3 リア充破砕男はなぜ破砕であって破壊ではないのか

 リア充破砕男はなぜ破砕しなくてはならないのか。それは変態撲殺女が撲殺しなくてはならない理由と同様、極めて重要な問題であった。


 重要であると共に、破砕される側にとってはとてつもなくどうでもいい問題であることも共通していた。

 攻撃する側の論理は被害側の論理に比べると、聞き入れる価値がないというのは少なくとも被害側にとって原理的なものであった。


 だからこそ、リア充破砕男にせよ変態撲殺女にせよ、いったん自らを被害側に位置させた上、正当防衛ならびに正義であるという前提でもって行動しなくてはならなかった。

 とはいえ、これは彼らや彼らの被害者間固有の特殊な状況ではなくて、世の中に凡庸に溢れるマウンティングの一般的な形態であった。


 その上で、破砕は破砕であって破壊であってはならなかった。

 なにしろ、破壊という言葉は破壊神シヴァの昔から手垢がつきすぎていた。そして昨今では中二病と揶揄するのにも絶好な典型性を帯びていた。

 中二病は何としても脱却されなくてはならなかったが、その脱却の過程において絶対批判と絶対否定を旨とする高二病に陥りがちな点は考慮されなかった。


 そんなわけで破砕である。「砕」という文字列に強力そうなロマンチシズムがあった。この字を使った用例として、砕氷船、粉砕バットなどの強そうで頼もしげなものがあった。


 壊すとは駄目にすることである。汚損である。退行である。しかし破砕すると、たとえ事実上壊していたところで、まさしく砕氷船のように前進しているという錯覚ができた。


 壊のつかない破の文字にも、それは突破、といった前進性溢れる表現が想起され、破滅といった表現は想起されなかった。


 こうして、リア充破砕男という名称は一定のポジティブさを獲得した。しかし名称としては優れていたものの、これを広めるためには伝達される必要があった。


 それはただネットの波に載せただけでは埋もれてしまう程度の表現であった。

 ネット以外の方法となると、それは当然発声されなくてはならなかった。つまり物理的波動に文字コードを変換してゆく作業である。


 それはリア充破砕男の苦手とするところで、そのような人類の営みそのものを破砕したい衝動に彼は駆られていたが、波動という特性上破砕は原理的に不可能であった。


 しかし発声するとなると、名称を発声するのは名乗りであった。それは実際の破砕への予告編に過ぎなかった。


 破砕を予告するのは破砕作業そのものを著しく困難にした。それは怪盗の予告状であった。怪盗の予告状が効果的なのはあくまで本番が成功した時に過ぎなかった。


 ……本番などという、穏やかならぬ意味を持った単語がこうして滑り込んで来るのだ。

 本番というのはあくまで練習に対する本式の場面でしかないはずなのに、リア充達によって本来あり得ない意味が付与されているのだった。


 これは本来の陵辱に並列した言語的陵辱であった。蹂躙であった。なので、犯されている者は相手役リア充の肉体と非リア充の精神であり、逆転して非リア充の肉体が犯されリア充の精神が犯されることはなかった。不幸なのは精神を犯される者であって肉体を犯される者ではなかった。


 だが、彼を怪盗になぞらえるのは、良くいえばあまりに初心者に過ぎたし、あからさまに言えば怪盗が持つべき美しい外見を所有していなかった。怪盗は盗みのテクニックよりもトリックよりも何より美しくなければならなかった。美しくないという時点で予告状を出す人権すらなかった。美しくない人が出して良いのはせいぜい果たし状と脅迫状であったが、そのどちらも美しさの代わりに迫力がなくてはならなかった。しかしリア充破砕男は、美しさだけでなく迫力もまた決定的に欠いていた。なので、彼にできるのはせいぜい督促状を受け取るぐらいのことであった。


 ここでリア充破砕男は重大な見落としをしていた。本番という言葉の別の意味は、必ずしもリア充によってのみ為されるのではなく、彼が延滞料金を督促されているところのDVDの従事者が付与しているだけかもしれない事実をである。

 

 だがそれとて、リア充破砕男にとっては、雲の上の出来事という点では従事者もリア充も同じであった。リア充こそが従事していると考えている可能性もあった。子供の頃の夢が野球選手や大工さんから少し色気づく頃に、その手の特殊監督や特殊俳優と言ったものが夢として挙がり出す、その頃の精神年齢のままリア充破砕男はよく言えばイノセントであった。


 だからこそ、リア充破砕男にとって、発声に至るには、それが自らの名称であるという役割は少々荷が重すぎた。

 審美上の問題に目を瞑って予告状を出したところで、本番が失敗した場合には、生得的な醜さだけでなく状況が作り出すなお悲惨な醜さが襲うのである。


 だから、予告としかならない、自称としての破砕は不適切だった。


 つまり、実際に破砕が行われる際に初めて伝達されるのというのが最も良い。その考えで行くと、リア充破砕男の知識の範囲ではこれは必殺技と呼ばれるべきものであった。


 しかも、現実で必殺技を発揮するにあたっては、フィクション上の制約である、番組の終盤で発揮しなければならないということもなくなり、ただ目的の破砕と同時に発声することができる。


 前回、リア充破砕男は「大変申し訳ございませーん!!」と発声した。それはそれで、礼を尽くした発声形態といえた。しかし、なぜ礼を尽くさなければいけないのか改めて考えるとわからなくなった。わからなくなると、安易にそれは本質的な問いを設定して真理を突いてしまった、とされがちであった。


 しかし今回、彼は「破砕!!」と大変に短く発声した。しかしやったことは前回と同じくであった。要するにカップルの手つなぎに体当たりして合体を解いたのである。


 それは発声した刹那、ほんの一瞬キまったように思え、しかしその実前回と同じように殴られて蹴られた。


 結果を重視する成果主義の立場からは、それは全くの無成長に見えた。しかし日本的な成果主義が成果主義を貫けず、過程も同時に重視するというハイブリッドな中途半端さをまさに成果として達成しがちな現実を踏まえれば、それはある種の内面の成長と言えた。


 成長というのが、他者貢献を軸に測られるものだとするとそれは成長では一切なかった。


 しかしリア充破砕男の中では、満足感が芽生え始めていた。


 成長というのが、ある一面的な見方であって、その見方において何らかの利するところがあるか、という測り方であるとすると、世の中の大多数にとって成長ではなかったが、世界中頑張って探せば見つかるかもわからないというぐらいの意味ではそれはもしかしたら成長であった。

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