なんということでしょう

 今起こったことをありのままに話そう。

 コンビニの階段を上っていると思ったら、トレーニングジムだった。

 意味がわからないと言われても俺の目の前に実際にあるんだからしかたない。本当にありのままを伝えているだけなのだ。


「福利厚生って言ったってそんな一晩でできることには限界があるでしょ」


 やっぱり普通の感覚でこのコンビニを考えちゃいけない。ガラス張りのトレーニングルームにはルームランナーやバーベル。それから俺は名前もわからないようなウェイトがたくさんついた器具が並んでいる。


「あ、高橋さんっすか」


「何やってるの?」


 いつもの仏頂面ぶっちょうづらのまま、小木曽さんがダンベルを持ち上げている。そんな重いもの持っても顔色一つ変えないのはすごい。相変わらず土気色をしているけど。


「少し鍛えておこうかと思いまして」


「なんでそんな簡単に順応しちゃってるの!?」


「最近運動不足かと思いまして」


 いや、その細い体は富良野さんのウイルスに感染してるからだよ!


 言ったところで小木曽さんが富良野さんを悪者にするような話を聞いてくれるはずないしなぁ。小木曽さんしかいないジムなのに設備はやたらと充実していて、入会金だけで一万円くらいは取られそうだ。行ったことないけど。


「隣は脱衣所、ってことはシャワールームもう一個作ったのか。って洗濯機にお風呂まで!」


 本当に至れり尽くせりって感じだ。この改装にいったいいくらくらい使ったんだろうか。聞きたいような聞きたくないような。さらに続く階段を見上げる。あの高さなら当然あるよね。


 やや冷たい感じのするコンクリートの階段を上がっていく。最上段に着いた途端に急に足元が柔らかな温かさに包まれた。高級そうな絨毯が床一面に広がっている。


「あ、要くんだ」


「富良野さん、何してるの?」


「だってここのソファ気持ちいいんだもん。要くんも座る?」


 ホテルのフロントみたいな豪奢な趣深い空間は店長の居間兼休憩室とは比べ物にならない。富良野さんが寝転がってなければホテルに改装したと言われても信じてしまいそうだ。


「遠慮します」


 そもそも座る、と聞いておきながら、寝転がっているソファには座りようがない。そりゃたくさん並んでるけどさ。あ、ここに置いてある雑誌、全部一週間遅れだ。返却せずに買い取ったのか。

 ホテルと比べてフロントがない分だけ広いエントランスから廊下が一本伸びている。


「あっちはあたしたちの仮眠室だって」


「仮眠ってレベルなの?」


 どうみてもここまで高級ホテルの雰囲気だ。廊下を進んでいくと、一番近いところに俺の名前が書かれた部屋がある。個室まで準備するって店長やりすぎでしょ。しかもこの中に店長の部屋はない。ロボットの秋乃さんのまであるのに。

 とりあえず自分の部屋に入ってみるか。


「うわっ、広い。机もついてるし、小さなクローゼットもある。これキングサイズのベッドじゃない?」


 見るからに柔らかそうなベッドに手を置くと、それほど体重もかけていないのに深く沈み込んだ。やばい、と感じてすぐに手を引き抜く。


「ダメだ。半端な覚悟で寝たらここから出られなくなるぞ。うちの布団と交換してほしいよ」


 逃げるように仮眠室を飛び出した。ここにいたら俺までソファで寝てばかりの富良野さんと同じになってしまう。


「どう? すごかったでしょ」


「富良野さんは何もやってないじゃない」


「ふーんだ」


 一向に起き上がる気配のない富良野さんを置いて、俺はまた一階に戻ろうと階段に足をかける。そこで初めてさらに上に向かう階段があることに気が付いた。


「もしかして、屋上まであるの?」


 正直に言って嫌な予感しかしないんだけど、見つけてしまったからには見に行かないわけにはいかない。俺はちょっと運動不足気味な体を重力に逆らわせて階段を上がっていく。


「俺もジムで鍛えたほうがいいのかなぁ」


 屋上に出ると、青空の下浅い水面が太陽を反射してキラキラと輝いている。コンクリートの床の屋上の真ん中には、見事なプールが埋め込まれていた。


「店長どんだけ水着が見たいんだよ」


 春先の空気はまだ涼しくてプールに入るには辛い季節だ。そのせいか水はほとんど入っていないけど、プールサイドには秋乃さんがしゃがみこんでいて、水面に映った自分の顔を覗き込んでいた。


「何してるの?」


「えぇと、私は誰でしたっけ?」


「懐かしいなぁ、それ」


 小学校のときに読んだっけ。水面をぼんやりとした表情で眺めている秋乃さんは確かに今起きたばかりにも見える。実際は寝ているとは思えないけど。


「マスター、このプールはあまりにも水深が低いと思うのですが、人間はここで泳ぐのでしょうか?」


「いや、まだ少し寒いからね。もっと暖かくなったら水を入れるんだよ」


「寒い。なるほど。私には体感気温というものがないのでわかりませんでした」


 データとして気温はわかっても、日差しの強さや風の強さによって人間の感じ方は違ってくる。そうやって秋乃さんも少しずつ賢くなっていくわけだ。俺も負けないようにしないとなぁ。


「ところで、プールに何かいるの? ずっと見てるけど」


「いえ、今朝ここに来たところ店舗の形状が変わっていたのでデータを修正していたのです。情報量が多いので、再起動後にアップデートが必要でもう少しかかります」


「そっか、ゆっくりやっていいからね」


「ありがとうございます、マスター」


 そりゃ俺だって未だに理解しきれていないんだから、秋乃さんはもっと混乱していてもおかしくない。少しそっとしておこう。


「それにしても福利厚生を充実させたらスタッフの士気が下がってるんだけど、これでいいのかな?」


 俺は疑問を抱えたまま、せめて自分だけは頑張ろう、と拳を強く握った。


「すみませーん」


「はーい、今行きまーす!」


「レジ、お願いします」


「はい、少々お待ちください」


 こういう日に限って忙しいんだもんなぁ。

 建物が変わったせいか、それとも人でないものたちのオーラが上の階に消えたからか、今日は久しぶりの大賑わいだ。富良野さんは別としてもこういうときは秋乃さんと小木曽さんがいてくれないとやっぱり困ってしまうな。

 幸いお客さんはまだ幽霊コンビニの噂が残っているおかげで、待たされても文句を言ってくる人はいなかった。なんとなくズルいことをしてる気分だ。


「はーい、次のお客様ー」


 忙しい方が精神的に楽だ、って昨日秋乃さんに言ったばかりだけど、こうしていると何となく気持ちがもやもやとしてくる。大変だけどできないことはないし、店長から受けた恩を考えると売れてくれた方がいいと思うのに。


「なんなんだろう、この感じ」


 お客さんの波をなんとかしのぎ切り、空きができた棚に商品を詰めていく。店長も毎週楽しみにしているアニメの時間だから今は休憩中だ。

 秋乃さんが入ったとはいえ、こうして店先に一人で出るのは珍しいことじゃない。それなのに。


「なんでこんなにイライラするんだろう?」


 整理を終えてレジに戻る。また空っぽになった店内を見つめながら、俺はいつもとは少し違う溜息をついた。

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