2章 浮島総監督による合宿騒動
第9話 ウキシマ作戦、剣淵ゴツン
それは翌日の昼休みのことだった。
「三笠」
教室で剣淵が話しかけてくるなんて初めてのことである。昼食を共にしていた菜乃花は目を丸くして驚いていたが、佳乃は剣淵がきた理由を察していた。
「……うん。わかってる」
「話は早いな。少しツラ貸せ」
声だけでなく姿から怒りのオーラがひしひしと伝わってくる。そりゃ、そうだ。怒っているだろうとも。そんな相手とこれから話すのだと思うと、佳乃は憂鬱になってくる。
仕方なく立ち上がると、慌てたように菜乃花が口を挟んだ。
「待って」
「……あ? 誰だお前」
「あなたと同じクラスの北郷菜乃花です。佳乃ちゃんをどこへ連れていくつもり?」
納得できる理由がなければ佳乃を渡さないとばかりに強い口調で聞く菜乃花に、剣淵は困っているようだった。手で顔を覆いながら「めんどくせーなあ」と小さく呟いたのが佳乃にも聞こえた。
「剣淵。菜乃花は事情を知ってる子だから」
「……事情ってことは、浮島さんについても知ってんのか?」
佳乃は頷いた。昨日のことについても既に菜乃花に話している。
「佳乃ちゃんが心配だから、私も一緒に行っていいかしら?」
心強いボディーガードだ。佳乃としてはぜひ来ていただきたいところである。
剣淵はじっと菜乃花を観察した後、あっさりした反応で「勝手にしろ」と答えた。
***
集まったのは空き教室、ではなく校舎裏だった。浮島のことを思うと空き教室を使用するのに抵抗がある。また撮られたらと怖くて、佳乃から校舎裏を提案したのだ。
周りに人がいないことを入念に確認してから本題に入る。まず最初に説明したのは、グループチャットの名前が『剣淵と佳乃ちゃん二回目のキスを祝う会』になった理由だ。
「――じゃあ、なんだ。浮島に見られてたってのか」
「うん。帰ったふりをして隣の教室に隠れていたみたいなの。それで私たちの会話を盗み聞きどころか、たぶん……動画でばっちり撮られてる」
佳乃が話すと、剣淵は落胆まじりの息を吐き、校舎裏の壁を殴った。会話やキスまで知られてしまった羞恥心と行き場のない怒りをぶつけたのだろう。いくら運動神経や体格のいい剣淵といえど一発殴ったところでコンクリートの壁に傷がつくことはなく、ただ鈍い音が響くだけだった。
「クソッ! めんどくせー、なんでこんなことになってんだよ」
「私だって嫌だよ! でも浮島先輩に逆らえないから……」
「お前、他にも弱味握られてんのか?」
呪いのことを知られている、のだがその話を剣淵にはしたくなかった。だが答えてしまえば、ごまかしの嘘となってしまう。
佳乃は、反応に困って菜乃花を見る。意図に気づいたらしい菜乃花が答えた。
「それはないみたい……それより、二人ともこれからどうするのかしら?」
「どうするって言われてもな……」
様々な弱味を掴んでいる浮島に逆らうことはできない。佳乃だけでなく剣淵も同じ状況に立たされているのだ。二人してどんよりと暗い表情をして俯く。
気分がどん底まで落ちているのにはある理由があった。
それは昨晩、グループチャットに放り込まれた浮島命令だ。浮島は佳乃と剣淵に今日の行動を命じてきたのだ。
普通の命令ならばまだいい。発案者は問題児の浮島である。浮島作戦と名付けられたそれは大変おかしな内容となっていた。
「やりたくないけど、逆らえないから……頑張るよ」
「おい、勘弁してくれ! 俺はあんなことやりたくねーぞ!」
「じゃあどうすんのよ。浮島先輩に逆らう?」
「……クソッ! やめてくれ!」
剣淵はぶっ飛んだ浮島作戦に納得がいっていないようだった。だが浮島のことを考えると、作戦をやらざるを得ないのだろう。その拳がもう一度校舎の壁を叩いた。
その様子を見てから佳乃はため息をつく。そして覚悟を決めたかのように顔をあげると、菜乃花に告げた。
「命令通りにする。放課後、伊達くんと話すよ」
***
放課後。佳乃と伊達をくっつけるための浮島作戦がはじまった。
まず動いたのは剣淵である。放課後すぐに伊達がいるB組の教室へ向かう。
「伊達、呼んでくれ」
近くにいたB組の生徒に頼んで伊達を連れてきてもらうと「話がある」と呼び出して、空き教室へ向かった。
呼び出しまでは成功である。空き教室に剣淵と伊達の二人が揃ったことで、浮島作戦はフェーズ二へ移行した。
今日も王子様の笑顔を絶やさない伊達が剣淵に聞く。
「話って何かな、剣淵くん」
「……っ、その……呼び出したのは……じ、じ、実は……」
さてその頃。身をかがめて空き教室の壁に張り付いている三人がいた。佳乃と浮島、それから菜乃花である。
菜乃花については佳乃と剣淵が気になるからと自ら志願して浮島作戦に参加した。それは、二回ほど呪いを発動させてしまった佳乃を守るためでもあった。
教室の中には伊達と剣淵がいる。申し訳ない、と心の中で剣淵に謝りながらも、佳乃は聞き耳を立てていた。
「……大根役者だな、剣淵くん」
同じく聞き耳を立てていた浮島が、ひそひそと小さな声で佳乃に話しかける。
確かに聞こえてくる剣淵の声はどれもおかしい。浮島が指定した台詞を言わされているのだが、演技派とは言い難いひどさである。
苦笑しながら菜乃花が頷く。
「剣淵くん、真面目なんですね。でも、あれなら伊達くんにバレてしまいそうだけど」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
「どこが大丈夫なんですか――って浮島先輩、また動画を……!」
見れば、浮島の手にはスマートフォンがあった。扉の隙間に差し込み、室内の様子を撮っているようだ。気づいた佳乃が撮影を妨げようとした時、浮島がにたりと笑った。
「ほら、はじまるよ」
人差し指を唇に当てて、静かにしろと促す。
盗撮は妨害したいところだが、これから始まる浮島作戦フェーズ二を知っているだけに、佳乃の意識は教室内に向けられた。
浮島作戦フェーズ二。その目的は、佳乃と剣淵の関係について伊達に説明することである。その説明手段として浮島が指定したものは――
「だ、伊達!」
いよいよ覚悟を決めた剣淵が、伊達の両肩を掴んだ。
「えっ……な、なに……? どうしたのかな、剣淵くん」
「おおお俺は……三笠とはまったく関係なくて、実は――」
理由わからず固まっている伊達にじりじりと顔を寄せていく。
「キス魔なんだ!」
やけっぱちのように叫んだ瞬間、険しい顔をした剣淵がこれまたやけっぱちのように勢いよく顔を近づける。
伊達と剣淵、二人の距離はゼロへ。
男たちの唇が重なる。
ゴツン、と鈍く響いた歯のぶつかる音と共に。
フェーズ二が完了した頃、廊下は地獄と化していた。
命令だから仕方ないといえ伊達とキスをしてしまった剣淵を哀れに思っているのだが、笑いがこみあげてしまう。棒読み台詞からはじまり、頭突きでもしそうな勢いでキスをしたのだ。その不器用さは見ていて面白いのだが、笑い声をあげてしまえば中にいる伊達に気づかれてしまう。ひくひくと笑い震える腹筋を抱えながら、声を押し殺す。
佳乃だけでなく浮島や菜乃花も同じように笑い声と戦っていた。特に浮島は盗撮どころではなくなったらしく、腹を抱えて廊下に転げヒイヒイと小さな悲鳴をあげていた。
「オレ、笑い死にそう。さっきの絶対歯がぶつかってた。ゴツンって聞こえたもん」
「浮島先輩、笑いすぎですよ」
「剣淵くん戻ってきた時に前歯なくなってたらどうしよ。オレ、金歯買ってあげよかな。お詫びとしてゴージャス剣淵にしてあげなきゃ」
三人ともぷるぷると震えながら笑っていたが、フェーズ二の剣淵キス魔宣言が完了したため、すみやかに隣の教室へ移動した。
この後は剣淵から佳乃へと主役のバトンが渡る。最終フェーズはいよいよ佳乃の出番なのだ。
扉の開く音が聞こえた。作戦通りならば剣淵が教室から出ていったはずだ。その音をきっかけに佳乃は立ち上がる。
「よし。そろそろだよね」
「頑張ってね、佳乃ちゃん」
菜乃花の応援に佳乃は頷いた。これから伊達と話すのだと思えば緊張したが、剣淵のおかげで気が楽になっている。むしろ伊達を前にしたら思い出し笑いをしてしまいそうで心配だ。
そして――もう一度扉の開く音が聞こえた。今度は伊達が教室を出たのだろう。
深く息を吸い込んで気持ちを落ち着けてから、佳乃も教室を出ていった。
***
「伊達くん」
佳乃が廊下に出ると、そこには伊達がいた。
いよいよ浮島作戦の最終フェーズがはじまったのである。
突如現れた佳乃に伊達は驚いているようだったが、すぐに穏やかな表情へと戻る。
間近で見れば、やはり伊達はかっこいい。見惚れて立ち尽くしてしまいそうになる。
「こんなところで会うなんて奇遇だね、三笠さん」
名前を呼ばれただけで体が歓喜に震える。録音して永久保存してしまいたい。いまなら盗撮大好きな浮島の気持ちがわかる気がした。
「あの、これを――」
予定通りの台詞を口にしながら、佳乃がかばんから取り出したのはピンク色の紙袋だった。丁寧にリボンまでつけている。
「これは?」
「先日借りたハンカチ。返そうと思っていたんだけど、なかなか渡す機会がなくて……」
伊達は紙袋の中を覗いて確認した後、佳乃に微笑んだ。
「ありがとう。こんなに綺麗に包んでもらえるなんて、三笠さんに気を遣わせてしまったね」
広い廊下なのに、伊達との距離を近く感じてしまう。伊達をひとり占めしているのだ。死んでもいい、そう思えるほど幸せな時間だった。
だがこれで終わりにならないのが浮島作戦である。
ここで会話を終えてしまえば、教室の扉に張り付いて会話を聞いているだろう浮島になにをされるかわからない。
「ぞ、そっ、そそそれで……」
急に緊張してしまい、噛んだりうわずったりと変なしゃべり方になってしまう。これでは棒読みの剣淵をばかにすることはできない。
「うん? どうしたのかな?」
「あ、あの……っ、お礼を言いたくて」
「お礼? そんなの気にしなくて――」
「だ、だめなの! 伊達くんに助けてもらったから、ちゃんとお礼をしたくて……」
廊下には一切聞こえてこないのだが、扉の向こうで教室にいる浮島と菜乃花の笑っている姿が頭に浮かぶ。
ええい、もうどうにでもなれ。やけっぱちだ。意を決して佳乃は告げた。
「お礼として、何でもするので私に命令してください!」
叫びながら勢いよく頭を下げる。はたして頭を下げる必要があるのかと聞かれれば、その必要はないのだが、伊達と視線を交わすのが気恥ずかしく自然とそうしていた。
言い終えて、廊下がしんと静かになる。
教室にいる浮島たちも、頭を下げたままの佳乃も、皆が息をひそめて伊達の返答を待っていた。
「……ふふ。三笠さんって面白い人だよね」
軽蔑されるだろうかと覚悟していたのだが、聞こえてきたのは意外にも穏やかな声色だった。おそるおそる顔を上げてみれば、伊達はふわりと柔らかな微笑みを浮かべて佳乃を見つめている。
「そこまでしなくてもいいよって言いたいけど、それじゃ三笠さんの気が済まないよね、きっと」
「う、うん……」
ここから先は浮島作戦の台本もない。完全アドリブの勝負である。いくつかの答えは想定してきたが、一体どんな要求がくるだろうかと緊張してしまう。
そして。しばらく考え込んでいた伊達が、言った。
「来月、一年生合宿があるんだ。僕は生徒会役員だからそれの準備をしているんだけど、買わなきゃいけないものがたくさんあるんだ。その買い出しに、付き合ってもらえないかな?」
それは想定外の言葉である。買い出しに付き合うとは学校外で会うということだ。私服の伊達くんを拝むことができると考えた瞬間、佳乃の理性は宇宙の彼方へ弾き飛ばされていく。そして無意識のうちに佳乃の首は縦に動いていた。
「じゃあ決まりだね。詳しい日は今度話すから……って、なんだかこれってデートみたいだね」
伊達が照れながら告げたデートの三文字によって、頭が真っ白になっていく。
もしかしたら浮島は問題児ではなく片思いの救世主かもしれない。そんなことを考えてしまうほど、佳乃は混乱していた。
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