俺の親友がダンマクトラブルで出禁になるはずがない

さばかん

第1話 ウェイの中のアウェイ

 スポーツに興味はなかった。

 体育の時間は大嫌いだった。運動部の連中は、異次元の住人だった。

 だからといって勉強ができるわけでもなく、地元の高校を出て、親の知り合いが経営する会社に就職し、田舎でくすぶりながら、成人した今もまとめサイトとニコニコ動画のアニメ放送をだらだら眺めて過ごしている。

 

 つまるところ、俺はどこにでもいる、地方オタクだ。


 ただ、絵を描くのは好きだった。あまり上手くはないが、それでも見て描けば形にはなっているようで、流行りアニメの落書きをTwitterに上げれば、いくばくかのリツイートとFavがついた。


 俺は「ユイ」というハンドルネームで落書きのアカウントを持っている。

 描く絵が女のキャラばかりだから女だと思われることもあるが、なんのことはない、苗字が「油井」というだけのことだ。だから運動部の連中は、ウェイウェイとよくわからない言語らしきものを吐きながら、「油丼」といって俺をバカにした。憎む気力さえなく、俺はへらへらと学生時代を過ごしたように思う。


 声をかけられたのは、誰にだっただろう。

 普段、見ないまとめサイトのURLがリツイートでまわってきた。

 サッカーの応援に使う旗に、そのとき放送しているアニメのキャラを描いたものがあった、それが中継に映り込んだ、というようなタイトルだ。スクリーンショットが載っている。サッカーに行くような奴らだ、どうせdisコメを並べているだろう、と思ったが、暇なので読んだ。


 ――好意的だった。


 なんだ、こいつら、ウェイのくせにアニメ見てるんじゃないか。

 それに、ユニフォーム着たヒロイン、かわいいぞ。俺は妹派だけど。

 ……手癖でリツイートボタンをタップして、そんなことを呟いたら、『ユイさんもやってみたらどうですかw』なんて、リプライがきた。そう簡単にできるものか。あんな体育会系の連中のなかに入っていくなんて、それこそ『完全アウェイ』とかいうやつだ。ウェイのなかのアウェイ。俺はウェイ語は無理だ。なんJ語しか喋れんやで。


 でも、そうだ。

 少しだけ、興味が湧いてしまったのだ。

 それは多分、自分の絵を見て欲しいとか、どうせ暇だからとか、そんな理由で、サッカーへの興味では……なかった。

 たまたま同じ県内に住んでいるフォロワーがいて、それがどういうわけか中継にすっぱ抜かれた旗――ゲートフラッグ、略してゲーフラと呼ぶそうだ――を描いたやつと知り合いで、あれよあれよと、試合に行く日程が決められてしまった。


 俺はユニフォームを着た嫁のイラストを描き、先輩のゲーフラ職人とリプライをやりとりして習いながら、それを拡大コピーして透かし、布に線を引き、100均で買った耐水の絵の具で色を塗った。大きな絵を描くのは高校の美術部以来だった。

 そのときの俺は確かに、楽しい、と思っていた。

 最後にクラブの名前を書いた。


 ――俺のXXXがこんなに強いわけがない。


 XXXは実際、弱小クラブだった。

 二部の中でも、万年中位。全国テレビになど映らない。後で聞いた話では、俺が見たまとめサイトはそうしたマイナーな国内サッカーまで網羅しているサッカー専門ブログで、中継もCS放送のものだったそうだ。それでもまとめに載れば、フォロワーより多くの人間に見られるのだろう。まあいいか、と、俺は自作のゲーフラをたずさえ、試合が行われる県立の陸上競技場に向かった。


 ◆


 スタジアムは思ったより静かだった。理由は簡単、客がいないからだ。

 でも、一角だけ、騒がしいところがあった。ユニフォームを着た連中がいる。太鼓を持っている。チームのロゴが入った旗が立っている。方言で『ぶっとばせ』というような意味のことが書いてある横断幕がでかでかと掲げられている。


 ヤバイひとたちだ。


「あそこに行くんだよ」

 同行のアニメゲーフラ職人に言われ、俺はキョドった。

 だってあれ完全にヤンキー集団だろ。なんか裸のやついるぞ。うわ、拡声器持ってる、恋は戦争かよ。ミクが持ってるからかわいいけど、半裸の坊主が持ってたら三島由紀夫だぞ。

「抜かれるのはゴール裏だから」

 抜かれる、というのは『カメラに映る』、ゴール裏、というのは『応援席』である、と教わった。

「後ろのほうにいれば応援とかはしなくていい、チームの色を着とけば目立たないから」

 俺は心底びびりながらその『ゴール裏』の一番後ろに行った。

 背中側に得点ボードがあったのを覚えている。


 で、選手入場だ。

 俺たちの前のほう、最前列にいる「サポーター」――こういう連中がテレビの中じゃなく、目の前に実在するのが不思議だった――や、他の席にいる少ない客が、いっせいにチームカラーのタオルマフラーを掲げた。アイドルのライブでドルオタが振り回してるあれだ。そのマフラーを掲げるときが、ゲーフラを出すときだった。


 確かに、マフラーの代わりに、ゲーフラを掲げているヤツがちらほらいた。

 俺は職人に促され、慌てて手製の旗を掲げた。


 陸上トラックを挟んでいて、選手には見えやしないだろうに、みんな必死になって腕を高々とあげていた。

 随分長い時間に感じた。

 腕がだるくなったが、まわりが腕を降ろさないのでなんとか踏ん張った。


 裸やユニフォームのサポーターは何か歌っている。同じ曲のサビだけずっと、繰り返し。

 百人かそこら……何百人もはいないだろう、その連中だが、スタジアムはみな静かにしているので、やけによく声が通った。敵のサポーターも同じようにマフラーを出しているようだったが、あちら側はもっと少なくて、誰かが振り回している大きな旗しか印象に残っていない。

 そのメロディが終わったら、反響でよく聞こえないアナウンスとともに、整列していた選手たちがおんぼろの芝の上に散っていくのが見えた。


 「初観戦」の感想はとくにない。


 選手が豆粒のようで、何をしているかよく見えないのだ。

 普段、トレンドに入っていればTLの話題に乗り遅れないようテレビをつけるから、日本代表の試合は見るし、テレビなら「ファール」や「オフサイド」もなんとなく、CGで出してくれるから、わかるような気でいた。

 

 正直、現地では、何をしているんだかまったくわからなかった。

 ゴールの前にボールや選手が来た時だけは、少しだけハラハラした。


 確かに、応援団から離れている後ろの方の席は、座っていても誰にも何も言われなかった。

 結果は引き分けかなにかだった。


 ◆


 しかしながら、俺はスタジアムに時々行くようになった。


 元々さほど興味もなかったが、入ってみればとくに抵抗もなかったのだ。

「深夜アニメが延長の影響で録画できなくなる」という理由でスポーツを嫌うオタクがいるが、そもそも俺の住んでいる県では深夜アニメなど放送していないので、そこまでの憎しみはない、というくらいのテンションだ。

 日曜は仕事も休みで、遊ぶ相手などいないし、同人イベントも遠い都会の話。ネットラジオのアニメ三昧でもやらないかぎり、予定は空いているから、試合の日が休みだとわかると、新しい絵を描いてみようか、という気分になった。


 描いたゲーフラは写メをアップする。そうすると、アニメクラスタ以外、おそらくサッカー好きのアカウントもRTやFavを寄越すようになった。クラブ名のハッシュタグをつけて、「次のZZZ戦、頑張れ」とか適当なことを書いておくと、もっと伸びるようになった。

 中継にも抜かれているらしいが、俺の家はCSに加入していないので確認はできなかった。まとめサイトに期待したが、残念ながらもはや「XXXのアニメゲーフラ」は「定番ネタ」と化しているそうで、スクリーンショットが載ることはなかった。それでも試合のあと、その国内サッカーのまとめサイトを眺めるのが習慣になってしまい、ついに管理人のアカウントまでフォローした。


 選手の名前をなんとなく覚えつつあった。

 職人の先輩に教わったり、まとめサイトでゴールを決めた選手の名前を読んで覚えたのもあるが、スタジアムで『コール』とか『チャント』とかいう応援歌や選手名の連呼を何度も聞いているうちに、背番号と名前が一致するようになったのだ。


 勝てば嬉しい。

 引き分けや負けはなんとなく残念だ。


 そのくらいの情は移っていたし、何度も何度も同じ歌を聞かされるもんだから、歌おうと思えば歌えるはずだった。もし、腹を決めて、レプリカを買ってサポーターの輪に入っていたならば、その後のことは起きなかったかもしれない。


 ヤツとの出会いも、違う形だったかもしれない。


 しかし、俺にそこまでの根性はなかった。

 職人仲間が相変わらず中継にすっぱ抜かれることばかり考えて試合中ぼんやりしているのを、何だかまずいな、とは思っていた。状況や、サポーターたちが俺たちを見る目が変わりつつあるのが、薄々わかりはじめてきたから。


 その年のXXXは、成績を上げ、徐々に客が増え始める時期だったのだ。

 ヤツに出会ったのは、だから、とても良いとはいえない事件がきっかけだった。


「お前ら、跳ばねぇならバック行けや」


 ある日、何か、とても大事な試合だったのだと思う。ライバルクラブか、昇格を賭けての競争相手か。

 リーダー格の坊主の拡声器が俺たちに向けられた。

 サポーターの数は試合ごとに増えていた。ウェイどもお得意の『絆』とやらでかき集めたのか、俺たちのいる後ろのほうまで客が入って、そいつらも歌い、手拍子に合わせて飛び跳ねるようになっていた。


 そのとき俺たちオタクがおとなしく従っていれば、あるいは、口下手な――そのときの俺にとっては、ただの怖いヤンキーでしかなかったが、あれは単にコミュニケーションが下手なだけなのだ――リーダーがもう少し丁寧に俺たちと接触していれば、あんなにこじれずにすんだかもしれない。


 しかし、異文化コミュニケーションというのは、そうそううまくいくものではない。


 アニメゲーフラの古参は動かなかった。ついに、サポーターのリーダー格が数人、こちらまで上がってきた。逃げ場はない。ここで文字どおりぶっとばされて死ぬのだろうか。俺は震え上がって動けなかった。


 古参職人は、自分たちは自分たちのやりかたで応援をしている、というような意味のことを言った。

 それも本心だったのだろう。

 彼は俺と違って、アニメゲーフラが目立つことよりもチームの勝ちを願っていた。絵柄もジャンルも少し古かった。チームが負ければサポーターたちと同じように落胆したり励ましの言葉をかけたりしていたし、ブログやTwitterにも感想や批評めいたことを書いていた。


 リーダーは、おそらく――今、ウェイ語を解するようになった俺だから理解できるのだが――そのやりかたは別の席でやってほしい、ここは声を揃えて歌う席にしたい、と言いたかったのだと思う。

 だが、彼らの言葉を知らない俺たちにとって、その声音も態度も、すべて恫喝にしか思えなかった。

 俺たちは移動させられた。職人は試合中だというのに、Twitterにリーダーの悪口を書き始めた。批評と称して。海外のサポーターや大きなクラブのサポーターを引き合いに出して。なんて心の狭い、なんて粗暴な、こんなサポーターだから、クラブは弱いのだ。

 俺はどうしようもなく、目のやり場もなくて、試合の行く末だけじっと見つめていた。


 ◆


 ともかく、その大事な試合は、1-0で勝ったのをよく覚えている。

 チームが勝ったというのに、機嫌を直さない古参から少し離れたくて、トイレに行くと言って別れた。

 ふと、タオルマフラーを買ってみようと思って、数少ないグッズ売り場に行ってみた。地元の少年サッカークラブだろうか、子供がわいわい騒いでいた。

 

「さっきはごめんな」


 コンコースにあふれるご機嫌なウェイ語のなかから、日本語が聞こえた。

 それが自分に向けられた言葉だと、わからなかった。


「なあ、ごめんって」


 肩を叩かれてようやく、俺は振り向いた。

 ウェイがいた。

 背が高い。色が黒い。肩幅が広い。多分、イケメンなほうだが、最近の女は草食系が好きだとかいうから、格好いいとは言わないのかもしれない。ともかく、俺とはまったく違う人種の何かが、俺と同じ言語で、俺に話しかけてきたのだ。


 俺はキョドりにキョドった。謝られているというのに、また怒られるのではないかと思って、反射的に言った。

「すいません」

「なんでお兄さんが謝るの」

 イケメンウェイは、俺にわかる言葉で、話していた。


「ほかのアニメの人たちは?」

「先に帰りました」

「そっか。オレ、お兄さんの絵、いつも見てたよ。アニメの人のなかで一番うまい」

 なんだこいつ、あれか、最近いる隠れオタクってやつなのか。俺は慎重に言葉を選ぶ。

「そんなことないです」

「うまいよ。何のキャラかわかんないけど。でもユニのエンブレムや袖のスポンサーまでちゃんと全部描いてくれてる」

 俺が描いているのは、オタクなら誰もが知っているアニメだったから、これは隠れオタクじゃない、真性の一般人だ。接客か何かでウェイ語以外の言語を操れるに違いない。


 でも、エンブレムやスポンサーロゴにこだわって描いているのを褒められたのは初めてで、嬉しかった。


 オタクはキャラの顔と乳しか見ない。あと見切れてなければ脚。

 サッカーのアカウントからのFavはおそらく「応援」そのものへの「いいね」なのだろう。

 描いた俺しかわからないような、絵の細かいところを見てくれたのが、まさかこんなイケメンウェイだとは思わなくて、俺はなぜかドキドキしてしまった。やばい。これは腐女子が喜ぶ展開だ。断じて言うが、これは単なるビビリだ。ビビリの鼓動だ。


「すいません、ありがとうございます」

「ねえ、お兄さん選手の似顔絵とか描ける?」


 出た、絵師爆死ワード『似顔絵描ける?』。

 二次元萌え絵しか描いてないのに生身の人間なんか描けるわけねえだろ!

 ……とは言えず、あの、とか、ええと、とか、微妙な返事をして、なんとかそれらしい答えをひねり出した。


「……男の絵は、苦手で」

「あー、そっか、いつも女の子だもんね。まあいいや」


 いいのかよ。お前は何をしに俺に話しかけたんだ。


「あの、何か用事が」

「そうそう、そうだ。いやさあ、ウチのリーダー、怖かったでしょ? 見た目あんなんで。お兄さんとか、初めましてなのに、びっくりするよね。でも悪気はないんだわ。最近ゴール裏も人増えてきたし、それはいいんだけどさ、まとまりがなくなるんじゃないかって心配らしくて。だから驚かしてごめんって言いたかった」


 こうして彼に翻訳してもらうと、なんとなく事情が見える気がした。

 ――オタクがウェイを覗く時、ウェイもまたオタクを覗いているのだ。

 両者の距離が縮まってきた今、サポーターたちはアニメゲーフラ勢を謎の存在として、扱いかねているのだろう。

 そろそろ……潮時なのだろうか。


「……俺、もう来ませんから」

「ええ! それはだめだよ! バックスタンドでもいいから居てよ、オレ、お兄さんのゲーフラ楽しみにしてるんだから」


 あの距離で見えるのかよ。ウェイの視力はマサイ族か。

 

「バックでも座ったままゲーフラ上げてる年寄りとかいるからさあ、描いてきなよ。お兄さんも大事なXXXの仲間なんだよ」


 仲間?

 ……俺が?

 チームの勝ち負けより、絵の出来ばかり気にしている俺が、XXXの仲間?


「その……新しいのが描けたら……」

「描いて描いて! 次がアウェイでBBBだろ、だからホームはー、QQQ戦だ。それっぽいの!」


 それからイケメンウェイは俺がタオルマフラーを買おうとしているのに目ざとく気づき、あれがいいこれがいい、座って観るなら雨に濡れないこのポンチョがいい、ユニが高価なら最初はクラブTシャツを買えばいい、などとしこたまアドバイスをして、嵐のように去っていった。


 俺は終始ぽかんとして、そのユニフォームとマフラーで着飾った背中を見送った。

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