6話  覚悟

「……」


 衝撃な事実を刮目した新藤弥彦は思わず目線だけ逸らす。

 相澤契という名前の美少女は、2年D組の同じクラスメイトでした。


(誰だお前、なんて絶対に言える訳がないじゃないか……)


 手元から残るものは罪悪感だけだった。

 彼女についての印象。それを窮地へと追い込まれる事態に。弥彦はクラスメイトである契の存在をこの恋路部を介して気付く。


 恋愛相談として訪問してきた彼女に面識はない。

 なのに彼女の方は面識がある。


 流石に冗談では済まされない事態だと判断している。逆に焦ってはならないと自分に言い聞かせているのに、頬を伝う嫌な汗が止まらない。


 酷いことに白状するとクラスメイトに関する記憶が白紙みたいにさっぱりで。

 唯一、思い出せるのは鮮明と昨日のように蘇る私生活のみ。


 これはマズイ。


 同級生の名前ですら無視していたことを彼女に知られたら、確実に噂が広まる。そして悲しそうな表情を見てる契の姿が簡単に想像出来てしまう。


(ふざけて言ってみろ、紛れもなくワーストに転落するかな)


 既に青春は折ると決まってしまった。

 あとは学問の評価を全力で死守するだけの学校生活が待っているというのに。


 まあ、他人の名前を覚える気がない時点で人間失格なのだが。


「どうしたの?」


 さりげなく現実逃避していると、こちらの様子を伺うように覗く契と目が合う。彼女なりの気遣いには誰もが好かれるが相手を選ぶのを間違っている。


 とはいえ余計な心配はされたくない。

 弥彦はメガネを掛け直し、鋭利な目付きに変えて本題に踏み込む。


「いえ、別に何も。恋愛相談の依頼人である相澤さんに伺いたいことがあります」

「同じクラスメイト同士なのに距離感を感じるけど……?」

「……相澤に伺うものがある」


 彼女の何気ない言葉で調子が狂うのは何故だろう。

 改めて言い直すと契は一体どこを見て納得したのか和やかに微笑む。落ち着いているというかおっとりとした様子の彼女に弥彦は何も憎めなかった。


 しかし、ある人間だけは討つべき存在である。

 扉に背中を預けている担任の教師が宣う傍観者が。


「人が真剣な趣きで相談してきたというのに、笑劇を見付けたのですか先生」

「これは失敬。青春時代を思い出してな、うっかり笑ってしまったよ」


 咳払いして反省する先生だが明らかに嘘を付いている。


 始めは真面目に生徒の様子を交互に見ていたようだが、途中で面白いものを見付けたのか嗜虐的な笑みを浮かべていた事を見逃さない。


 苛立ちが募る弥彦の残酷なまでの殺気めいた睨みが効いたようで。

 察した先生は話を変えに来やがった。


「まあ、とにかく話を戻そう。相澤の恋愛の件についてだが、どうも生徒指導の方では話せない内容らしくてな。親友でも打ち明けることも不可能だという。相澤の相談に応じたい所だが、残念ながら教師の介入はご法度なのだよ」

「それを救済の役目に適する恋路部が創立したと」


 要は生徒に向けるための投げ遣りだった。

 その適任である学生を探すためのマスゲーム。強いて言えば生け贄の準備だ。


 数を必要としない人件費の安さを利用して、目に止まったのが転校初日で失敗に終わったスクールカーストの人間、新藤弥彦が厳選された事。条件に偏りのない素質を誰もが通らない道を敢えて進ませるために。


 よく精巧に作られた蟻地獄なんだろうな、そう耳にした弥彦はため息を吐く。

 少し、ちょっかいを出した方が都合が良い。


「恋愛というのは規則や風紀の敵ですからね。厄介な問題を抱えたくないのは教師でも同じだ。下手に理屈を述べるだけのボランティア活動部なんですか」

「いいや。私は恋愛に悩める少年少女に手を差し伸ばすための奉仕だと思ってる。人は誰かの手を借りなければ前に進めない臆病な生き物だからな」

「軟弱な意志では、前に進めるとは言い切れませんよ」


 お互いの掲げる信条は譲らない。

 饒舌に並べる言葉の攻防戦は何度も繰り返してしまうだろう。弥彦は相手が大人であってもその正義が間違いではない限り諦めるつもりはない。


 そんな目先に存在する人生を憚る強敵に。

 明らかな攻撃色の瞳で構えていたが、唐突に掻き消されてしまう。


「そう、かもね。いい加減な気持ちで恋愛なんて、……みんなの迷惑だよね」


 剣呑な空気が込み上げる教室の中で、黙っていた契は小さな声を漏らす。

 俯いた彼女は何色の表情を浮かべるのか

 弥彦にはきっと分からない。


「ごめんなさい。やっぱり、一人で考えてみます」


 けれど真っ直ぐ笑みを溢す契は、どこか諦めたかのように清々しさがあった。それは問題を払拭した捉え切れる内容でもある。


 彼女がそう決意を抱くのであれば弥彦が成すべき選択は消えるだけだ。

 自らの力で解決することも、立派な答えの一つなのだから。


「待て。それでは解決にはならない。振り出しに戻るだけだ。これまで抱えてきた問題を、相澤は手放してしまうのか?」

「手放すことも賢明な判断ですが」

「新藤は黙ってろ」


 今度こそ怒鳴られた。

 本性を見せる先生は弥彦に叱咤。士気の欠けた変化のない生徒に失望したのか舌打ちをする。期待を裏切られて頭痛でもあるのか頭を押さえる先生の行動でさえ、弥彦は言われた通りに黙る。


 小さな望みを掛けていた契も悲しそうに落胆してしまった。

 その瞳に微かな潤いが溢れそうで。


「……自分の問題は私自身で解決しないと、意味がないと思います。そうして来なかった私が悪いんです。軽い気持ちで相談することが間違っているのかも……」


 彼女の行動は確かに間違いだらけだ。


 不気味で悪意しか印象のない担任の先生に訪ねることも、親友達に本当の気持ちを明かすことも。そして恋路部に頼ることも。全てが勿体ない。台無しだ。


「相談してくれるのは嬉しいですけど、本当にごめんなさい。私、帰りますから」


 先生に会釈をする契は部室を出たいようで、動作が慌ただしい。やはり弥彦には目を合わさずに扉の方へ向かっていく。


 時間は二度と戻って来ない。

 だからこそ、この世界に生きる人達は現実と向き合いながら精一杯生きている。


 過去を決して忘れずに。

 ひたすら前に向いて歩く覚悟を。


 そんなちっぽけな覚悟で恋愛という困難に背を向けてしまう契に、現実を見据えてきた弥彦は突き付けられた沈黙の檻を強引にこじ開けてみせた。


 いつか摘まれてしまう花を咲かせるための選択肢とやらを。



「……間違いだらけの青春を送って、アンタは本当に楽しいと思えるのか?」

「……」



 明確する扇動な発言で彼女の感情を揺らす。

 中途半端に過ごす学校生活に明るい未来はやって来ない。曇天に覆われた世界に空を見上げる理由がないのと同じように。曇り掛かる彼女の心を響かせるものは自分自身の意識の問題であると気付かせるために。


 弥彦は決して誰かに向けて手を差し伸ばすことは出来ない。

 だが現実と向き合うための試練を与えられる。


「自分自身の力で解決するなら別に構わない。けれど中途半端で問題を終わらせるのは間違いだ。そんなのは身勝手な現実逃避に過ぎない」


 恋愛について相談してきたのは契本人だ。

 先生に介して弥彦は恋路部を担うことになり、彼女の相談を承諾したのに。


 それを無かったことにするのは非常に許せなかった。


「既に相澤は他の人に迷惑を掛けながら生きている。人の苦労を知らないまま逃げるつもりなのか。この場を設けた先生の努力を無駄にするのか?」


「せ、先生の努力を無駄にしたくない。新藤くんにも裏切られたくないよ」


 これまで紡いできた努力を台無しにしたくはない。

 楽しい学校生活を送るために、相談してきた契は否定するように首を振る。彼女なりの必死さにはそれなりの覚悟を背負っているように見受けられる。


 さっきまで見せた弱さは何処にもない。

 もう一度椅子に腰掛ける契は必死に恋愛事情から逃げないでいた。


 これで良かったと思う。


 迷える子羊達に救いの手を差し伸ばすべく、少年少女の悩みを解決に導くための恋路部。それは青春を謳歌するための足跡となり自分を見直す機会となるのなら、弥彦は目の前にいる彼女の恋愛事情の解決を行う。


「……そうか。なら、話は決まりだな」


 契が抱える恋愛を解決に導くために、メガネを掛け直す弥彦は行動を開始した。

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