おはようのルール 【朝霧美晴】

 ちゅんちゅん。


「りょうすけー! りょーうーすーけー!!」


 腰のあたりに柔く温い重さを感じながら薄く目を開けると、太陽より眩しい笑顔が飛び込んできた。


「わははは! ようやくお目覚めかね!」

「おはよ、美晴」

「ん。おはよう、涼介。はいお茶」


 霧島涼介の一日は温めた緑茶を飲むことから始まる。夏場は冷蔵庫でキンッキンに冷えてやがるのをそのままいただくが、現在、外は氷豆腐の作れる環境。寒い夜はカップルらしく人肌で暖まることも少なくないが、これは夏場でもあまり変わらない。

 ただし、夜はともかく朝から馬乗りは毎日の事ではない。


「どうだりょうくん! その体では動けまい! どいてほしかったらこの契約書にサインするのだ!!」


 ひらひらりと朝霧美晴の手の中で踊るは、一枚の婚姻届。他がびっしり埋まっている分、夫になる人の欄の空白が目立つ。まるで煮えたすきやきに後から入れた豆腐のようだ。


「んん……」


 霧島涼介は朝に弱い。緑茶で体は暖まったとはいえ、昨夜もお楽しみだった。まだ頭に血が巡っていない。豆腐は火の入りが遅い。

 重たい動作でおもむろに上体を起こし、暖かな体を抱き枕のようにする。


「別に、どいてほしくはない」

「にょむ!?」


 意外だったのか困っているのか照れているのか、バリエーション豊かなリアクションから察することは難しいが、おそらく意外だったし困っているし照れているのだろう。


「あはは。失敗失敗!」


 反省も後悔もせず、朝霧美晴は霧島涼介に本日2度目となる口づけをした。現在時刻は6時半、1度目は6時間半ほど前である。


 朝の5分は貴重だ。今日も全国であと5分という悲鳴が聞こえる。

 貴重な5分でさらなる惰眠を貪るより、同じ時間で唇を貪るほうが有意義に決まっている。



 このカップルにはルールがある。

 朝一番は、朝霧美晴の好きにしていい。これは霧島涼介の提案だ。緑茶はガム。


 朝霧美晴は朝に強い。

 同居カップルの模範的な夜の後でも必ず5時半には起き、二人分の朝食と一人分の弁当を作る。それを毎日である。ありがとうだけで済ませるには味気ない。とうにふたりは話し合いをして折り合いをつけた。


 朝霧美晴にとって最上級の報酬でありながら、霧島涼介が何かを失うでもなく、むしろピュアなハートがフル稼働して全身に血が巡る。一石二鳥。鴨が葱を背負って来る。鍋の美味しい季節。

 朝霧美晴はこれでもかと味わい尽くす。時に飢えた獅子のように、時に雛へ餌をやる親鳥のように。一切合切、躊躇も遠慮もなく幸福の糧にする。

 霧島涼介サイドとしては、こういうのもあり、である。


「ぷはっ」


 心も体もすっかり暖まった二人。

 吐く息は豆腐のように白く、肌へ直に触れる空気がぴりりと染みる。


「そういえば、もうすぐクリスマスだな」

「ん。そうだね。大丈夫? お仕事大変そうだけど、お休み取れる?」

「取れなかったとしても仮病で休む。普段頑張ってるんだから、たまにはいいだろ」

「うん。涼介はいつも頑張ってる」


 ぎゅーっと、再び二人が密着する。空気の流れる隙間もないほどに。


「頑張りすぎて、身体壊さないようにね。楽しみにしてるからね」

「わかってる。美晴も無理するんじゃないぞ」


 朝の5分は貴重だ。10分はもっと。

 しかし、こうやって使うのは悪くない。


「クリスマスと言えばプレゼントだ! リョウくんなにが欲しい!? 私!? 奥さん!? それともそれとも、お嫁さん!!?」

「全部同じじゃないか。んー、2番目はすぐには出てこないかな。美晴は?」

「えっとねえっとね、霧島っていう苗字でしょ! 霧島家の戸籍でしょ! あとリョウくんのサイン! ここに!!」

「質量のあるもので」

「ほみゅ。うーん……リョウくんのプレゼント!」

「あはは、なんだそれ。よし、当日のお楽しみってことにしておくか」

「いいねいいね! サプライズはプライスレス!」


 これっぽっちも参考にならないが、この上なく朝霧美晴らしい答えだった。

 そして最後のは、何もかもを豆腐で例えるよりよほどセンスのある言葉だった。

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