2-10.白は手招く

 仄かに色づきはじめた広葉樹の森を抜け、鉱山入口に立っていた監視人へ証を見せて先に進む。鉱山地帯にいくつか坑道はあるが、丁度入口の向かい側にあるところに鶏冠竜コクトルスがいるとノーラはイグローから聞いていた。カインは先程まで半日であった出来事を話していたが、これからのことを思ってなのだろう、口を噤み、自分の横に並んで黙って歩いている。


 カインから聞いた出来事を総合的に考えて、ノーラは自分を追う刺客はソズムが依頼したものではないなと断定した。もちろん傭兵全員が白というわけでもないだろうが、少なくとも、ソズム自身が誰かに頼んだという線は無いといっていいだろう。彼ならきっと、そんな回りくどいことはしない。又聞きの印象だが感じた直感というのは大切だ。でも、今はそのことより目の前にそびえ立つ脅威の方をどうにかするのが先で、ノーラは鉱山まで歩いて来たうちにした会話の内容や思考を一端、頭の隅に追いやった。


 月明かりが目立つ闇の中、一つの炎もつけられていない坑道への入口が現れる。カインと目だけで合図をかわし、先へ進む。意外と地面はしっかりしており、死体や装備品すら一つもなく、ただ土くれの匂いだけが粘膜にこびりつくほど強い。


 坑道の壁に触れた手のひらには自然と浮いた汗のせいで、土の一部がつく。心臓も多少だが動悸が速くなっている。巣にされているという奥付近まではまだ時間がかかりそうだけれど、潜んでいる鶏冠竜の存在に、無意識にも体が緊張を帯びているらしい。ほどよい感覚だ。固まりすぎてもおらず、かといって弛みすぎているわけでもない適度さ。隣で松明を持ってくれているカインはどうだろうか、柔らかな光に照らされた顔を盗み見たが、宿に帰ってきたのと同じ程度に陰りは消えていた。そうでなくては、と微かに唇の端が上がる。雇った意味がない。


「手前近くまで来たら、火を消すんだったな」

「そうよ、あとはあなたの光で灯して。鶏冠竜は光に敏感だから。先制を取っておきたいの」

「さっき試した程度の光でいいのか?」

「ええ」


 やり取りはごくわずかな大きさだけれど、人のいない坑道にはいささか大きく聞こえる。町から歩いてきた森の中は、カインの三等殊魂術トリ・アシェマトでつけられた光を頼りに歩いてきたが、月明かりより少し強く、かといって陽光ほどでもなく、丁度いい調節ができていた。大分殊魂術アシェマトの使いにも慣れたようで、頼もしい限りだ。でも、全てを任せる気はこれっぽっちもない。信用はしているが、信頼に置けるかどうか、それはまた別の話だ。能力に不満はない。素性や精神の不安定さにちょっと疑問があるくらいで。しかし自分の全てを預けたことなんてカインだけでなく他の誰にでもないし、これからもそうはできないだろう。話の流れで聞いたソズムの言い分はノーラの性質をこれ以上ないほどに的を射ており、できれば見捨てることがないようにできればいい、くらいの感覚でしかない。命を救ってもらった分は、もう片がついているのだから。今、カインと自分を繋げるのは目に見える金銭での契約だ。そこに互いの生死は含まれていない。


「剣に塗った毒は後で拭くけど、ちゃんと乾いてる?」

「大丈夫だ。目に入らないようにしてある」


 カインが片手で、剥き出しにして下げている剣を見せた。毒を塗った片方の刃が橙に軽く色づいている。草の汁がしたたる様子はなくて、また自分の斧も同様だ。カインの剣についていた【金緑石クリベル】は象徴媒体として機能するよう、大枚をはたいて鍛冶屋に頼んでおいた。自分の斧の柄中程につけた【紅玉グラナディ】も同じく、これも投資の一つだ。賭けで大分稼がせてもらったし、これから討伐するに当たってできることは可能な限り準備をしておく、どの<妖種ようしゅ>に相対するときもノーラはそれを欠かしたことはない。斧の刃は復元されてはいるが、完全に元の状態にするにはもっと大きな都市に行かねばならないだろう。鶏冠竜相手に支障が出るほどではないけれど。


 蛇が移動するときみたいな形のくねった道を二人並んで歩く。どこの松明置き場の火も消えており、光源はカインの持つものだけで、土埃がまたたく衛星ほしのように揺らめいている。足音はノーラが使った術で消しており、話さなければ風の音くらいしかしない。それも奥に進むにつれて大分弱まっている。空気の層が少しずつ薄くなり、炎も小さくなっていく。生き残った鼠たちが自分たちとは逆方向に走り去っていくのを見て、頃合いだと思う。


「大抵の鶏冠竜は一緒に、くっついて寝てるわ。そこを突く。あなたは作戦通りに動いて」

「作戦が上手く行かなかったら?」

「臨機応変に願いたいわ」


 軽口を叩き、片手を上げる。合図にあわせてカインが松明を落とし、足で地面へこすりつけると、炎はあっさりと消え周りが闇と化す。ノーラはしゃがんで目を閉じ、先程まで見ていた斜め向かいにある一部屋までの距離を正確に想像する。歩幅で数えて大股で五歩、それ以上進んだ先から感じる気配は闇の中でもノーラの体を刺激した。


 この先に二体、いる。呼気を正し、斧を両手で握り目を開ける。カインが剣を上げたのだろう、衣擦れの音が響いた。でも鼠が出す鳴き声ほどではない。完璧な暗視ができるほどではないが、闇に大分目が慣れてきた。地下深くに作られたわけではない鉱山の天井から、明かりとも呼べぬ程度の月の光が射しこんでいる。天候も体調も、充分だ。


 ふ、と呼気を吐いた瞬間カインの足を二度叩く。音の術を解除する。甲靴が土をえぐるほど素早く駆け出し、部屋の中央から存在を感じる対象一体に狙いをつける。翼が多分に広がった音。


「カイン!」


 目一杯力を入れて、わずかに見える翼のつけ根に斧を振り降ろすと同時に叫んだ。背後で目を眩ませない程度の明かりが灯る。斧は正確に一体の鶏冠竜の翼を削ぎ落とし、赤錆色をした鱗が宙に舞う。光に誘われるように鶏冠竜が完全に目を覚ます。雄鳥の顔にあるくちばしは鋭く、その体も翼も想像以上に大きい。一体の片翼を切り落としたと同時に体をひねり、隣で大きい鳴き声を上げる鶏冠竜の首元へ水平に刃を叩き入れる。刃は覆われた鱗の固さに怯み、薄く表皮を切るだけにとどまる。すぐに抜き放ち地面に転がり、爪の斬撃を躱す。


「宴と供物在りて成るは光・閃光!」


 黄土色の瞳が開かれたことを目視してカインの術が発動、カインに気付き集中していた一匹が輝く閃光に目を焼かれて悲鳴のような声を出す。薄目でもぼやける視界の中、それでもノーラの狙いは違わない。立ち上がって飛ぶように黄色の体を持つ尻尾、すなわち蛇を切り落とす。勢いで宙に飛んだ蛇が毒の霧を吐くが方向は逆だ。振り向きざまに顔を狙ってきたくちばしを避け、瞳へ刃を突き入れる。果実を潰したような手応え。漏れた毒霧を迂回しようとした刹那、翼にある牙のような突起がノーラの喉元をかすめていく。思ったより、とノーラの思考は冷たくなりながら状況を素早く見極める。体が大きいせいか、動きが鈍い。


 薄れゆく光の中、鶏冠竜の一匹が飛んだ。頭上を旋回しながら隙を待つ一体に対し、片翼となったもう一体が鱗に守られた胸を膨らませるのを見てノーラは後ろに跳ねる。


「安寧にいざなうは『栄護神メターデ』の加護、『陸海神ハーレ』が育むは栄光へのきざはし


 瞬間、宣言を述べるカインの波動が二匹の体勢を崩す。凄まじい風と光が部屋中を支配し、次第に緑と黄色の輝きはノーラの足下に集中する。


「実りある大地よここへ! 【疾風はやてなる光輝】っ」


 カインの交術が完成した。ノーラの体に蔦のような光の帯がまとわりつく。その瞬間片翼の鶏冠竜が毒霧を吐き出す。が、輝く蔦が持つぶ厚い空気がそれらをはじき返し、赤い霧は大気に溶け消えていく。その好機を逃さない。ノーラは輝ける蔦を流星のごとくまとわせながら軽くなった体で走り、二駆けほどで踏みこんだ間合いにある脳天へ全力で刃を降ろす。鶏冠も切り裂き頭蓋を破壊したまま振りかぶった勢いで宙に浮き、体を回転させる。伸びた足を狙う伸びてきた蛇は風を帯びた蔦に弾かれ、逆に切り裂かれて血飛沫を散らす。槍と化した獲物を手の中で回し、蛇の頭を落とす。片翼を失い、頭蓋をへこませたままの鶏冠竜を踏むように着地。折った膝の勢いをそのままに再び跳躍し、頭上でうごめく鶏冠竜の腹を突き破る。


 三度吐かれた毒の霧はあっけなく霧散し、でも完全に消えたと共に交術が切れる。槍を引き抜いてカイン側、入口の方に絶命しかけている鶏冠竜を蹴って飛び去りながらノーラは声を上げた。


「神に捧げるは宴への供物、姿成せ音・死音しおん!」


 暗がりの中、殺気立っていた鶏冠竜たちへ赤い瞬きが灯り、それはすなわち彼らが感じる音の全てを遮断させたということだ。体内に流れる血の巡り、心臓の鼓動、そして五感から通じる全ての音を消されて二匹は混乱の極みに陥る。人であっても完全に音を遮断されれば気が狂う。とりわけ敏感な<妖種>には遥かに効果が強い。飛ぶ方向を失い、天井に激しく体を打ち付ける一匹に対し、もう一体はまだ生きてはいた。激しい呼吸を繰り返すカインを置いてノーラは再び駆け出し、斜め上から心臓がある部位へと槍の刃を突き入れる。こっ、と小さい鳴き声を発し、一体は完全に動きを止めた。片手を部屋の奥、翼で天井の土をえぐり、ほこりまみれの残った一体へ意識を集中させる。


「坐にいまし『暁明神ヘメラー』の御手にて巡らすは炎」


 ノーラの体の底で灼熱の波動がうねる。一瞬暗闇に戻った部屋は、しかしノーラの宣言により赤い波動の光で満ちていく。熱い溶岩みたいな精神の奔流を制御し、手のひらから押し出すことを思い描きながら叫んだ。


「創造、形成、生誕、宴、供物、五大によりて顕現せよ、【火奉ひほう】!」


 首飾りと武器にある二つの象徴媒体が閃光を放った刹那、夏の日差しを凝り固めたかのような光が鶏冠竜に集中し、弾けた。内側から臓腑を焼く盛る火炎は回転するように外皮の鱗や翼を焦がし上げていく。胸が悪くなるような絶叫と匂いが大気に満ち、ノーラの耳と鼻を震わせる。体の器官を全て灰燼と化し、鶏冠竜がぼろぼろに崩れていく中、唯一残った黄色の殊魂アシュムが割れて炎の中に消えていく。波動を断ち切ってまだ余りある赤い光の中、ノーラは重くなった足を無理やり動かし、地に伏して動かぬ最後の一匹を念をこめて上から貫いた。黄色い最期のきらめきを残して二体目も絶命すれば、部屋は再び深い暗闇に包まれる。


 激しく肩で息をする自分の呼吸がうるさい。慣れない属性の一等殊魂術モノ・アシェマトを使ったせいか心臓の鼓動は激しく責め立ててくるし、浮かんだ額の汗が目に入りそうになり、気怠げに手の甲でぬぐい取る。ようやく息を正したノーラの背後で、獣脂の明かりにも似た輝きが灯る。カインだ。カインがつけてくれた光は強めで、おかげで地面に転がっている斧刃の部分も見える。体にのしかかる重さを振り払うようにため息をついてから、槍と斧刃を接着させた。


「大丈夫か?」

「なんとか」


 振り返り、引きつる唇をなんとかつり上げながらも笑ってみせる。心配そうな顔を向けてくるカインも軽く汗をにじませていて、やはり彼は術よりも剣の扱いを得意とするのだろうと、ちょっとだけぼんやりする思考の中で推測した。カインは剣を片手にしながらまじまじと部屋の中を見つめて、それから軽く苦笑を浮かべてこちらに向き直る。


「意外とすんなり終わったな」

「そうね。でも、あなたが支援と補助を両方担当してくれたおかげよ。そうでなかったら危なかったわ」

「……役に立てた、ということでいいだろうか」

「ええ、もちろん」


 妙にそのことを気にするな、とノーラは思う。カインは自分から見て、誰かの役に立ちたいという気持ちがずいぶん強いように感じる。それは悪いことではないけれど、と少し曇りを帯びた考えを頭を振って追いやる。格段気に止めることはないだろう。生き方は人それぞれだし、それを否定するつもりは微塵もない。深入りする予定も。だからノーラは笑ったまま話を逸らした。


「交術の波動、保つの大変そうだったわね」

「ああ。二つに流れが沿ってくるから、少し難しかった」

「使っていくうちに慣れるわよ。さて、生き残りか卵がないか、少し探しましょうか」

「卵?」

「そう、ちょっと部屋のくぼみとか気にしてみて。わたしはこっちを探すから、鶏の卵があったら割って切っちゃって」

「……わかった」


 なぜだか少し戸惑いを見せるも、カインは素直にうなずいて背を向け、壁や地面を探し始める。ノーラも光の影を使い、隠しの術から出した松明に火をつけて周囲をこぼさぬよう目をこらし、探索する。鶏冠竜の繁殖率は非常に低く、それでもごく稀に卵を産むときがある。産む卵の個数は少ないが孵るのがその分速い。雛を瓶に詰めて持ち帰り、売ることもできるが、あいにくと黄色の保存液は品切れだった。大方、今までもそう考えて返り討ちにあった連中のせいだろう。


 それにしても、とノーラは地面に掘られた穴や土壁をえぐった箇所を丁寧に見つけながら思案する。カインの術と剣の腕は本当に良い。何者かがわからぬところが奇妙だけれど、傭兵としてもかなりの手練れだ。二つ名もこの調子なら早くに持つことができるだろう。キュトススで出会ったのは吉兆かもしれない、そこまで思って我に返り、苦み走った笑いを漏らした。これ以上距離を縮める必要はないだろう。領都に戻れば、きっとまた刺客は出てくるだろうけれど、カインを続けて雇うつもりはノーラの選択になかった。それはノーラがどうにかすべきで、狙いが自分にあるとすれば、やはり片付けるのは自分自身でありたい。


 少しの間慣れた沈黙が二人の間に降りて、どちらともなくため息をついた。振り返ってカインを見ると、気付いたように首を横に振る。どうやら報告にあった通り、あの二体だけで済むみたいだ。気配や鳴き声を探ってみるも手応えはない。後は帰還するだけだ。


「町に戻ってイグローに報告する、のは朝になるかしらね。そうしたら領都に戻りましょう。そこであなたへの礼金を払うわ」

「俺は別に、取り立てて何もしてなかったように思うのだが」

「そう思うのは勝手だけれど、契約は契約でしょう。闘技会にも出てくれたわけだし、契約以上の働きをしてくれたと私は考えてるわ。それでも不満?」

「いや……そういうわけではない」


 領都と聞いたとき、カインの顔が若干強張ったようにノーラは感じた。きっと、デューとの付き合い方を考えているのだろうと。けれどノーラにはあずかり知らぬところだ。男同士の関係に口をはさむような野暮な真似はしたくないし、何よりそれは、カイン自身でどうにかすべき事柄だ。


 松明を持って、むず痒そうな顔をしているカインを置いて先に部屋から出る。上から土が多少降り注いでいたが、部屋を壊すほど騒いではいないのだからすぐに収まるだろう。もう一度耳と感覚を研ぎ澄ますが、やはり鳴き声や大きい生命体の気配はない。


「行きましょう、長居する必要はないわ」

「……そうだな」


 何やら考えこんでいるカインを後ろに、ノーラは気にせず元来た道を戻っていく。疲れは残っているけれど、大事がなくて良かったと思う。早めに倒しておいて正解だった。飛ぶのに不慣れな様子ではあったけれど、慣れてしまえば明日にでも街の方に来ていたかもしれない。


 せめてカインの考えの邪魔はしないでおこうと口を閉じ、黙々と歩みを進める。人との付き合い方や交流の仕方は、自分の調子で掴んでいけばいい。経験した自分の過去を思い出しそうになり、嫌気がさしてやめた。


 坑道を出ると、入口付近で秋風に震える監視人がいて、寒さに腕をこすりながらうかがうようにこちらを見ていた。簡単に討伐を終えたこと、生き残りがいないことを説明すると、監視人は安心を満面に押し出した笑顔を作り、労いと感謝の言葉をかけてくれる。ようやく義務が済んでほっとしたのだろう、彼はイグローに報告するためか足取りも軽やかに、ノーラたちを置いて先に行ってしまった。


 人気のない鉱山は秋の風にさらされて、何やら物悲しい。風もにわかに強まっている。さっきから真剣極まりない顔つきをしているカインの服装を、ちょっとだけ羨ましく思った。


「忘れ物とかしてないわよね?」

「していない、剣もちゃんとある」

「野犬程度は出るかもしれないし、武器はそのまま持っていてちょうだい」

「わかった」


 無理に会話をする必要はない、そう感じて鉱山のなだらかな道を下り、森へと入る。沈黙は幼いときからノーラの友で、何より身近にあったものの一つだ。そこを気にしないカインの相手はとても楽に思う。慣れてはならないが。


 そうしてしばらく森の中を歩いていて、ふと、ノーラは微妙な違和感に気付いた。上を向いて木陰の天蓋から覗く空を確認する。動かぬ衛星の一つが、来たときとはまったく場違いな方向に浮いている。足を止めて周囲を見渡すも、どれも似たような木が並んでおり区別はつかない。それでも残されてきた足跡や獣道のような小道を辿ってきているのだから、もう町についてもよさげなのだけれど、一向に町の明かりが見えてこない。


「どうかしたのか?」

「こんなに時間かかってないわよね、来たとき」

「……言われてみれば」


 カインは今初めて気付いた、とばかりに小首を傾げている。今度は緊張を孕んだ奇妙な沈黙が降りた。松明を思わず下げてもう一度周囲を確認したとき、目の端に青い瞬きが入って振り返る。明かりで気付かなかったが、カインの懐部分からごくわずかに青白い光が放たれている。


「……ねえ、カイン。何か持ってるの?」

「何をだ?」

「胸のところ」


 あ、と間抜けな声を発したカインが、慌てたように懐をまさぐるのを冷たい視線でノーラは見ていた。丁寧とも呼べる手つきで取り出された白の球体が、指と指の間でまたたき、一方方向に光を集中させている。近くに寄って見てみれば、それが【真珠マーガーテス】であることがはっきりとわかって同時に疑問にも思い、眉根が自然と寄ってしまう。


「象徴媒体? しかも白の? なんでそんなものあなたが持ってるのよ」

「そういえば朝方、知らない少年に入れられた」

「ねえ、それってソズムのことよりもある意味大切なことじゃあない?」

「そうなのか? 持ち主に返そうと思っていたんだが」

「そういう意味じゃあなくて」


 ノーラは真面目にため息をついた。象徴媒体のことを詳しく説明していなかった自分が悪いのだろうか、とも思ったけれど、そんなことはないともう一人の誰かが首を振った気がする。


「象徴媒体はね、ある意味術具なの。それは小さいからあまり大きな力は発せないけど。はい、白の属性は何?」

「確か……夢と心」

「正解、良くできました。正しく言うと精神でもあるわ。要はね」


 珍しいものを見つめているカインにいささか苛立ちを覚え、ノーラの語尾が強くなる。


「それで道に迷ってるの、私たち。のよ」


 上手くものが飲みこめなかったときのような、戸惑いと呆けを混ぜたような顔をカインが作って、理解できていないのだとノーラは頭を抱えた。何度目のため息か数えるのも疲れて、ノーラは力なくうなだれた。


「その少年だか誰だか知らない人間が、どうしてかわからないけれど私たちをこの森から出さないようにしてるの」

「む、そうなのか。なぜそんなことを」

「知らないわよ! こっちが聞きた……」


 つい大声を出した瞬間、ぐらりとめまいがした。いや、めまいではない。体の根本が揺りかごに乗ったときのように揺さぶられて、心地よい睡魔がノーラの目蓋を重くする。どうやらカインも同じようで、彼の足もふらつき、剣を地面に落とした音がする。地べたに転がる真珠は青みを強く帯び始めており、遠ざけなければと歩こうとして上手く体が働いてくれないことがノーラの焦りを強める。闘いのときに疲弊していた精神がここに来て祟るとは、まったくもって計算外だ。


 大きな音がして、カインが倒れたのに気付く。彼は目をすでに閉じており、それでも穏やかな呼吸をしていることは確認できた。体の底がほどよい暖かみを感じ、まどろみは容赦なくノーラを襲う。膝を突き、耐える。眠気を堪える術には長けている、けれど、媒体は力を強めていてすでに球体全体が青白く明るい。遠く、どこかの出来事みたいな感覚の中、それでも耳ははっきりとこちらに向かう一つの足音をとらえていた。殺気は、ない。刺客ではないことが逆にノーラの気を弛ませ、土の上で情けなく四つん這いになりながら、媒体へ手を伸ばす。


 でも、ノーラの手が真珠に触れる前より早く、それを拾った誰かがいた。今にも閉じそうな瞳を必死で開けて顔を上げる。


「大丈夫です。少し、村に寄ってもらうだけですから」


 声変わりもしていない、少女のような声音が脳を揺さぶる。穏やかすぎる声の主を見てノーラは舌打ちした。見知らぬ白髪の少年。瞳も青みがかった白で、薄い瞳孔の瞳と目を合わせているうちに、ノーラの意識はゆっくりとその灯火を消し、夢も見ぬ深い眠りに落ちていった。

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