第39話 遠距離からの狙撃


「随分と高い丘ですね」


 東条とイリスは戦場全体を見渡せる丘の上を陣取っていた。


「でも旦那様、ここからではイングランド兵を狙えないのではないですか?」

「弓矢ならな」


 おかげで見晴らしの良い丘であるにも拘わらず、兵の姿がなかった。ピエンヌ川で戦争をしている者たちも、こんなところに潜んでいる兵士がいるとは想像すらしていないに違いない。


「イリスは少しここにいろ。俺は武器を取ってくる」


 東条は一旦現代に戻り、隣の武器倉庫から狙撃銃を持ってくる。黒い銃身は禍々しく、人を殺す道具だと主張しているようだった。東条がフランスへと戻ると、イリスは興味深げに、狙撃銃を見つめていた。


「その武器を使えば、ここから敵を狙えるんですか?」

「練習では上手くいったからな。本番でも上手くやるさ」


 東条たちのいる丘は戦場からは約五千ピエ、メートル法だと約一キロ半に相当する距離だ。常人なら人が点にしか見えないが、神狼の肉を食べたことにより東条の視力は強化されているおかげで、今では鮮明に敵の姿を眼にすることができた。


「まずは一人目だな」


 東条はイングランド軍の中から獲物を探す。獲物は雑魚ではなく、戦争の成果として認められる大物でなければならない。そんな彼に打ってつけの獲物が姿を現した。


 全身真っ赤な鎧で身を包み、手には赤い刀身の剣が握られている。戦場で随分と目立つ赤だと東条は苦笑いを零すが、すぐに赤い格好の理由が分かった。鎧と剣が返り血で真っ赤に染まるからだ。事実男は顔を真っ赤に染めながら、人を切り刻んでいく。その姿はまるで鬼神の如しだ。


「練習通りやればうまくいく」


 東条は深呼吸して、丘の上で這うような姿勢を取る。土の香りと草の香りが鼻腔をくすぐる。東条は赤い鎧の男を目標に定め、狙撃銃を構えた。


 神狼の肉を食べたことで東条は狙撃の要因となる要素を肌で感じることができた。狙撃を行う際、飛んでいく銃弾に誤差を生じさせるモノは、湿度や重力や風、一キロ以上の狙撃なら地球の自転も考慮に入れる必要があるが、彼はそのすべてを直感で理解することができた。


 神狼の肉を食べたことで得た力に頼っている点は他にもある。狙撃を行う場合、観測手を用意するのが基本だ。それは狙撃手がスコープを覗いていると、視野が狭まり、戦況を把握することができないからだ。


 だから双眼鏡や望遠鏡を手にした観測手が戦場を把握し、その場で最善の目標を選択するために、標的の優先順位をつけていくのだ。だが東条はスコープを使わなくとも視力が強化されているため、戦況を見渡しながら、狙いをつけることができるし、聴力も地獄耳を通り越してイルカやコウモリ並になっているため、戦況に変化があればすぐに察することができる。


 現代でも、この時代でも、誰も実現したことがないような遠距離の個人による狙撃。これが最強を目指す東条の戦闘スタイルだった。


「俺を殺せる強者はいないのかっ!」


 赤い鎧の男が叫びながら、フランス兵をなぎ倒していく。


「おいおい、フランス兵は雑魚ばかりか」


 誰も赤い鎧の男を止められない。絶望感がフランス軍を包み込んでいく。


「接近戦なら殺されていたかもな」


 だが現在の距離ではいくら剣の腕が達者でも関係ない。東条は赤い鎧の男に狙いを付けて、引き金を引く。命中するという確信と共に押し出された銃弾は、風を切り裂いて、五〇〇ピエ先の男へと向かっていく。命中したのは肩だった。


「ぐっ……なっ、なにが起こった!」


 突然襲う激痛と肩から流れる血を眼にした赤い鎧の男は、驚愕で眼を見開いた。その後、キョロキョロと周囲を見渡すが、五百ピエ先の丘にまで視線を送ることはない。


「やはり本番だと緊張するな。頭を狙ったが肩だったか」


 東条は狙いを修正して、もう一度引き金を引く。放たれた弾丸は今度こそ赤い鎧の男の頭を打ち抜いた。戦場を血が染めていく様は、人の命を刈り取ったのだと、東条に実感させる。


「あの赤い鎧の男が傭兵だとしたら、序列四位か五位ってところか」


 もっと上位の序列の兵を探すため、東条はさらなる獲物を探す。今度は年若い青年が目に入る。整った顔立ちは貴族のようだが、口元には下卑た嘲笑が浮かんでいた。この青年が華麗に舞うと周囲のフランス兵士が死んでいく。どういうカラクリなのかと、東条は目を凝らして観察するとあることに気づいた。


「はははっ、死ね死ね」


 青年はすれ違う兵士たちを殺した瞬間、手首から刃物のようなものが現れては消していた。小型のナイフを服で隠し、攻撃する時にだけ出すことで、あたかも見えない何かに襲われたように感じる仕組みだ。襲われた兵士たちは、見えない何かの正体が分からず、悪魔にでも襲われたかのように震えて怯えていた。


「お前は恐怖を感じずに死ねるんだ。ラッキーだったな」


 狙いを頭に定めて、引き金を引く。銃弾が発射され、吸い込まれるように青年の顔へと向かっていく。しかし突然銃弾の軌道が変えられ、青年の頬を掠めるだけで終わった。偶然彼の出したナイフと銃弾がぶつかり軌道が変えられたらしい。その証拠に壊れたナイフが彼の足元に落ちていた。


「ぼ、僕の顔に傷がぁ! 誰だ! 誰がやった」


 もちろん五百ピエ先にいる東条の存在に気づけるはずもない。東条の存在に気付けない青年は怒りを近くの兵士たちへと向ける。暴れないと気が済まない。そんな彼を止めたのは、東条が放った二発目の弾丸だった。今度は頭に直撃し、青年の命を無慈悲に奪った。


「逃げてさえおけば命は助かったかもな」


 青年を狩った東条は次の獲物を探すべく、戦場を俯瞰する。


「次はあいつだな」


 全身を黒い外套で覆った男が一騎当千の働きをしていた。その男は剣を振るうと、大勢のフランス兵が首を跳ね飛ばされている。さらに傍に立つ兵士たちのレベルも高い。


「大隊を指揮しているなら大隊長か」


 東条は口角を歪める。もし男が傭兵ならば、今まで倒した二人よりも間違いなく評価が高い、少なくとも序列四位の傭兵だと確信した。


「まずは一発目」


 東条は大隊長の頭に狙いを定めて、引き金を引く。銃弾は一直線に戦場へと飛んでいく。


 発射された弾丸は風を切り裂き、音速で目標へと向かう。普通なら気づくことすらできない銃弾を、大隊長は、自分の頭を守るために腕をあげた。


 だが腕を縦にしても銃弾は防げない。大隊長は脅威を察知して防いでも、右腕が吹き飛ばされていた。余裕のある表情を浮かべていた大隊長の顔が、苦痛で歪んでいく。


「な、なんだ、私はなにをされたぁのだぁ!」


 大隊長がどこから攻撃されたか確認しようと、銃弾が飛んできた方角を睨み付ける。だが東条は五百ピエ先にいる。見えるはずがなかった。


「弓か、弩か、大砲か! なんであろうと関係ない! この私を傷つけたのだ。必ず殺してやる!」


 大隊長は部下から盾を受け取り、東条からの攻撃を防ごうとする。銃弾ならば盾を貫通できるが、それでも銃弾の威力は落ちるし、盾に隠れているため急所を狙うこともできない。


「それならそれでやり方はあるさ」


 東条は大隊長の副官に、銃口を向ける。獲物である大隊長にとって東条は無視できない敵だ。だが東条にとって狙う獲物として大隊長に固執する理由はなかった。


「私の盾に敵わぬと見て、攻撃を止めたか!」


 大隊長が叫ぶと同時に、副官の頭を吹き飛ばす。血飛沫が戦場を舞い、周囲にいたイングランド兵が悲鳴を漏らす。


「おい、狙われているぞ!」


 一人のイングランド兵が叫ぶ。すると恐怖で震える者、戦場から逃げ出す者が現れた。勇気のある者は狙撃を無視して戦い続けているが、それでも死の恐怖が身近にあると、いつも通りのパフォーマンスを発揮するのは困難だ。振るう剣には精彩が欠けていた。


「旦那様、フランスが押していますよ」

「命を狙われている状況で正面と側面両方に意識を向けなければならないんだ。こうなるのも必然だ。それに今はイングランドが優勢だから狙撃の恐怖に逃げ出さないが、劣勢になれば逃げる兵はもっと増えるぞ」


 東条は再び大隊長に視線をやる。彼の手から盾は消えていた。盾で守れるのは自分だけで、大隊そのものを守れるわけではないことに気づいたのだ。


「誰か知らんが、私を攻撃した者よ! お主も騎士であるなら、こそこそと遠くから攻撃するのではなく、私の前に姿を現せ!」


 大隊長は遠くにいる東条にも聞こえるように、周囲に喚き散らす。正面からぶつかってこそ、騎士の戦いではないのかと、訴えかけた。


「残念だが俺は騎士ではない。ただの武器を扱う商人だよ」


 だから剣の腕を磨こうとも思わないし、敵を倒す方法は効率の良い手段を選択する。故にわざわざ敵の前に姿を晒すようなリスクは取らない。東条はとどめを刺すために引き金を引いた。


 銃弾は大隊長の頭めがけて飛んでいく。やはり危機察知能力の高い彼は、狙撃に気づき、残った左腕を盾代わりにすることで銃弾を逸らした。両腕を失った彼は、闘う気力を失っていた。


「降参する! だから命だけは助けてくれ! 私は貴族の出自だ。捕虜とすれば大金を手にすることができるぞ」


 必死に命乞いをする大隊長はどこか哀れであった。だが彼を救うことはできない。もし冷静さを取り戻し、丘の上にいる東条の捜索と攻撃命令を出せば、自身の身を危険にさらすことになる。さらに両腕を失った彼は自身が戦うことはできなくとも、口が動く限り指揮を執ることはできる。フランス軍にさらなる死者を産む彼を救えるはずがなかった。


「すまない。俺を恨んでくれて構わない」


 東条は詫びの言葉を呟きながら引き金を引く。銃弾は無慈悲に大隊長の命を刈り取った。吹き飛んだ大隊長を見て、東条の目尻には涙が浮かんでいた。


「旦那様、あれを見てください」

「とうとう来たか」


 東条は上空から何かが近づいてくるのが見えた。彼にはその正体がわかっていた。


「さすがはジャンヌだ。上手くやってくれたようだな」


 東条は自信のアイデアに身体が震えていることに気づいた。驚愕と歓喜、そして多くの人を殺す罪悪感が混ざり合った感情が彼の身体を震わせる。東条は戦争の歴史が変わる瞬間を確かに目にしていた。

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