うそつきす -嘘をついたらキスされる呪いにかかっています-

松藤かるり

1章 うそつきはキスのはじまり

第1話 正直者のタヌキ、企む。

 恋と呪いは同一かもしれない。


 高校二年生の春。今日が勝負の日だと、三笠みかさ 佳乃よしのは決めていた。長く続けてきた呪いのようなもの、胸のうちに抱く片思いを今日こそ解いてしまいたかったのだ。


 午後の気怠さがひしめく教室に、終業のチャイムが響く。生徒たちはそれぞれの放課後を過ごすべく、立ち上がり教室を出ていく。佳乃も荷物をまとめていると、一人の女子生徒が近づいてきた。


 金色の髪の毛を揺らしながらやってきたのは北郷きたごう 菜乃花なのか

 ハーフのため肌が白く、ウェーブがかった金色の長い髪は絵本に出てくるお姫様を思わせる。顔つきも整っていて華があり、女子生徒が憧れるぱっちりと大きな二重の瞳。

 可愛いものが好きだという菜乃花は、トレードマークの赤いフリルリボンがついたヘアバンドをつけていた。頭のてっぺんからつま先までオンナノコを詰め込んだ人形のようだ。


「佳乃ちゃん、帰りましょ」


 美少女の菜乃花が声をかけたのは、華やかさの欠片もない平凡な佳乃である。

 菜乃花に比べれば、どっしりと重たいダークブラウンの髪。肌だって綺麗な白さではないし、顔はタヌキに似ていると言われたこともある。


 外見格差を感じさせる二人の組み合わせだが、クラスメイトたちは驚かなかった。高校生になってすぐの頃は、引き立て役の佳乃と茶化されたこともあったが、二人が幼馴染であり親友とも呼べる間柄なのだと知れ渡ると騒ぐ声も落ち着いていった。


 今日だっていつもと同じ。美女の北郷菜乃花がタヌキに一緒に下校しようと誘っているだけ――なのだが、少し違っていた。いつもなら頷く佳乃が、首を横に振っている。

「ごめん。今日、用事があるんだ」

「珍しいね。何かあったの?」


 そう言って、菜乃花は佳乃の机に視線を落とす。帰り支度を進めているはずの佳乃だったが、机の上には一冊のノートが置かれていた。

 無記名の裏表紙だけで察したらしい菜乃花は、ぱっちりと大きな瞳を細めて微笑む。


「もしかして、これ……あの方のノートかしら?」


 佳乃は少し恥じらいながらも頷いた。


 このノートは佳乃のものではない。答え合わせをするように表紙を菜乃花に見せた。

 紺色無地のノート表紙には『二年B組 伊達だて とおる』と書いてある。隣のクラスにいる男子生徒の名だったが、佳乃にとっては特別な意味を持つ名でもあった。


「ふふ。佳乃ちゃん憧れの王子様、伊達くんのノートね」

「お、王子様なんてそんな――」

「嘘はダメよ」


 顔を真っ赤にしながらごまかそうとした佳乃だったが、すぐさま菜乃花に遮られた。

 穏やかに微笑んでいた表情は一転し、美しい外見に隠していたしっかり者の性格が表情に浮かんでいる。


「佳乃ちゃん、嘘をついてはダメよ」

「あ、危なかった……ありがとう、菜乃花」


 危うくごまかしで嘘をついてしまうところだった。菜乃花がいなければどうなっていたことか、と佳乃は安堵の息をつく。


 三笠佳乃は、ただのタヌキ顔女子高校生ではない。彼女は呪いにかかっているのだ。

 呪いを知るのは菜乃花を含めごくわずかな人間のみ。知らない生徒たちは不思議な行動をする佳乃をこう呼んだ。

 『正直者のタヌキ』

 佳乃は隠しごとのできない正直者である。嘘をつこうとすれば菜乃花に阻止され、小さな嘘でも許されない。


「わかっていると思うけれど嘘に気をつけてね。それで、どうやって王子様からノートを借りたの?」

「数学の宿題範囲がわからなくて先生に聞こうとしたの。そこで伊達くんに会って、範囲と答えも書いてあるからってノートを貸してくれたんだ」


 その時の会話、伊達の表情まで。はっきりと覚えている。

 困りながら職員室に入ろうとした時に、伊達に呼び止められたのだ。困っていた理由を話すと伊達は「僕のでよければ使って。答えも書いてあるから役に立つと思う」と、とろけてしまいそうな微笑みを浮かべて佳乃にノートを貸したのだ。


 二年B組の伊達享といえば有名人である。彼を王子様と呼ぶのは佳乃たちだけではない。

 どんな時でも笑顔を崩さず、誰が相手でも優しい。人望に厚く生徒や先生からも慕われ、リーダーシップがあることから生徒会副会長を務め、成績は常に学年首位。さらにルックスまで完璧である。男にしては色素の薄い肌に通った鼻筋。どのパーツを見ても欠点のない甘い顔つきは、女子生徒のハートをあっさりと射抜いた。


「B組は明日数学の授業があるから、今日中に返さなきゃ。一緒に帰れなくてごめんね」

「気にしないで。大事なのは私よりも――」


 菜乃花は佳乃の耳元に顔を寄せた。そしてひそひそと囁く。


「大好きな伊達くんに、近づくチャンスだね」


 ハートを射抜かれた女子生徒の一人が、ここにもいる。佳乃は頬を赤くしながら、こくんと小さく頷いた。

 ずっと伊達のことが好きだった。長きに渡って佳乃の思考を蝕む片思いである。


「仲良くなれたらいいなって思う……ううん、仲良くなる!」


 告白ほどの大きな勇気はない。だが、片思いを終わらせるため伊達に近づきたいと考えていた。

 このノートが佳乃と伊達の距離を縮めるきっかけになる、いやきっかけにしてみせる。決意を胸にする佳乃だったが、水をさすように菜乃花が口を開いた。


「何回も言うけど、嘘には気をつけてね。調子にのって嘘をついてしまったら呪いが発動してしまうから」

「わ、わかってるよ!」

「伊達くんと仲良くなりたいからって、呪いを悪用してはダメよ。そんなことしたら罰があたっちゃうわ」


 じろりと睨みつけられ、佳乃は乾いた笑いを返すしかない。


 付き合いの長い菜乃花の勘は大当たりだった。

 佳乃が考えていた、伊達と仲良くなるための方法とは呪いを使うことなのである。そのため下手に喋ってしまえば、ごまかすための嘘となり呪いが発動してしまう。冷や汗を浮かべながら言葉を飲み込んだ。


 この呪いによって佳乃は『正直者のタヌキ』になってしまったのだ。経験上、困った時は口を閉ざすのが一番。それほど怯える呪いとは――菜乃花が続けた。


「佳乃ちゃん、嘘をついたらキスされちゃうんだから」


 わかっているよ、とアピールすべく大きく頷いた佳乃だったが、その瞳はメラメラとやる気に満ちていて忠告は届いていない。


 いままで疎んじてきた最悪な呪い。それは今日この時に使うべきものだったのだ。罰なんて知ったことか。片思いに蝕まれ続けたタヌキは心の中で意地悪く笑った。


***


 ある時から佳乃は呪いに人生を狂わされていた。


 嘘をつけばその罪を罰するかのようにキスをされる。片思いしか知らない女子高生にとっては最悪な呪いでしかなかった。

 嘘をつけば、呪いは発動する。佳乃が抵抗しようがしまいが呪いからは逃げられず、唇を奪われる。


 何度も呪いを味わった。テストの点数がよかったと嘘をついたことがある。その時は、嘘を見抜いた母親に夕飯の冷奴を顔面に投げつけられ、唇に当たった。呪いが発動した結果だ。

 またある日。冷蔵庫に入っていたプリンを食べてしまった佳乃は、母親に叱られることを恐れて食べていないと嘘をついた。すると、突然子猫が窓ガラスを打ち破って侵入し、佳乃の顔をひっかき唇を舐めていった。これも呪いによるものだ。

 このように豆腐や子猫が対象ならばいいのだが、キスの相手が人間となることもある。水泳の授業中、見栄を張って泳げると大嘘をついてしまったがために、溺れたと勘違いした体育教師から人工呼吸をされた。

 甘酸っぱいファーストキスを夢見る乙女ではない。佳乃のファーストキスは人工呼吸である。その味はレモンとは程遠い、プール独特の塩素臭。


 その時からこの呪いを疎んじてきた。最悪な人生だと泣いた夜もある。だがこれも全て、今日のために繋がっていたのだ。



 伊達との約束は放課後、生徒会活動の終わる頃だった。簡単な会議だから時間はかからないと言っていたが、時計の針が進むにつれ教室に残っている生徒は佳乃だけとなった。

 暇をつぶしながら伊達を待つ。教室の窓からオレンジ色に染まった光が差し込み、温かさと眩しさに頭がぼんやりとしてきた時、教室の扉が開いた。


「伊達くん!」


 現れた人物こそ、佳乃が想い続けている伊達享である。彼は教室に一人ぽつんと残っていた佳乃を見るなり、申し訳なさそうに「待たせてごめんね」と言った。


 いよいよ、伊達がきたのだ。立ち上がろうとするだけで足が震えるほど緊張していた。それでも平静を装い、ノートを差し出す。


「貸してくれてありがとう。助かったよ」

「僕でよければいつでも言ってね。僕のクラスの方が授業進んでいたから、三笠さんを助けることができてよかったよ」


 甘く整った顔をくしゃりと崩して爽やかに微笑む。そんな伊達の姿に、見惚れてしまいそうになる。


 佳乃よりも高い背、大きな手。この教室に二人しかいないからか、距離の近さを意識してしまう。手を伸ばせば届きそうな場所にいる、人気者の伊達享をひとり占めしているのだ。胸が高鳴り、呼吸も忘れてしまいそうなほど、夕暮れの空気に溺れていく。


 視線は伊達の唇に向けられていた。本当はもっと会話してから実行に移すつもりだった。話す内容だって考えていたというのに、伊達が来たことで心が急いてしまったのだ。


 嘘をつけば伊達くんとキスをする。ずっと憧れていた、王子様とのキスシーンがもうすぐ。


 頬を赤く染めながら、佳乃は言った。


「雨が降ってるね」


 意気込んだもののなかなか嘘が浮かばず、出てきたのは天気の嘘だった。発想力のなさに自ら呆れつつ伊達を見れば、困ったように首を傾げていた。


「え? 雨は降ってない……けど」


 伊達はそう言った後、一歩踏み出した。


「……ねえ、三笠さん」


 じわじわと歩み寄ってくる伊達に普段の凛々しさはなく、瞳の奥がぼんやりと熱に揺れている。


 佳乃の机に手を置くと、息づかいさえもわかりそうなほど近くに顔を寄せた。

 いよいよ、だ。念願の王子様とのキスシーンがくる。佳乃は生まれて初めて、呪いに感謝を捧げた。


 だが、呪いというのは予想を裏切ることがある。呪いよありがとう、と心で呟き終えた瞬間、扉の開く音が聞こえた。


 予想だにしなかった音に、佳乃も伊達も振り返る。あと数センチまで近づいていた唇も一気に離れていった。


「お前……が……」


 乱入者によって二人だけの空間は打ち破られた。佳乃も伊達も呆然としているのをいいことに来訪者はずかずかと教室に入り込んでくる。それは生徒でも先生でもない、他校の制服を着た初めて見る男だった。


 男は早歩きで佳乃の元へ向かってくる。そして、伊達を押しのけ――


「え? ちょっと待っ……!」


 最後まで言うことはできなかった。伊達よりも大きな体が影を落とし、とっさに目を瞑れば唇が柔らかなものに塞がれた。それは熱を帯びていて、柔らかさの向こうに息づかいを感じる。


 おそるおそる目を開けてみれば、佳乃の視界いっぱいに乱入者がいた。ぞわりと肌が粟立つ。この男を佳乃は知らないというのに、キスをされているのだ。


「み、三笠……さん?」


 唖然とする佳乃が聞いたのは、伊達の声。それをきっかけにゆるゆると思考が動き出す。


 呪いだ。佳乃はキスをされているのだ。相手は知らない男。


 そして最悪なことに伊達がいる。他の男とキスをしている場面を、片思いの人に見られてしまっているのだ。


 状況を理解し、絶望感が佳乃を襲う。後悔しても時間は戻らず、唇に焼き付いた感触も消えることはない。



 呪いはやっぱり最悪なものだった。二度と感謝なんてするものか。

 三笠佳乃、高校二年生の春。正直者タヌキの、嘘と恋の日々が始まる。

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