第3話 日常という名の平穏は得てして失ってから尊さに気が付く -03
目の前にいたのは、可愛らしい少女。
暗い中でもよく映える深い蒼の長髪。
漆黒の大きな瞳。
前を肌蹴て着ている暗めの、季節外れのダッフルコート。
そして、その容姿とは似つかわしくない――大剣。
(……大剣?)
彼女が背負っているのは、少女の背丈の2倍近くもある大剣としか言い得ない鈍色に輝く武器であった。目を凝らして見てもそれは間違いない。
「あ……」
拓斗はあるモノに気がつく。その瞬間に、拓斗の中に燻っていた、どこからこの少女が現れたのか、何で大剣を背負っているのかなどの色々な疑問が一気に吹っ飛んだ。
彼女の大剣の端に引っ掛かっているモノ――いや、引っ掛かっているというより刺さっている、肩掛けのない白いスポーツバッグ。
それは間違いなく、拓斗のモノだった。
「バッグ!」
「バッグ?」
少女は不思議そうに首を傾げる。その視線はしばらく宙を浮いていたが、やがて拓斗の目線を追って首を後ろに向けた所で、「あぁ、こんなものが引っ掛かっていたのか。どうりで違和感を感じたはずだ」と、国語力のなさを露呈するような言葉を口にしながらバッグを掴んで剣から引き離し、まじまじと見つめる。そして、そのまま視線をどんどん上げていくと、今度は拓斗をまじまじと見つめ始めた。
「これ、お前のものなのか?」
「そうだよ」
少女は訝しげに眉を潜める。
「……本当に、そうなの?」
「そうだって言っているだろ。さぁ、返してくれ」
「……これも?」
未だに眉を潜めている少女は、スズメの様な鳥のキャラの、それは可愛らしい小さなぬいぐるみのキーホルダーを指で摘む。それは到底、男性が付けるようなものではない。
だが、拓斗は大きな声で肯定する。
「そうだよ! その『パルンちゃん』は、僕のものだ! だから僕のバックだって判ったんじゃないか!」
魂のこもった叫びはまだ続く。
「しかもそれは超限定版の『ウインクパルンちゃん』! 世界で1000人しか持っていないんだぞ! どれだけ貴重なのか! 抽選でしか当たらないからお金を積んでも手に入らないんだぞ! いや、そんなことはどうでもいい! とにかく可愛いんだよ!」
「……」
キーホルダーに対して有り余りすぎている愛の言葉を受けた少女は、少し引いた様子で言葉を搾り出す。
「……そう、なのか……」
「そうなんだ! だから返してよ!」
「わ、分かった。そんなに大事な物を悪か――」
――バスン。
「え……?」
鈍い音と共に、空中のバッグが揺れた。
「あ、忘れていた」
そう言って少女は大剣に手を掛けたかと思うと、即座に真上に飛び上がる。
一瞬で――信じられないような高さまで。
「……って、ええええっ!」
拓斗は自分の中の最大限の音量で驚愕の叫び声を上げる。静かな路地裏に大きく鳴り響くが、続いてそれよりも大きな音でかき消される。
銃声。
拓斗は今までの人生で、小学校の運動会のスタート時の競技用のものしか聞いたことがなかったが、先程の音は間違いなく本物であると確信していた。
続く、ガキン、という鈍い音。
銃声の数と同じだけその音も鳴り響く。
それが何かなのかを拓斗が理解したのは、一筋の穴の開いた自分のバッグが、狙いすまされたかのようにちょうど手元に落ちてきた時だった。
「……まさか!」
拓斗は反射的に上を見る。
その目に映ったのは――空中で舞う少女。
大剣を楽々と振り回すその姿は、まさに森鴎外の小説に出てくる舞姫エリスのよう。
先程に飛び上がってから今まで一度も地上に降りずに舞い続ける。
そんな彼女を、鈍い音と共に度々大剣の先から発せられる光が照らす。
しかしてその光はスポットライトなんかではなく、銃弾を大剣で弾いた時の火花。
「な……何なんだ……」
理解したとはいえ、目の前に起こっていることを拓斗は信じることが出来なかった。
大剣を軽々しく振り回して銃弾を弾く少女など、フィクションでしか存在しえない。
だけど――ノンフィクションでここにいる。
少女は、ここにいる。
だから拓斗は、驚愕で足を動かすことが出来なかった。
バスッ、と足元で銃弾が土を抉る鈍い音が鳴る。
それでも拓斗は微動だに出来ない。
現実感があまりにもなかった。
「そこのお前!」
遥か上空から、少女の鋭い声。
「逃げろ! 跳弾して危ない!」
その少女の言葉によって拓斗はやっと現実を認めた。
認めざるをえなかった。
「っ!」
拓斗はバックを抱えながら、全速力でその場から離れる。
だが、
「な……っ!」
拓斗は思わず立ち止まる。
何もなかった逃走ルートに、突如、上空から何者かが立ち塞がったのだ。
それは、スーツを着た、何処にでもいそうな普通のサラリーマン風の男。
至って普通。
その――あまりにも多い腕の数以外は。
到底数えることなどできないほどあまりにも多く、人間の側部だけではなく、前にも、おそらく後ろにもあるのだろう。無数の腕が蠢いている。
さらにその全ての手に、銃が握られている。
――怪物。
その表現が正しいモノが、目の前にいた。
それを視認すると同時に、拓斗は確信する。
(こいつが……銃弾通り魔だったのか)
最近起こっていた一連の通り魔事件の犯人が怪物だなんて、誰が想像出来ただろうか。どんな名探偵でも解けない難事件だ。
「オまエが……」
怪物が喋った。
仰天している拓斗に向かって、にたあ、と怪物は笑む。
「オまエが……キュうニんめダ!」
数えているのかよ、と不覚にもそう思ってしまった。今まで殺されたのは、サイクルはまちまちだったが、8つの晩に8人。つまり怪物が言っていることは正しい。
思考がそこまで辿り着いた所で、怪物は上空へと飛び上がる。
「あ……」
あっと思う間の出来事。遭遇してからここまで、まだ十秒も経っていない。
身体を動かす余裕もない。
だが目だけは働きを見せ、上空の怪物の姿を捉えていた。
故に、拓斗は知っていた。
銃口が、全て自分の方へと向けられていることを。
(あ……撃たれる……)
思考は間に合うが、身体が付いていかない。唯一、身体の中で間に合ったのは瞼のみであった。
目の前が真っ暗になる。
「……仕方ないか」
――暗幕と同時に。
小さく溜息を吐く音が聞こえた。
その声に思わず目を開いてしまった。
するといつの間にか先程の少女が、拓斗の目と鼻の先にいて微笑んでいた。
その笑顔はとても魅力的で、思わず顔を赤らめてしまう。
そんな拓斗を魅了させた少女だったが、彼女はそこで、
「――ごめんね」
唐突に謝ってきた。
「え……?」
「後で面倒なことになるけど、今、面倒になる方が嫌だから」
そう言って少女は、左手で拓斗の胸倉を掴み、剣を持った右手はバッグについていた人形を乱暴に掴む。
「そいっ」
そして彼女は両手を合わせるように、人形と拓斗を接触させた。
「――ッ?」
刹那、拓斗の視界が真っ白になる。
ただその直前まで目の前にいた少女の表情が笑顔だったのは覚えていた。
白の景色は一瞬だったが、何故か永遠にも感じた。
と、突然。
「うおっ」
ドスン、という衝撃で拓斗は声を上げてしまう。
同時に、目の前の景色が白一色から変化する。
「……って、何だこれ!」
拓斗の身に強烈な違和が襲い掛かる。
周囲の光景は自体は変わっていない。
だけど、違う。
それが何か分かるのに数秒間だけ思考が必要だった。
「まさか……周囲の建物が大きくなったのか!?」
「それは違う」
否定する少女の声が上から響く。
(……上から?)
疑問を頭に浮かべる拓斗に、少女は真実を告げる。
「お前の魂を――『パルンちゃん』に移したんだ」
「……は?」
拓斗は唖然とする。
状況が掴めない。
頭を抱えようとする。
その時、気が付いた。
頭に持っていこうとしたその手。
それがもふもふとした――手羽先になっていたということに。
信じられなかった。
だけど、それが現実だった。
「嘘……だろ……? どうやって……っていうか何で……?」
「嘘じゃない。本当。――悪いけど説明は後にさせて」
少女は早口でそう言うと、再び上空へと舞い上がった。その行く末を視線で追った所、
「え……っ?」
拓斗は再び、呆けた声を上げる。
そこにいたのは、少女と怪物。
そして――もう1人。
いや、もう人と呼んでいいかどうか判らない。
「……っ」
乾いた音が、砂漠のように乾く間もないほど、辺りに鳴り響く。
パララ、パララと。
その音は、まるで雨の擬音のよう。
それは先程の銃声の数とは比にならないほど、多かった。
しかし、その銃声に対する、先程のような地面を抉る鈍い音は聞こえない。
代わりに聞こえてきたのは、ボスンという、布団を叩くようなこれまた鈍い音。
拓斗は、今の自分が目を閉じることの出来ない人形であることを、ひどく後悔した。
音を奏でていたのは――拓斗の肉体だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます