるが。誰しもが騙されているとは思わず、大々的に認められると、それは真実と成り替わっている。その時点で、詐欺ではなくなってしまったw


 なので、養殖ウナギの旬は、

 その当時、脂の乗りが薄い夏の時期、さっぱりしすぎた鰻を美味しく食べるため、味付けは濃い目のたれに浸すことで、焼き上げる際の匂いをもご飯が進むようにすることで、夏バテを乗り切る原動力にまで押し上げたのかも?



 天然うなぎの旬。

 食通は、夏には鰻を食べないそうな。まぁ、それでも夏の鰻も好きな人は食べているだろう。


 天然鰻を冬場に入手することは至難の業。まず、ほぼ川には居ない。冬場は冬眠状態なので夏場ほどの活動はまずしない。なので、罠にもかかり辛く、ピンポイントに釣るにも生息数が疎ら過ぎる。餌に見向きもしないほどの満腹状態であり、半睡状態なのだろう。

 なので、自然な天然物の入荷はまず希少過ぎて見込めないし、あったとしてもあっという間に天井知らずの高値が付き、そういった特別なものが大好きな好事家の耳にそぉっと伝わり。騒がれることなく、その冬の鰻の件が掴まれる前に、そのお腹へとちゅるちゅるとニョロリと流れ込むのだろう。


 鰻は春から夏にかけて、暑い海から活動しやすく涼しい川に栄養を蓄えるため、遡上する。そして、十分に肥えたら、繁殖のために海へと還っていく。要は、鮭とは逆のことを繰り返していると言える。

 稀に洪水や大雨などで、田んぼや溜池やお堀に取り残されて年を越すうちに鰻は海に還ることなく、越冬するために夏場に餌を蓄え、脂肪を蓄え、冬眠するかのように体に栄養を蓄える。そうした鰻こそが、美味しいとされる。

 ただ、大きくなり過ぎるとかえって美味しくなくなってしまうのは仕方がない。適度と思える脂が乗ってこそ、美味しく感じられるのであって、過度な脂の乗りはクドすぎてしまうと感じるのだから。

 その際は、味付けの濃い蒲焼きなどには向いていないのだとか。


 旬とは、最も栄養価の高い時期を指し示す。

 その旬の時期であれば、多く安く美味しく手に入れられる時期を指し示すもの。


 なので、江戸時代当初の土用の丑の日は鰻が安く多く手に入るが、さほど美味しくなかったものを、人の手が携わることで、初めて生み出される旬と言えるのだろう。

 その努力の結晶が昨今の鰻不足を引き起こしているのである。


 売れないであろう物を売る努力の結果、工夫が生まれ、無価から有価へ、新たに価値が生まれる。

 錬金術の極致と言えるものだろう。

 当時の鉛を鰻と捉え、それを金と同価値に変えられたのだから。


 錬金術の本髄と見ることが出来るのでは?


 錬金術とは、黄金を作り出すことが本命ではなく、重たいだけの鉛=無価値の代名詞とされた物から、黄金と同等の価値ある物を生み、作り出すことこそが、黄金=最も価値があるものなのかもしれない。



 現代の虚報をいい意味で、実報に替える事が出来る人は、この世のどこかには居るのだろうか?

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