1-11.仲間殺し

「名前はカイン。姓はなし。神権国ガライーの山村出身か」


 ノーラと考え、決めた己の偽りを記した巻物を見てその男はつぶやいた。


 細長い机の向こうで、本のように糸で閉じられた紙束をめくりあげているのは傭兵組合の受付係らしい。髪の毛が薄い頭を撫でながら、値踏みするようにじっと己を見つめてくるその視線に胸中は穏やかではない。デューの口利き、いわゆる紹介があったから眼差しは厳しいものではなかったけれど、まるで一つの品物になったみたいな気分になる。


「歳は?」

「天体神の月の五日に、二十三になった」

「わかった。獲物は大剣、と」

「腕の方は確認済みだぜ、おやっさん」

「デュー、お前さん、また喧嘩吹っかけたのかいな」

「好きでやったわけじゃねぇぜ、なあ?」

「……多分」


 お節介と言っていたのだから、少しは趣味らしきものがあったのではないかとカインは思い、返答を濁す。


 傭兵組合の中は閑散としており、人もほとんどいなかった。それに、武骨なまでに物が少ない。硬い椅子と四角い机が多くを占め、唯一目を惹くのは銀色の蜘蛛が刺繍された垂れ絹だ。確かそれは『時騒神じそうしんエキン』を象徴したものだと、神殿で得た知識とおぼろげな記憶の破片から思い出すことができた。


 そこここに貼られた要指名手配犯と書かれたたくさんの紙は、否応なしにカインの緊張を強める。己が万が一そこに載っていたならば、そんな恐れがあると同時に、知り合いはいないかという微かな希望が相反して顔が自然に引きしまる。


「お前の紹介なら、まず間違いはないだろうと思うが……こればかりは実戦を見んとなあ」

「オレがお墨付きつけてんだぜ。登録だけでもしとけって」

「そうさな。犯罪歴は、と」


 分厚い本を取り出し、係の男は何事かをつぶやきながらペンを走らせている。犯罪と聞いてカインの心臓が大きくはねた。あの虐殺にも似た防衛は、犯罪のうちに入るのだろうか。ざわついた心を押しとどめるように、近くの椅子に腰かけているノーラを見た。彼女はカインが聞いてもどこか音律のおかしい鼻歌を歌いながら、腰布から取り出した貝の容れものを開けている。


「ノーラ」

「何?」

「すまなかった」

「さっきもう謝ったじゃないの」

「違う。ノーラを傷つけたことを謝罪してない」

「この程度の傷、いつものことよ。それにあそこに飛び出していったのは私だから、いいの」

「……そうか」


 貝殻の中から微量にすくい取った、紺色をしたのり状の何かを頬につけながらノーラは答えた。まるで抜けかけた雑草を摘み取る程度の軽い口調だ。それが本心かどうかカインにはわからない。でも、ほんの少しだけ救われた気がした。彼女の言葉が残っていたしこりを解きほぐしてくれたのだから、今はそれでいいと思う。


「よし、確認終わりと。一覧表に載せたりするから、ちょっと待っててな」

「わかった」


 言って、係の男は奥の部屋へと入っていく。どうやら己に犯罪歴はなく、このままなら無事傭兵組合に所属できそうだ。


 胸をなで下ろしながら、ノーラの隣へ腰かける。そんな己を楽しげに見ながら、台の上で足を組んでいた青年――デューが身を乗り出してきた。


「なあ、カイン。また仕合いしようぜ」

「仕合い?」

「組合は私闘を認めてねぇんだけどさ、仕合いなら別物なんだよ。鍛錬って名目で」

「ふむ、鍛錬か」

「そうさ。相手の動きを知るってことは、連携取っていくのに必要だしな。前戦向きなのか、後方支援向きなのかそれで分かったりするんだ」

「彼、まだ基礎殊魂術アシェマト習ってないわよ」


 ノーラが放った言葉に、デューの顔が唖然としたものに変わる。


「それでどうやってほどいたんだよ、あのとき。あれ、二等殊魂術ジ・アシェマトだぞ?」

「……あの翠の光のことなら、なんとなく振り払えそうだったから、そうした」

「くそ、緑の強持ちか」

殊魂アシュムの種類までもわかるのか?」


 フィージィも同じことを言っていたような気がして、カインは首を捻る。悔しそうに顔を歪めるデューは、まるで拗ねた少年みたいだ。


「殊魂と精神力が上、かつ同じ色の属性の術なら、無理にでもほどくことはできるわ。普通は殊魂術で対抗するけど」

「体力までまだ残ってるみてぇだし。くそ、とぼけた顔して無茶苦茶なやつだな」

「ふむ」


 褒められたわけではなさそうだ、とカインが思っていると、ノーラが机の下で何かの巻物を差し出してくる。足に触れたそれに気付き、声を上げようとしたけれど、ノーラは素振りすら見せないように振る舞っている。黙って受け取れ、きっとそういうことなのだろう。推測したカインはデューの目を盗み、巻物を急いで懐の隠しにしまった。


 一瞬見えた角張った文字には見覚えがある。フィージィの字だ。この瞬間を見てノーラがそれを出してきたということは、きっと殊魂術に関してのことだと思われた。フィージィには悪いことをしてしまった気がする。突然部屋を飛び出して、驚かせてしまったことの方が大きいようにも感じたが。


「ま、互いに術師じゃねえしな。やっぱ拳と拳のぶつかり合いで勝負しようぜ、勝負」

「切りかえが速いわね。仕合いじゃないでしょう、それ」

「デューはいつもそんなんさ。いつも仲間に突っかかっちゃ勝負したがるんだ」


 からからと笑って言ったのは係の男で、その声は人気のない部屋に明るく響く。戻ってきていた男の手には、小さな金属板と数枚の用紙があった。


「おっ、できたか?」

「ちょいと来てくれ、兄さん。渡さんとならんものが数個あるんでな」


 言われてカインはうなずいた。

 男の手に収められている金属板を見つめると、そこには己の名と傭兵組合員という単語が記されており、気付かれないように安堵のため息を漏らす。空っぽだった己の器が少しずつ充たされていく感覚は、どこか春の陽気のようにカインの心を慰めた。


「こっちの板金が身分証だ。失くしたらまた手続きが必要になるからな、なるべく落とさないでくれ。で、これは傭兵組合の決まりごとさ。ちゃんと目を通しておいてくれな」

「ああ」


 手のひらに収まる程度の身分証には、金属特有の冷たさがある。それでもようやく、傭兵のカインという己を確立できた安心感の方が大きい。


 巻物をしまった隠しとは別のそこに、それぞれを大切に入れる。ノーラが影から荷物を出すような真似をしたいけれど、どうすればそれができるかは思い出せないままだ。


「よし、これからはおんなじ傭兵だな。改めてよろしく頼むぜ、カイン」

「わかった。色々教えてほしい」


 不敵に笑うデューに素直にうなずくと、やはり彼はどこか嬉しそうに頭を掻いている。何がデューへ喜びをもたらすのかカインにはよくわからないけれど、彼の笑顔は不快ではない。


「じゃ、先輩からの助言な。まず町や都で収集がかかったら、なるべく参加した方がいいぜ。後は指名手配犯をとっ捕まえること。そうすりゃ有名にもなれるし、お偉いさん個人からの依頼も多くなる」

「仕事をした分金を稼げる、ということか」

「意外だなあ、お前って金目当てなの?」

「その……借金があって」


 ノーラを軽く見ると、彼女は満面の笑みを己に向けており、濃淡を描く瞳は異様にきらめいている。加工された鉱石というより、どちらかといえば欲にまみれた原石のような目をそれでもカインは嫌いになれない。


「なるほどな。それなら地道にやるか、大物狙いで一発当てるかだな。名をあげたら二つ名が手に入るぜ。オレみたいにさ」

「確か、君の……閃風、というようにか?」

「デューでいいぜ。そう、そうすりゃ金の入りが莫大に上がる。有名どころじゃ、貴族によく護衛を任されてる『喝決かっけつのクリティアン』、王国騎士団に入った『孥剛どごうのコルタキ』……あとはなんだっけなあ」

「……そうさね、傭兵じゃあないが『蒼全そうぜんのプラセオ』もある意味有名さね」

「おっ、それそれ。こないだめちゃくちゃ綺麗な琴弾きが酒場で歌ってたし、オレでも知ってる」

「プラセオ?」


 デューと男の言葉に、思わずノーラを二度見した。確かノーラの姓はプラセオだ。忘れないためと刻みつけた記憶に間違いはない。が、ノーラは容器を片付け、玩具に飽きた猫のような面持ちで壁に貼られた紙の群れを見ている。


「ねえ、おじさん。今日は大きな依頼は入っていないのかしら」


 ノーラが再びこちらを見たけれど、口に上らせたのは話をそらすような話題だ。二つ名には触れない方がいいのかもしれず、気になる思いをカインは鎮める。


「そうさなあ……<妖種ようしゅ>絡みのはあったらしいが……」

「本当かよ、おやっさん」

「いや、それが」


 まるで酸っぱく、同時に苦い草でも食べてしまったときのような顔で男は言い澱み、腕を組んだ。


「……戦闘商業士の組合に行った方がわかるさね」

「訳ありかしら」

「そんなところかねぇ……」


 男はデューを軽く見て口をつぐむ。大きな肉の塊を食らい、喉につまらせてしまったような言い方だ。黄色い目を閉じて感情を悟られぬよう押し黙る姿は、どこか下手な彫り師が気まぐれに作った彫像のようだ。無言が気まずい空気をともなってカインに伝わってくる。


 こういうときにどういった行動を取ればいいのかわからず、やはり困ってノーラを見直したそのときだった。


「まったく話にならん!」


 突然、咆哮にも似た声が反響し、扉の開く音と共に部屋全体を震わせる。カインが振り返ると、そこには眼帯をした屈強な男を筆頭に、数人の男たちが揃って組合に入ってきていた。

 皆、年の頃は三十以上だろうか、厳めしさと怒りを混ぜた顔持ちをしている。


「総長!」

「きてたか、デュー……ん? そこの男は見かけない顔だな」


 先頭にいた男から、赤の片目を向けられて、頭の中が一瞬硬直する。挨拶をどうしていいものか悩みあぐねる己の肩を、デューが軽く叩いて緊張をほぐしてくれた。


「さっき新しく入ったカイン。オレのお墨付き」

「なるほど、新人か。よく来た。キュトスス傭兵組合総長のソズムという」

「……カイン。今日、傭兵になったばかりだ」

「そうか、デューが見込んだとあれば、期待せんとならんな」


 ソズムと名乗った男はたくましい長身を揺らし、静かに笑って見せた。覗く八重歯のせいか、どこか不遜な感じがする。


「なあ、総長、みんな。何があったんだよ。話にならないとかどうのって」

「ああ……実は」


 言いかけたソズムの口が止まり、一点を凝視する。ソズムの顔がますます強ばり、それに気付いた後ろの連中がざわつき始めた。視線の先にいたのは、ノーラだ。


「なぜお前がここにいる、『蒼全のプラセオ』」


 周囲の空気がまた、変わった。ノーラに向けられた感情の余波には様々なものが含まれており、上手く読み取ることができずカインは戸惑う。やはり蒼然のプラセオとはノーラのことだったのだと納得できた以上に、彼女へ突き刺さる男たちの視線は茨よりも固く、氷よりも冷たいことが気がかりだった。デューは口をぽかんと開けてノーラを見つめ、己とノーラを交互に指さした。


「え、アンタがあの『蒼全のプラセオ』? カイン、お前知ってたの?」

「いや、知らなかった」

「お前さあ、どこまでとぼけてんの」

「ここは」


 デューとのやり取りを遮るように、石よりも硬い声音でソズムは言った。


「ここは、お前が来る場所ではない」

「そう。それってあなたの言い分かしら、それともキュトスス傭兵組合全体としての意見?」

「少なくとも、ここでお前を歓迎する傭兵やつはいないだろう」

「そうでしょうね」

「分かっているなら早く出て行ってほしいんだがな」

「安心してちょうだい、もう行くわ」


 ノーラが自然と、カインの前を通り過ぎた。足取りも姿勢も何ら変わりなく凛としているけれど、平然とした顔と相まってだろうか、まるで氷柱みたいな雰囲気がある。男たちの視線もものともせず群れを避けさせる姿は、寒中にあってなお変わることなく屹立した、古代からある氷像みたいな芸術の粋だった。


 カインは一瞬迷った、が、すぐに体を反転させる。


「おい、カイン。挨拶がまだだろ」

「……すまない」


 わかってくれとは言わない。ノーラがなぜここにいてはならないかも知らない。だけど、ノーラを一人にしたくない。勝手な思いだ。でも、決して悪い衝動ではないとカインは感じた。


「オレら、夜はほとんど『黄緑の真珠亭』ってところにいるからさ! お前だけでもいいから来いよ!」

「ありがとう」


 重くなった空気の中で、デューの言葉はそれでも明朗のまま変わらない。冬に射す暖かな太陽みたいな声音に救われて、カインはノーラの後を追う。


仲間殺し・・・・のプラセオめ」


 吐き出すように誰かが言った。呪いの重さを帯びた言葉を聞かせたくなくて、カインは思いきり力をこめて扉を閉めた。

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