第14話 一年生合宿、開始!
三回目のキス事件の後、剣淵はより佳乃を避けるようになった。
隣の席だろうが会話をすることはない。佳乃が剣淵の様子を伺っても目が合うことはなく、そっぽを向いている。机もこころなしか距離が離れているようだった。昼休みは剣淵の席に男子生徒が集まって昼食を食べていたのだが、それもなくなった。昼休みになれば教室から剣淵の姿が消えている。
剣淵の家に行った時は、少しだけいいやつかもしれないと思ったのだ。他の人が知らない剣淵のプライベートに踏み込んだと思っていた。
それを三回目のキスが奪っていった。佳乃に近づけば不思議なものに操られてキスをしてしまうのだから、避けるのは当然の選択なのかもしれない。
「どうしたらよかったんだろ……」
静かな隣の席に視線をやりつつ、昼食を食べる。大好きな卵焼きも味気なく感じてしまうほど憂鬱だ。
「もうすぐ体育祭だね」
心ここにあらずな佳乃に声をかけたのは、対面に座る菜乃花だった。
「明日から一泊二日の一年生合宿。それが終わったら来月のメインイベント、体育祭」
「やだなぁ」
「その後は佳乃ちゃん大嫌いな期末試験もくるね」
「あー……それもやだ」
体育祭、期末試験。どれも佳乃の胃を痛めるイベントである。体育祭なんて運動神経のいい生徒だけで行えばいいと思っているのだが、全員参加の競技から逃げられない。運動神経ゼロの佳乃からすれば、地獄のイベントである。皆が走り回っている間、炎天下の野外で待機なんて誰が得するのか。
さらに期末試験もよろしくない。成績順位表でも下から数えた方が早い佳乃である。今回も赤点回避を目指さなければ。
「……ご指導よろしくお願いします菜乃花様」
「ふふ、任せて」
目の前にいるのは、成績順位十番以内に入る菜乃花だ。去年もテストが近づくたび菜乃花に教えてもらっていたのだが、今回もお世話になるだろう。
「でも驚いたよね、中間試験の結果」
「私が三十一点で赤点回避した話?」
「それもすごかったけど――」
菜乃花は隣の空席を見た。
「こう言ったら失礼かもしれないけど。剣淵くん、勉強もできるのね」
順位表が貼りだされた時、上位に割り込んだ剣淵の名にクラスメイトはざわめいたが、佳乃はまったく驚かなかった。彼の家に行った時、佳乃がいるにも関わらず勉強ばかりしていたのだ。日ごろから勉強ばかりしているのだろう。
「明日からの一年生合宿のお手伝い、がんばってね。でも伊達くんの演劇にうっとりしちゃって、暴走しないように」
「あ、あはは……頑張るよ」
暴走というくだりが佳乃らしく、いままでを思うと否定することができない。苦笑しながらも佳乃は複雑な思いを抱えていた。
一年生合宿で伊達に近づけることはうれしい。演劇だって楽しみだ。だが、周囲の環境はあまりよろしくない。浮島はもちろん、いまの剣淵と顔を合わせるのが気まずいのだ。
なにも起きなければいいけど。
明日からこの学校で行われる行事が平穏に終わるよう、祈る。
***
波乱の一年生合宿がはじまった。
一年生合宿とは五月末の土日に行われる行事である。協調性を高めるという名目で一年生たちは学校に泊まる。生徒たちは協力して夕飯を作ったり、親睦を兼ねたオリエンテーションに参加するのだ。
これをサポートするのが生徒会である。だが生徒会の人数では足りず、上級生の一部も行事協力生徒として参加していた。この中に、佳乃や浮島、剣淵も含まれていた。
合宿がはじまり、佳乃は共に協力を名乗りでた浮島、剣淵と共に行動をしていたのだが、始まってから夜まで走り回ってばかりだった。やれ調理実習室室で一年生の様子を見るだの、材料が足りないから取りにいくだの、一年生が喧嘩しただの、と校内を何度も往復するほど忙しく、伊達に接近する機会はなかなかない。
さらにメンバーも悪かった。浮島はやる気なしで手伝わず遊んでばかり、剣淵もやる気なさそうに呆けているばかりで、頼りになる者は誰もいない。佳乃だけが慌ただしく走り回っている状態だった。
ようやく落ち着いたのは、夜。オリエンテーションが行われている頃だった。
「つ、疲れた……足が棒みたい……」
どさっと扉にもたれかかって佳乃は廊下に座り込む。
「佳乃ちゃんおつかれー。忙しそうだねぇ?」
「浮島先輩も少しは手伝ってくださいよ……」
共に歩いてきた浮島と剣淵も立ち止まり、特に浮島は疲れた佳乃の様子をみてくすくすと笑っていた。
「憧れの伊達くんとお話する機会なくて残念だね」
からかうように言って、浮島が隣に座る。
剣淵はというと、二人のように廊下に座り込むのではなく、離れた位置で壁にもたれかかっていた。
やはり剣淵との距離を感じる。わざと佳乃を遠ざけているような印象を受けてしまうのだ。合宿の間ぐらいは言葉を交わすかと思っていたのだが、かれこれずっとしゃべっていない。話しかけても浮島と業務連絡的な会話をするばかりで、それ以外は不機嫌そうに眉を寄せている。
「あーあ。つまんない」
浮島の声に呼び戻され、慌てて佳乃は剣淵から視線を移した。
現在行われているのはオリエンテーションの前半、校内肝試しである。廊下の電気を落として薄暗い中、懐中電灯を持った一年生たちが探検するのだ。生徒会役員たちはおばけ役を担当し、協力生徒は誘導係となっている。
佳乃たちの担当箇所は、この教室だった。空き教室なのだが、体育祭用の道具を置いているらしい。薄暗い中肝試しルートから外れてしまった一年生が迷い込んでしまっては大変だということで、一年生が近づいたら道案内をすることになっている。
「オレもおばけ役がよかったなぁ。一年生ちゃんに『悪い子は食べちゃうぞ』なんて脅かすの楽しそうじゃん?」
「おばけって、人間を食べましたっけ?」
「あー……そういうところはピュアだよね、佳乃ちゃんって」
おばけとは肉食だろうか、と首を傾げている佳乃に浮島は苦笑した。
しかし、まったく暇である。肝試しがはじまっても一年生は一人も通りやしない。
「この後、生徒会の演劇があるんですよね……楽しみだなぁ」
「オレはいいや。あんまりおもしろくなさそうだし――剣淵は? 演劇みる?」
突っ立ったまま無言の剣淵に、浮島が話を振った。
「……どーでもいい」
「楽しくない男だねぇ。一度きりの人生なんだから、ハジけた方がいいよ。オレと一緒に一年生ちゃんのナンパでもいく?」
「こらこら、浮島先輩なに企んでいるんですか! だめですよ!」
浮島が茶化しても、剣淵の反応は薄い。じろりと睨みつけた後、そっけなくまた俯いてしまった。
気まずい空気が流れているのだが、それは浮島に伝わっていないのだろう。次にからかうターゲットを佳乃に切り替えたらしく、意地悪い笑みを浮かべて言った。
「青春恋愛といえば合宿とかお泊りイベントの急接近じゃない? ちょっと伊達くんの寝こみ襲ってきてよ」
「はあ!? なに言いだすんですか、いやですよ」
「もしくはどっかの教室に伊達くん呼び出して、カギとかかけちゃって、でこう制服を脱ぎながら迫ってみちゃったり――大丈夫あのガリ勉伊達くんならコロッと落ちるよ」
「迫りませんし、落ちません! 変なからかいやめてください」
恥ずかしさを隠すように早口で否定する佳乃をみて、浮島は腹を抱えて笑っている。その様子に苛立って、佳乃はそっぽを向いた。
「なーんか、面白いことないかなぁ」
佳乃も剣淵もしゃべらなくなってしまい、いよいよつまらなくなったのか浮島がふてくされて呟く。
すると、遠くから足音が聞こえた。
「……誰かきましたね」
「伊達くんじゃない? 佳乃ちゃん出番だよ」
浮島の言うことを信じているわけではないが、姿がぼんやりとしか見えていないこともあり、伊達かもしれないと淡い期待を抱いて、遠くからやってくる懐中電灯の明かりに目を向ける。
一歩一歩と近づいてくる足音に、固唾をのんで待っていると――
「……残念」
現れたのは一年生の男子だった。
伊達ではないことと、一年生でも食指伸びない男子なことがお気に召さなかったのだろう。はあ、と露骨に息をついて浮島が立ち上がる。
「肝試しのルート、間違えてるよ。こっちは立ち入り禁止」
「は、はい。すみません」
先輩たちに囲まれて萎縮してしまったのか一年生男子は泣き出しそうな声で謝り、頭をさげた。
「正しいルートまで案内してあげる。剣淵くんが」
「めんどくせーな、どうして俺なんだよ」
「えー。剣淵くんヒマそうじゃん。おしゃべりもしてくれないし。さっさと案内してきてよ」
浮島の無茶な振る舞いに剣淵は苛立っていたようだが、佳乃がいて気まずいこの廊下に残っているのも嫌だと考えたのだろう。渋々頷くと、一年生男子に「こっちだ、行くぞ」と声をかけた。
剣淵が案内のために廊下の暗闇に消えた後、残されたのは佳乃と浮島である。
佳乃からすれば、浮島と二人残されるのは嬉しくないことだった。警戒心をあらわにして距離をとろうとした時、浮島が動いた。
静かな廊下に、がらり、と扉の開く音が聞こえた。振り返れば浮島が教室に入ろうとしていた。
「この教室ってなにがあるんだっけ?」
「だめです! 立ち入り禁止ですよ」
「みるだけ。なんだっけ、体育祭の看板?」
引き止めるも浮島は止まらない。教室から引っ張り出すべく実力行使にでて、その制服を掴もうとした時――
「あ、れ――」
慌てて動いたため、足がもつれる。バランスを崩した体がぐらりと前に傾き、態勢を整えようとしたのだがうまくいかない。
そのまま、教室に滑り込むようにして佳乃は倒れこんだ。
「いったぁ……」
なんとか受け身をとったため顔面からのダイブは避けたが、派手な転倒音が教室に響いていた。
そして。派手な転びっぷりを披露した佳乃を嗤う声。
「うわー。録画すればよかった。その転び方、サイコー」
「わ、笑わないでください! 浮島先輩が教室に入ろうとしたのが悪いんです!」
「えー? だって気になるじゃん」
そう言って浮島は廊下に向かう――のかと思えば、教室の出口でぴたりと足を止めた。背を向けたまま、佳乃に言う。
「ねえ。この教室ってさ、どうして立ち入り禁止なのか知ってる?」
「体育祭の道具が置いてあるからだと思いますけど……」
「ううん、違う。ホントはね、」
佳乃は耳を疑った。扉を閉める音がしたのだ。
教室の扉がレールを走り、ぴたりと閉まる。瞬間、カチャリと軽い音が聞こえた。
「浮島先輩……なに、して……」
この音はカギをかけた音だろうか。怪しく思う佳乃に、浮島は振り返る。
真っ暗な教室だというのに目は暗闇に慣れていて、浮島がにたりと意地悪い笑みを浮かべているのが見えてしまった。
「この教室、古いからさー。カギをかけてしまったら、外からじゃないと開けられないんだ」
カギをかけたら、廊下から開錠する必要がある。そしていま、浮島がカギをかけた音が聞こえた。
つまり。佳乃はこの状況を飲み込み、判断する。
「閉じ込められた……?」
「正解。ま、閉じ込めたのはオレだけど」
波乱の一年生合宿。浮島対佳乃の密室タイマン勝負がはじまる。
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