2-2.エペーサと鶏冠竜、そしてベリ

 旅はカインが拍子抜けするほど順調に進み、途中から使った街道でも刺客がくる様子は見当たらなく、領都へ向かう旅商の天幕を借りて二日目の夜も無事に過ごせた。そうしてまた半日かけて辿り着いたエペーサの町は、思った以上に大きかったけれどどこか閑散としており、生ぬるさをともなった秋風に吹かれてどこか寂しげな印象を抱かせる。カインの見るところ、通りを歩くのはほとんどが途中に寄ったであろう旅人だらけで活気は無いに等しい。まばらな通りを外套を羽織ったノーラと一緒に歩きながら眺めてみたけれど、建物は領都と同じくほとんどが石でできていて、でも色は煤汚れた灰色だ。そこいらに点在する大きく長い石塔からはいくつもの煙が出ていて、夕暮れの空に雲よりも濃くたなびいていた。


「思ったより静かな町だな」

「前に来たときはもっと活気があった。<妖種ようしゅ>がいるから、あまり外に出る人がいないんだと思う」


 手にした巻物を確認しながら歩くノーラの声はいつもより低く話し方も雑で、髪をも隠す頭巾のついた外套と相まって見知らぬものが見れば一見、少年と間違えるかもしれない。刺客や町の人間に対する目くらましのため音の属性を使って声音を変えており、でもカインはもう慣れた。街道を通るときからずっと彼女はこうしている。もしかしたら、と巻物から視線を外さないノーラを横目で見つめながら思う。ハンブレの言っていた準備というのは、こういうものなのかもしれない。


「ノー……いや、ベリ。今回の相手はどんなものだ?」

鶏冠竜コクトルス。特殊階級二位に相当する竜族で、普段滅多に姿を出さない」

「竜? 空を飛ぶ、あの?」


 彼女は己の問いに小さく頭を振った。ベリというのはノーラの偽名だ。ベリ=ノーラという名で彼女は依頼を取っていたらしく、組合で初めて会った係の男が不安げにしていたのは、二つ名も持たぬ傭兵と同業者に討伐ができるのか、そんな心中だったからだろう。彼女が『蒼全そうぜんのプラセオ』と知ったら、彼は驚くだろうか、歓迎しただろうか、それとも拒絶したかカインにはわからない。


「酒場へ行こう、そこで話す」

「わかった」


 竜、と聞いてカインがまず脳裏に思い出せたのは、翼を持って大空を羽ばたく巨大なもので、でも彼女はそうではないという。それ以外の竜をカインは見たことがなく、考えても浮かび上がらない。建物の横に流れる風がノーラの頭巾を軽く持ち上げた。一瞬髪が覗いたけれど、そこにあるのはカインのよく知る青紫の色ではない。夕日に強く輝く赤紫だ。旅商から手に入れた染め粉で、彼女は髪の色も赤くした。目だけは変わらぬ濃淡を描く青で、瞳だけはどうにもならないとノーラは笑っていた。姿も声も違うけれど、隣から香る涼やかな甘い匂いも鳥のように軽い歩き方もいつもの彼女で、だからカインは平気でいられる。


 ごく薄い紫の絹みたいな雲が流れていく空や鼻をつく独特な香りを出す煙突を見ながら、少しの間無言で歩いた。屈強な体を持つ男たち、仕入れをしている商人たちは未だ休む様子がなく時折笑いを響かせているが、どこか空虚だ。町全体にある衰退の重さが人々の背にのしかかっているみたいに。見えない重圧でカインも口を噤んでしまう中、ノーラがふと足を止めた。カインも止まって扉の側を見上げれば、筒盃フィッザと寝台の絵が彫られている看板がその建物にはあった。


「ここにしよう。……カイン、宿、取ってみる?」

「俺が?」

「練習」


 返事を待たず、ノーラは木製の扉を開けて先に中へ入ってしまい、カインは焦った。いきなり突きつけられた難題に対処できるか不安だが、ともかくノーラの後を追う。中に入ればそこは外とうって変わって、にぎやかだった。人も多く、酒精の匂いが立ちこめている。明るい雰囲気と蝋燭のかがり火に安堵していたら、ノーラと己の前に主人らしき人間が愛想笑いを浮かべてやってきた。


「いらっしゃい。二名様で?」

「あ、ああ。二名。その、部屋も取りたいんだが」

「お泊まりですね。部屋は一室でいいですか?」

「いや……二室……」

「お食事付きにしましょうか? 付けないこともできますけどそちらの方がお得ですよ」

「なら、そうだな、その……今日の晩飯は、込みで願いたいんだが」

「はい、二名様晩飯込みですね。お一人様三百ペクになります」


 それが高いのか、安いのかよくわからない。不安になってノーラをうかがうと、彼女はうつむき加減ながら外套の懐から取り出した四枚の紙幣を男へ渡した。百ペクほど多く手渡された男は笑みを強めて、上機嫌な様子でカインではなく、ノーラへ声をかけた。


「お食事は今取られますか? なんなら、お部屋に持っていきますよ」

「いや、端の方に席を用意してくれればいい。それと部屋は二人隣同士で。二階の奥で願いたい」

「はいよ、二名様ご案内します」


 あちこち回っていた給仕人の青年を主人は呼び止め、なんやかんやと指示を出している。ほっと胸をなで下ろした瞬間、軽く肘で腕をこづかれた。


「五十ペクも高い。晩飯代は、いらなかった」


 ノーラの凄みがある小声になんとなくしゅんとしながら、給仕人の案内によって酒場側へ通される。窓もない奥の席は石でできていて、その冷たさにカインは軽く身を震わせた。給仕人が立ち去ってもなお、ノーラは外套を外さない。それでも不自然ではないのだろう、誰もこちらを気にする様子はなかった。久しぶりの喧噪は耳に痛く、しかし居心地がいい。


「どうして百ペクも多く出したんだ?」

「訳ありだとわからせるため」

「例えば?」

「家出してきた貴族の息子や、駆け落ちしてる最中の令嬢とか。気を配ってもらうために多く出すのは、基本」

「ふむ……なるほど」

「でも、もしかしたらもうその心配はないかもしれない」


 ノーラの声は小さいが、やかましい中にも良く通る。机をはさんで二人、顔を近付けながら会話を続ける。


「心配がない、とは?」

「狙ってるやつは、領都からわた……僕を追い出したかったのかもしれない。全く気配に気付かないのは、あり得ない」

「確かに今日も来なかったな」

「まだ完全に安心はできないけれど」


 言い終えたと同時に、給仕人が筒盃と野菜の盛り合わせを持ってきて、少し黙る。一瞬彼は奇妙な視線を投げかけてきたが、下手に関わらない方が良いと思ったのだろう、持っていた筒盃と皿を置いてそそくさと立ち去っていく。筒盃に入っているのは両方とも葡萄酒で、カインは舐めるように口を付けてみた。麦酒とは違った風味と甘さがある。ノーラも葡萄酒を飲みながら、一つ大きなため息をこぼした。


「でも、あまりにも攻撃的すぎる。悩みどころの一つ」

「ただ追い出すだけなら、命を危うくさせるところまで追い込まなくてもいい、そういうことだろうか」

「そう。僕に痛い目に遭わせたかったのかもしれないけど……それより厄介なのは、ここに出ている<妖種>」


 この町の組合に寄ったとき手渡されていた巻物を突き出されて、カインは片手で受け取りそれを見る。巻物には、被害に遭って命を失った人間と町の損害が一緒になって数として示されていた。そして記されている鶏冠竜の文字と、追記。鉱山跡地に子供の背丈ほどが二体とあって、カインは小首を傾げた。


「鶏冠竜は、竜科に属しているから特殊階級として位が付けられている。竜だけの階級。二脚翼竜ワイバーは二位。鶏冠竜と同じ」

「だが、飛んだりはしないのだろう?」

「追記にあったように、鶏冠竜が子供くらいの大きさになることなんてほとんどない。飛ぶ可能性すらある」


 ノーラが野菜の盛り合わせを食刺でつつきながら、軽く唇を噛みしめているのを見ながらカインは少し考えに耽った。


 カインの記憶の欠片にある限り、竜は巨大で、二つの翼を持っている。人前に姿を現すことはなく、大人しいものが大半で肉食なのはごくわずかなはずだ。四大竜と呼ばれる碧竜、赤竜、翠竜、黄竜はそれぞれ海であったり火山であったり、自然の姿をとって巨大な身を沈めていると乏しい記憶がよみがえる。でも、鶏冠竜のことは全く覚えがなくて、巻物を読み進めていると、毒の文字があって眉をひそめた。


「毒を持っているんだな、こいつは」

「そう。鶏冠竜は雄鶏の頭部と竜の翼を持ち合わせている<妖種>。吐き出す毒の霧は、一度でも浴びたら死ぬ。軟膏や薬草でも治せない。殊魂術アシェマトで上手く目を潰せればなんとかなるだろうけど」

「なるほど、ベリが言う通り厄介な相手だ」

「二体は少しきついかも」

「ずいぶん弱気だな」

「勇気と無謀は、違うから」


 給仕人がまた別の、牛酪がかけられた焼き肉やきのこの炒め物を持ってきて、しばらく無言が続いた。ノーラは何かを考え込むように静かに食事をしていて、カインも必然と思考を働かせることになる。カインの中で、何かもやもやしたものが燻っている。剣術を褒めてくれているわりには、どうにもカインの腕を信頼しているようだとは言いがたく、そこが己のどこかをくすぐった。己では、まだだめなのだろうか。足りないところがあるのだとしたら、それは多分に実績だろう。羽女人ハルピー水妖馬ケルピンを倒してみせたけれど、でも後者はデューの叱咤がなければ動けぬままで、しかもノーラは退治したときの状況を見ていない。もしかしたら彼女は今、応援を呼ぶことを悩んでいるのかもしれず、そう考えていくうちになんだか不安とは別の、名状しがたい感情が呼び起こされる。


「俺では、不服か」

「そうじゃあない。僕の武器も壊れたままだし、どうすればいいか考えているだけ」

「ここは鍛冶屋も盛んなのだろう? 武器なら直せる」

「……殊魂術が、不安の要因」


 言いたいことを告げる準備を整えるみたいに、ノーラは勢いよく食べ物を酒で流し込み、それからほんの少しだけ頭巾をまくった。挑むような青の双眸がカインをとらえ、離さない。


「鶏冠竜に対抗するには、最低でも交魂……交術が不可欠。あなたにはそれが足りない」

「む」

「交術は神話を元に、自分で組み上げていかなくてはならない。人が使っているのをそのまま真似することもできるけれど、あなたは宣言の作り方から学ぶ必要がある」


 厳しい指摘にカインは黙ることしかできない。ノーラの言うことはもっともで、己が知っているのは基礎とちょっとした二等の殊魂術だけだ。神話は最低限わかっていればいいと考えていたから本でも読んでいなかった。天護国アステールの歴史などを勉強するより、やっておくべきことは他にあったとわかってカインは己を情けなく思い、食事の手が止まる。


「この町に神殿はないけれど、祈祷所ならある。そこで神話を学んで、できれば三日で組み立ててほしい」

「三日」

「それまでに僕も武器をどうにかしてもらう。話はそれから」

「最初から、エナオンに協力を頼めば良かったのではないか?」


 つい、嫌味のような愚痴が口をついた。放った言葉は子供の駄々みたいで思わず我に返ったが、ノーラの瞳は苛烈極まりない光をたたえていた。怒りと呼ぶより、カインの投げやりな態度を諫めるような眼差しだ。


「ただの鶏冠竜ならこんなに悩みはしない。でも、事情がわかってそれに対抗する手段を考えざるを得ない。臨機応変という言葉、わかる?」

「……わかる」

「あなたのことを信用していないなら、とっくにエナオンを呼んでいる。僕も緑と黄色の交術は使えないから。山を舞台にするなら、あなたの強の殊魂アシェムが何より役立つ」

「ああ」


 口に出した失言を取り戻したくなって、でもどうしようもなくカインはきのこを刺して食べた。そも、護衛を言い出したのはカインの方だ。そして補佐のことも。己から提案した物事を己で否定して、そこに残るものはきっと己と他人が抱く失望だけだ。


「僕はこの通り、素性を明かせない。明かしてやってもいいけど面倒になれば仕事に支障を来すから、嫌だ。そうでなくともここの組合は不信感を抱いている」

「二つ名持ちが来ればと、やはり思っているのだろうか」

「少なくともそれを期待していた節はある。特にデューを望んでいたみたいだ」


 デューの名前を聞いて、カインは目をまたたかせた。この町でもデューは人気があるのだとわかって、なんとはなしに燻っていた何かが頭をもたげた。


「デューは、ここの闘技場の優勝者。だから期待も高い……けれど、正直彼には重荷だと、僕は思う」

「なぜだ? 腕は確かだ」

「彼は交術が使えない」


 そういえばと、デューの容姿を思い出す。髪も目も、明るい緑だ。姉であるフィージィと違って、彼は一色の殊魂しか持っていないのだろうか。


「デューの殊魂は、単色なんだな」

「……それが公爵と仲の悪い原因の一つ」


 まるで神秘に隠された秘密を明かすかのような声音で、ノーラは呟いた。でも、カインにはよくわからない。殊魂の色で何が変わるというのだろう。続きの言葉を待つカインを見てノーラが何度目かのため息をつき、小さな口を開けた、そのときだ。


 酒場の入口の方が、ほんの少しざわめいた。黄土色の短髪を持った青年――多分、三十前といったところか、見知らぬ誰かが数人のたくましい男たちを連れて、主人と何やら話をしている。主人はへつらうように頭を何度も下げており、それからこちらをちらりと見つめた。青年はうなずく。騒がしくなった周囲を無視して、向かってくるのはまぎれもなくカインたちの方だ。青年はノーラとカインが座る席までやってきて、周りの奇異にも似た注目をはね返し、見下すように立ったまま問う。


「ベリ、という戦闘商業士はあなたですか?」

「……そうだが」


 青年はにこりともせず、ひまわりのような瞳をすがめてみせた。少しこけた頬の影が、どこか陰気な雰囲気となって男の体にまとわりついている。


「エペーサ町長の息子の、イグローと言います。少しお話しをしたいのですが……そこの傭兵の方も同じく」


 暗く、値踏みを隠せていない視線を遠慮なくぶつけられて、カインはノーラと目だけで互いを見た。少なくとも、とどこか尊大な態度を取る青年を見て思う。あまり良い話ではなさそうだ。

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