第36話 工房とイリスの過去


 レオンからご飯をご馳走になるため目抜き通りへと出た東条たち。道沿いには石造りの商店が並び、フランス軍に雇われた騎士たちで賑わっていた。


「この辺りは一段と騎士の数が多いな」

「工房が多いですからね。武具を買いに来た人たちでしょう」

「レオンの店も近いのか?」

「あそこです」


 レオンが指差した方向に視線を向けると、他の商店とは一線を画す店が建っていた。店の前にはトカゲの顔をした鎧の置物が仁王立ちしており、その隣には血塗られたナイフを手にするピエロの姿がある。


「ここは本当に工房なのか?」

「工房と作成した武具を販売する商店が一体になっているんですよ」

「いや、そうではなく、あの置物はなんだ?」

「妻の趣味なんですよ。私は普通の工房の方が良いと思うんですが、奇抜でも人の目をひいた方が良いという説得に負けて」

「効果はあるのか?」

「それが効果あるんですよ。怖いモノ見たさで人が寄ってくれるんです」

「そうなのか……」

「さぁ、中に入りましょう」


 レオンの後に付いていくように、店中へと入る。店の中はお香の匂いが充満しており、怪しげな雰囲気を際立たせていた。店の中央には大きな女性の肖像画が置かれている。


「この肖像画は奥さんか?」

「はい。美人でしょう」


 肖像画の女性はワインレッドの赤毛が特徴的で、頭の上で二つ髪を分けていた。若草のような緑色の布で作られた服が、赤毛の髪とよく似合っていた。


「店内を見せてもらってもいいか?」

「いいですよ。うちの店では鎧や剣、他には戦士用の服も扱っていますよ」


 工房が戦士用の服を扱うのは一種の副業のようなもので、この時代では一般的だった。旦那の鍛冶職人が剣や鎧を作っている合間に、妻や子供たちが服を作り、セット販売するのである。日本の農家が笠や草鞋を副業で家計の足しにしていたようなことを、この時代のフランス人も行っていたのである。


「何か欲しいモノはありますか?」

「身軽に動ける女性用の服はないか?」

「女性用の服ですか。残念ながら私の店では可愛らしい服は置いてないんですよ。ただ真向かいの店でなら買えますよ。あそこならお洒落な服がいっぱいありますから」

「俺が欲しいのは女性用の服だが、戦うための戦士服だ」


 東条がイリスを指さす。レオンは驚いた表情を浮かべながらも、すぐに納得の表情を浮かべる。


「イリスにはこれからジャンヌの護衛を任せたいと思っている」

「ご、護衛をですか?」

「もちろんすぐにではない……だがいずれはイリスにも強くなって貰う必要がある。なにせ俺は常にジャンヌの傍にいられるわけではないからな」


 東条が現実世界に戻っている間はジャンヌを守れる護衛がいなくなる。そんな時、イリスが戦えるなら、安心して彼女を任せられる。


「私、頑張って強くなります」

「その意気だ」


 話を聞いていたレオンは事情を理解したのか、東条を見据えると、小さく頷く。


「女性の奴隷に身辺警護を任せる貴族は稀にいます。そんな人のために女性用の戦士服も用意してありますよ」

「ならとびきり頑丈で破けないが、可能な限り洒落た服を用意して貰いたい。後者は真向かいの店でも手に入る。だが両方を満たすものはあんたの店でしか用意できない。違うか?」

「任せてください。ご要望通りのモノを用意します」


 レオンは東条の言葉を挑戦と受け取り、店の奥から商品を運んでくる。海のように青いリネンドレスだ。遠目からでも分かる生地の質感から素材の良さが伺えた。足にはスリットが入っており、動くことも支障がなさそうである。


「イリス、この服で良いんじゃないか。一度着てみたらどうだ?」

「私がこのような高価な服を着てもよろしいのでしょうか?」

「金には困っていないんだ。イリスが着てみたいかどうかで決めろ」

「旦那様は私のような奴隷が、高価な服を着て笑いませんか?」

「笑わないさ。きっと似合うと思うぞ」


 東条の自信に満ちた言葉に、イリスが意を決して「着てみたいです」と答える。


「ではこちらへ。試着室がありますから」


 レオンに連れられ奥の部屋にイリスが着替えに行く。その間、東条は店の中を見て回ることにした。剣や盾や鎧などの武具が至る所に飾られている。どれもレオンが作成したものだった。他にはちょっとしたアクセサリーも置かれている。


「これは……」


 東条は並べられている商品の一つが気になり、足を止める。黒い筒と筒を動かすための車輪は見覚えのあるモノだった。


「大砲ですね」

「中世フランスにもそういやあるんだったな……」


 大砲は攻城戦での大きな武器である。この時代では一部の貴族にしか流通していなかったため戦場で見かけることは少なかったが、その効果は絶大で、大砲が戦況を左右することも稀ではなかった。


「東条さんは大砲に詳しいんですか?」

「攻城戦で使われる兵器だということくらいしか知らないな」

「これ私でも使えますかね」

「使い方を勉強すれば、すぐに使えるようになると思うぞ」

「いつか使い方を教えてください」

「任せろ」


 ジャンヌは覚えが良いし、何より、本来の歴史ではジャンヌ・ダルクが大砲を駆使することでフランスを救ったのである。彼女が大砲を扱えることは歴史が証明していた。


「東条さん、珍しいモノが置いてありますよ」


 ジャンヌが無邪気な声を上げる。彼女の視線の先にあるモノは一本の剣だった。刀身が黒く美しい剣は、他の武具と違い、一際豪華な陳列棚の中に飾られていることからも高価な商品だと推察できた。


「その剣に興味がありますか?」


 レオンが店の奥から姿を現す。


「ただその剣は売り物ではないんです」

「それは残念だ」

「すいません。父の遺品なもので」


 レオンの父親はシノン一の鍛冶職人と云われていた。そんな男が人生を賭して作成した最高傑作がこの剣なのだという。


「私の夢はこの剣を超える剣を作ること。それまでは鍛冶職人の夢を諦めるわけにはいきません……だから弟には悪いですが工房を売るわけにもいかないんです」


 レオンは父親の遺品に尊敬の眼差しを向ける。東条はレオンが本物の職人なのだと感じ取ることができた。


「父の遺品なら大事にしないとな。俺は素晴らしいモノが見られただけで十分さ」

「東条さん、どうやらもう一つの素晴らしいモノが準備できたようですよ」


 レオンが視線を店の奥に向けると、リオンドレスに身を包んだイリスが姿を現す。褐色の肌に、青の布地がよく似合っていた。ドレスの丈は足下まであり、少し彼女の背丈からすると長いようである。


「旦那様、どうでしょうか? 変ではないですか?」

「似合っているぞ。ただスカートの丈をもう少し短くした方が動きやすいだろ」

「は、恥ずかしくて……」


 イリスが頬を赤らめて、スカートをギュッと握る。守ってあげたくなるような愛らしい姿だった。


「旦那様、本当にこんな良い服を頂いても良いんですか?」

「ああ」

「ありがとうございます。こんな良い服、奴隷に墜ちる前も着たことがありません」


 イリスが嬉しそうに自分の格好を背鏡で確認する。口元には笑みが浮かんでいた。


「答えにくいことを聞いてもいいか?」


 イリスの主人になった以上、東条は聞いておかなければならないことがあった。


「旦那様の頼みとあらば」

「イリスは盗賊に襲われて奴隷になったんだよな。それまではどんな生活をしていたんだ?」

「我ながら酷い人生でした」


 イリスが悲しげな表情を浮かべて語り始める。その場にいた者は誰もが、その話に耳を傾けた。


「私には父様と母様、そして姉様がいました」

「四人で幸せに暮らしていたのか?」

「いいえ。私は父様に心底嫌われていましたし、母様も姉様ばかりを可愛がり、私を見ては失敗作と呟く毎日でした」

「なぜそんなにも嫌われていたんだ?」

「私の肌の色、もとい本当の父様が理由です」


 イリスの母親はペルシャで行商人をしていた頃があり、その時に恋をした男の間に生まれたのがイリスだった。


「イリスの父親はイリスと血が繋がっていないから嫌うのも分からなくはない。母親は愛してくれなかったのか?」

「母様は私の本当の父様に捨てられたんです。だからそのことをずっと恨んでいるらしくて、恨みの矛先が私に向いたんです」

「…………」

「でも悪いことばかりではありませんでした。家族からは嫌われていましたが、私の家は裕福だったので、衣食住には困りませんでしたし、一冊の本が私の心を支えてくれましたから」

「本?」

「ペルシャ神話のアーラシュに関する本です。英雄アーラシュはペルシャが他民族と平和に暮らせるようにと、自分の命を犠牲にして矢を放ち、国境を生み出したそうです。その偉業はペルシャ民族から多くの尊敬を集めました。事実、私も英雄アーラシュの自己犠牲の精神に憧れました」

「…………」

「いいえ、正確には憧れとは少し違うかもしれませんね。いつかきっと自分の身を犠牲にして家族に尽くせば、父様と母様に愛して貰える。そう信じて、命を賭ける機会を待つように一人で剣を振るったりもしたものです」

「…………」

「そんなある日。私の人生に変化が訪れました。盗賊たちが村を襲撃し、村人を奴隷にするため誘拐したのです。私は家族を逃すために命がけで剣を振るいました。もっとも実力が伴っていなかったので、あまり時間稼ぎにはなりませんでしたが……それでも家族は逃げることができました」

「それならきっと逃げた家族はイリスに感謝しているだろうな」

「だと嬉しいです」


 人は自己犠牲に心が動かされる。きっと再会すれば、本当の親子のように幸せに暮らせるはずだ。


「イリスさんは良い娘ですね。私の娘も同じくらい素敵ですが」

「その娘はどこにいったんだ?」

「妻と買い物だと思います。そろそろ戻ってくる時間だと思うのですが――あ、帰ってきたようですね」


 誰かが店の扉を叩き、それが妻か娘だと判断したレオンが、扉の前へと向かう。


「おかえー―」


 レオンは扉を開いた先にある光景を目にして絶句する。東条たちも店の外に広がる光景を目にして息を呑んだ。


 扉の向こうでは肖像画に描かれた女性、レオンの妻が、剣で串刺しにされて血を流していた。流れ出る血の量が、彼女が既に亡くなっていることを伝えていた。

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