反魂の秘薬

 リストがずいぶん長くなった。

 渡瀬川わたせがわは総責任者の椅子で、タブレットの中にある不確かな入荷予定表を見ている。数年前受け付けて、更新されないままの名前が、ちらほら見える。

 確かな死の約束は、人から将来不安のいくらかを取り払い、前向きにする力があるものと思える。

 病や死を恐れ、ただ先送りにして、どうか明日がその日ではありませんようにと怯えて暮らすこと自体が、かえって活力を浪費させ、遠ざけようとしたものを呼び込んでいるとは、皮肉なものだ。

 死の殿堂たる殺人業者、廃体.jpが、ある面では生の活力を充填しているというのも皮肉に満ちている。


 リストが更新された。闘病中だった中年男性が、こちらに移送されたようだ。

 確か、可能な限りの治療をしてみて、ダメだったら、こちらに送るという手はずになっていたはずだ。

 こちらに来るということは、そういうことだろう。


 渡瀬川の背後でドアが開いた。

 廃体.jp総責任者の居室に無断入室する男は一人しかいない。


「よぉ、不死身の」


 ツヤのある黒髪の七十男が、とても七十には見えない顔をしていて、渡瀬川は息を呑んだ。


久条ひさじょうさん……? まさか、顔の皮を張り替えたんですか?」


「おう。ちぃっと生白なまっちろいが、男前になったろう? 三十、いや四十は若返った気分だ」


 自慢げに顎を撫でる久条に、渡瀬川は嘆息した。どこからか、得体の知れない拒絶反応の抑制技術を拾ってきて以来、この男の自己改造は歯止めがきかなくなっている。

 元気で生きているということは、よく効いているのだろうが、目の前でいきなり卒倒しても、渡瀬川はさほど驚かないだろう。

「今日は何のご用ですか?」


 久条は急に真剣な顔になると、ドアがしっかりと閉じているのを確認して、渡瀬川に顔を寄せた。

「実はな、とても重要な話がある。お前さんに話すかやめるかも三日迷った。聞いてくれるか?」


 七十とは思えぬ行動力で突っ走ってきた男が三日迷ったと聞いて、渡瀬川の胸は急にざわついた。

 殺人業者を立ち上げて、運用して、平気な顔で人生を謳歌しているような、図太い男が、三日も迷う話題とはなんであろうか?

「聞かせてください」


「そうか、よし」

 と言ってから、久条は手をすり合わせ、唇を舐め、呼吸を整えて、やっと言葉を発した。

「タマの在庫ってあるか?」


「は?」

 何か聞き間違えたかと思った。

 聞こえた通りに解釈し、久条がどういう人物かを合わせて考えると、久条は精巣の移植を考えているということになる。


「タマだよ、タマ! 俺にも恥じらいってもんがあるんだ、何度も言わせんな!」


「何を考えているんですか? 移植して、それが機能したとしても、久条さんのものじゃないんだから、血は繋がりませんよ?」


「んなことは百も承知だよ。いまさら新しい子供が欲しくなったってわけじゃねぇ。ただこう、せっかく四十若返ったのにだよ? こっちがポンコツで伸びたうどんみてぇじゃ格好がつかねぇだろうが!」


 渡瀬川は言葉を失った。この男にとって肉体とは、何の神秘も情緒も存在しない、精神を運搬し、欲望を実現するための道具に過ぎないのだろう。

 それにしたって、怪物じみているが。

 怪物と遭遇した衝撃で、視線と共に虚空をさまよった心を引き戻し、失った言葉は、死の殿堂の主人が持っている辞書で埋めることにした。

「久条さん。ここに来る人は基本的に、自分を消し去るために来るんです。存在から、未来に繋がる血統まで含めて」

 久条が口を開きかけたのを手で制する。

「生殖器の在庫はあります。老若男女ひと揃い。しかし、どれも致死性の難病や、自殺傾向の遺伝リスクを抱えているものです。基本的に製薬の実験、標本用としてしか提供していません。それを移植だなんて」


「そこはなんとか上手いことやるよ。アレだ、ほら、パイプカットってやつ。種の通り道を繋がなきゃ大丈夫だろ」


 理論上は、そうだろう。

 この場で断固として拒否することもできる。できるが、顔の皮の張り替えからして、勝手に手を突っ込んでやっていることだ。

 ここに来たのは許可を求めに来たというより、文字通り相談に来ただけだろう。決意を固めるためだけに、他人に話して聞かせるという行動を取る者がいるが、久条はまさにそれだ。

 この男には、勝手にやるだけの権限もある。

 渡瀬川は長く息を吐いた。

「わかりました。暇を見て使えそうなものをリストにしてお渡しします。一週間いただけますか?」


「そう言ってくれると思ったぜ。一週間だな? よしよし」


 久条が少年のように笑うのを見て、実際、この男の精神は老いるということを知らないのだろうと思った。

「その生命力はどこから湧いて出るんですか。新しい再生プログラムのために、抽出して散布したいくらいですよ」


「抽出するには、まず愛を抽出する必要があるな」


 意外な文字の登場に、渡瀬川の口がぽかんと開いた。

 久条の笑いに渋みが混ざる。


「この野郎、失礼な顔しやがる。俺ほど人間を愛している男がいるか? この国の医療の立て直しに、クソ法の駆除に、俺は骨身と心を砕いて七十年だぞ」


「それに関しては尊敬してもしきれませんが、正直、反骨心というか、現代に蘇った戦国謀反人の血がうずいた結果と思っていました」

 渋みがさらに増したが、久条は、なるほどと言いたげに、ふぅっと息を吐いた。


「ハズレとも言いきれねぇからマル付けてやる。しかしな、謀反がしてぇから謀反を起こしたってのもバカな話じゃねぇか? 謀反人には謀反の先に作りてぇものがあるわけよ」


「……確かに、仰るとおりです」


 我が意を得たりと久条は満面の笑みを浮かべると、渡瀬川の頭をわしゃわしゃと撫で回し、踊るような足取りでドアに向かった。

「人間観察がまだまだ浅いぜぇ? そいじゃ、またな!」


 渡瀬川は苦笑いで見送った。

「愛、です、か」

 言われてみれば一理ある。焦がれるほどに愛したならば、現世にしがみつくのに必死にもなるだろう。それでも久条のそれは常軌を逸していると思うが。

 ただ自分という存在を抹消するためだけに、ここに来た肉の塊達。そこに愛を充填する方法が、何かあったろうか。


 試しに人間愛に目覚めた自分を想像しようとして、渡瀬川は胸を突き上げるような不快感に呻いた。

 胸が悪くなる話を聞いたときのような、めまいをともなう吐き気。血液が逆流したかのような脈動を思わせる不快な衝撃があった。

 無意識からの思いもよらぬ激烈な反応に、我が事ながら渡瀬川は驚いた。

「これを叩き直せっていうのか」


 無理。

 不可能。

 割に合わない。

 死んだほうがマシ。

 またたく間に否定が積み上がる。

 思えば、あの久条ですら諦めたから、次善の策として廃体.jpが立ち上げられたのだ。

 ため息のような深呼吸をした。

「落ちた花は枝に戻らないか」

 何事にも手遅れとはあるものだ。落ちた花が喋って歩くから、まだどうにかなるような気がしてしまうが、枝から落ちた時点で救いようがないのだ。

 反魂の秘薬を掴んだと思いきや、数ある寓話の通り、おぼろな煙に過ぎなかった。

 ならば、やることは決まっている。機械のように、残酷なほど、冷徹に、だ。

 下手に同情をもって、腐り果てる過程を長引かせ、最後に全て捨てるくらいなら、一気にひき潰し、精油を抽出する方が、まだマシというもの。

 生者達が過ぎたる慈悲で毒すなら、冷たい死の刃でこれを中和する。


 渡瀬川はリストに向き直った。

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