16話 透明色だった放課後

 今日中の授業が終わった。

 やった! 歓喜だ! そう馬鹿正直に騒ぐ愚か者ではなく、仏頂面のような即身仏を成りきるメガネを常時掛けた高校生、新藤弥彦はノートをパタンと閉じる。


 教室にいるクラスメイト全員が出るまで今日出された課題を終わらせてしまうほど、弥彦は圧倒的で暇な時間を弄びながら過ごしていた。名残惜しそうに教室から出ようとしない女子グループに無性に苛つきを働かせながらも、弥彦は課題を終えて謎の達成感を覚え、この瞬間をやり遂げた。


 誰も居ない独壇場の世界の景観はいつも見ても素晴らしいと思う。

 自分が最後の人間てあると、精密に体験できるから。


「……何があまり怖くない、か」


 女王が下らない感想を述べたとしても、信念を貫いた弥彦に怖いものはない。

 彼らを遠慮するのはなんて馬鹿馬鹿しいのだろうと、いつも考える。


 上下関係の馴れ合いは嫌いだ。そこに信憑性は皆無。

 誰かを傷付けてしまいそうな軽い言葉を使って笑い話にするなんて虫酸が走る。流行物にしか興味がなく、爪先で背伸びしたリア充は絶対に相容れない。


 本来の姿を取り戻す閑散とした教室と同じように。

 常に煌びやかな大人の世界とは違い、天変地異の差が現在も広がっている。

 間違った方向性に何も疑問と思わないで。


 だからこそ生きる世界観が違う。

 同じ場所に立つことが不可能な理由は意図も簡単に肯定された。手本のなるような目標にもなれない彼らの生き様には知恵として活かされる糧は何もない。大体他人を敬う礼儀を欠けている時点で、自己中心に生きるリア充達は残念ながら理想とするお手本にはなれない。


 しかし、お手本となる人間は本当に実在するのだろうか?

 弥彦は見たことが無かった。


(……そろそろ帰るべきか)


 持ち帰るべきものを黒バックに収集して肩に担ぐ。静まり返る黄昏色に染まった教室の景色を後にして戸を閉める。


 遠い場所から掛け声が反響する廊下は弥彦以外誰も居ない。

 微かに光を反射するリノリウムの床。歩く度に靴の音が掻き消されて何処か儚げな赴きになる。けれど別棟の方だと普通に部活に勤しむ学生がいるので感傷に至らなかった。


 外の世界は何が起きようとも、平凡を過ごしていた、しまうのだから、本当に凄い。

 誰かが掛けようが何も変わらない意味を。


「そういえば、鍵を掛けていなかったような……」


 唐突に自然な疑問が浮かんだ。

 気になってしまう自身の悪い癖がつい出てしまう。


 昇降口へ向かう階段の前で足を止めると、致し方なく部室の恋路部へ向かう事にした。どうせ暇な弥彦は散歩感覚として戸締まりをして下校する。


 これで終わり。

 立て続けに依頼が来る訳でもないしこんな信憑性の欠けた部室に寄るのは恋愛に悩める学生が暇な変人しかいないに決まっている。


 廃部に等しい部活動なのだから、こんなところに客人は居ないであろうと。

 そう弥彦は確信していたのに。



 ――部室で一人、椅子に腰掛けるボブカットの髪型をした黒髪の少女がいた。



「あ、彦くん。こんにちは。遅かったね」

「……なんで居る?」


 既に開いていた戸に手を掛けると、こちらに気付いた彼女は美しい声を奏でる。優しい微笑みと共に小さく手を振る仕草は恋路部へ寄った転校生に。


 相変わらず着崩れのない制服と気品を振る舞うトップカーストに降臨する少女。横髪を掻き分ける僅かな動作だけで、可憐と清楚を兼ね備えた容姿には辺鄙な景色でさえ見映えにしてしまう。


 恋路部の最初の依頼人であり、客人でもある2年D組のクラスメイト。

 辛うじて思い出した彼女の名前。

 それは、相澤契だった。


「なんで私が居るのかって? もしかして、彦くんは忘れちゃったのかな」

「いいや、下校するまで時間を潰していた筈だったが……」

「うん。正解だよ。覚えていたんだね」


 不安そうに様子を伺う契に思わず弥彦は答えた。すると安心したのか契は口元を綻ばせてはくすくすと微笑んでいた。


 どうせ分かっている。

 このやり取りは挨拶のような軽やかな感覚の会話であると。

 弥彦は空いていた椅子に着席してみる事に。黒バックを机の横に付いているフックに掛けると、文庫本を閉じる契は首を傾げながら尋ねてきた。


「今まで何をしていたの?」

「勉強。今日出された課題を終わらせようと教室に居残っていた」

「へぇー。学校で宿題を済ませる人、初めて見たかも」

「暇だったんだよ。それほどにな」


 何気ない会話を始めるが直ぐに途切れてしまう。

 両者が携帯端末の画面を見るというシュールな光景が続いた。一様この部屋の部長でもある弥彦は無言でゲームを始めては、対しての契の方も無言でパズルゲームをする。文芸部宛らの行動は自宅のような安心感があった。


 とはいえ、時間は今も刻み続けていく。

 夕陽が傾いて影が伸びる。稀に映る羽ばたく鳥のシルエットに気付きながらも、大した反応を見せないが、意識は確かに同じ方向性を向いている。


 僅かな隙間を逃す必要のない、中庸の雰囲気が自然な会話を弾む。


「そういえば彦くんはさ、朝の時間に鈴ヶ森さんと冴嶋さんと話していたよね」

「誰だソイツ等は」


 ナチュラルな弥彦の冷酷な反応に携帯端末を弄っていた契の手が止まる。

 こちらに振り向いては若干苦笑い。


「えぇ……? もしかしてクラスメイトのみんなの名前、覚えてないの? 東京に転校したばかりだから忙しいとは思うけど、私の名前は平気?」

「相澤だろ。依頼人の名前は覚えてる」


 内心冷静さを保っているが、手の平に冷や汗が不気味に浮かんでくる。

 明らかに疑問を見定めた契の視線がとても痛かった。

 流石に、地雷を踏んでしまったか。


「……彦くんの家庭環境について私は分からないけど、色々と大変なんだよ?」

「そうだよな……。相澤の言う通りだな」

「私なんてもう諦めているのに」

「いや、ちょっと待て。今なんて言った? 嘘だろ」

「嘘じゃないよ? 正門でいつも待っている男の子の名前なんて全部覚えられないもん。テストに出るなら話は別だけどね」

「偉人にならない限り無理そうな試験問題だろうな。それは」


 世界観の規模が違う。

 一様他人を認識しながらも拒む弥彦とは違い、その先にある世界にいる契の凌駕した感覚はもはや達観しているレベルではない。誰かを知れている立場に君臨するトップカーストでありながら、紙飛行機を飛ばす程度で匙を投げる行為には彼女の天然な怖さを知った気がした。


 相澤契……恐ろしい子……ッ!

 密かな才能を晒け出している彼女に弥彦は恐る恐ると尋ねてみる。


「なんか、俺には相澤が薄情に見えるが、これはもしかして気のせいなのか?」

「うん? 知らない人と気楽に話せるのって、絶対に普通じゃないよね」

「……なるほど」


 否定が出来なかった。

 彼女の言う理念が一理あることに肯定するものに。大体こちらが覚えてないのに相手の方が覚えている立場に遭遇したら、かなり怖い。適当な返答とか面倒臭いので理解してしまう。


「でも、鈴ヶ森と冴嶋さんは信用できる人達だよ」

「そうなのか。一様覚えておこう」

「彦くんの後ろの席にいる子が鈴ヶ森美雨さん。金髪で髪の毛がサラサラしている人が冴嶋香子さん。中学の頃から知っているの」


 何かしらの繋がりによってハイブリッド女王とJKを知っている契は微笑む。

 あえて追及しない弥彦は携帯端末の画面をスライドさせていく。


 微かな椅子の軋みだけが響くだけの部屋。

 戸はいつまでも開く気配は無い。


 きっとそれは誰かが来なければ、ぬるま湯に浸かったような感覚は消えないのだろうか。外の景色が暗くなる中で約束された時間を待つだけの細やかな空間は、少しだけ重く感じた。


 弥彦にとってこの時間帯は無色透明に染めていたハズなのに。

 いつの間にか、パステルカラーに変わっていたようだ。


「ちょっと彦くんに尋ねたいことがあるんだけど、茅月さんの依頼はどうしているのかな? 出来るものがあれば私も手を貸そうかなって。要らなかったりする?」

「どうやら自分自身で決着を付けるらしい。だから相澤は助ける必要はないな」

「そうなんだ。彦くんだから解決していたと思っていたよ」

「本物の彼氏でなければ意味がないんだとよ。……全く、骨が折れる」

「やっぱり、自分で探さないと、難しいね」


 所詮恋愛なんてゲームじゃあるまいし。

 誰もが理想する景色なんてやって来ない。妄想で欠けた部分を縫う継ぎ接ぎ状態だ。たかが青春のために真剣になっても本筋と周りの景色が見えていないと本来の実力でさえ発揮できない。


 だからこそ彼らは恋路部に寄るのだろうか。

 そんなの興味ない弥彦にとって、到底共感することは出来なそうだ。


 青春は諦めるものなのだから。

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