第2話「俺の人生がパッとしなかった理由は……」



「でも、やっぱり可哀想ですよね……もう一回上級天使に掛け合ってみましょうかね」

「は? ダブリスが定員オーバーになりそうって言い出したんじゃん、いまさら善人ぶるなよ」

「うーんけど、よく考えたらそんな悪いこともしてないっぽいですし……」

「じゃあ、こいつにいままでの悪行自白させて証拠とればいいんじゃん」

「……確かにそれもありですね」

「じゃあ、さっさと起こしてよ」


「浅川さん、浅川長束さーん」


 若い女性が耳元で俺を呼びかける。近所の眼科か?

目を開こうとするにもうまく力が入らない。寝入る寸前のまどろみに似ている。


「ベリアルちゃん、全然起きてくれないです」

「はぁ……しょうがないな。ちょっとダブリスそこどいて。……おい、起きろ!」

「痛っ!!!!」


 首元に噛み付かれたような痛みが走り、驚いて起き上がると見知らぬ黒髪の美少女が首に噛み付きながらこちらを睨んでいた。


「!!!???」 


「はぁ、やっと起きたか」

紅い瞳をした黒髪の美少女はペッと血を吐き、立ち上がった。

「もう、ベリアルちゃん乱暴だよ」

「は? だったらダブリスが起こせばよかったじゃない」


 黒髪の美少女は、小柄なショートカットの少女にそういった。ショートカットの少女は原宿系の読者モデルかコスプレ写真でしかみたことのないような一寸のムラもない綺麗な銀色の髪をしている。

 柔らかな真っ白のワンピースを着ていて大きな蒼い目で心配そうに俺の顔を覗き込んだ。

 対してベリアルという名らしい黒髪の美少女は、重たそうな濃い紫色のマントを羽織り、腕を組みこちらを睨んだままだ。ロングヘアーが風でさらさらと揺らいでいる。


 周りを見渡すと、あたり一面真っ白な広大な場所である。強い風が吹き霧が立ち込めており、一見雪景色のようにも見せるが、寒さは無い。どちらかといえば春を思わす暖かな風だ。


「ていうか、ここ一体……どこ?」

「単刀直入に説明するわね。そこのあなた。浅川長束。40歳独身男性。あなたはブラック企業で休みを取ることを許されないまま奴隷のように働き続け25連勤目の夜、くも膜下出血により……死亡しました」

「は?」


 黒髪のベリアルは淡々と俺の死亡理由を語った。


自分の死亡確認を聞いたことのある人間は一人もいないだろう。そして現に俺には意識もあるし、体もこうして起き上がる。

何を言われているのか、そもそもここはどこなのか、いや一体なにからつっこめばいいものか、「?」が多すぎる状況に、どう言葉をつないでいいのかわからない、というのが率直な感想である。


「あら、あんまり驚かないのね。普通の人間は取り乱すのに。ブラック企業でよっぽど訓練されたのかしら。それともただのマゾ?」

「ベリアルちゃん、言い方!」


ダブリスというらしいショートカットの少女は、ベリアルの容赦ない毒舌に釘を刺す、という気遣いを見せてくれた。……が、笑いながらなのだ。ただのツッコミの一環としてキャッキャしているだけなのである。死んでいる、くも膜下出血だ、と重い話題を出すわりに、この二人のやりとりはひたすら軽く、死者を弔う気が一切ないようである。


「まぁいいわ。あなたはこれから私が地獄に連れて行く予定なんだけど……地獄に連れて行くには悪行が足りなくてねぇ。そこで、現世で行った悪行を自白してもらいたいのよ」


 ベリアルは口元に笑みを浮かべ、心底こちらを嬉しそうに見下しながらそう言った。


「浅川さん……ごめんなさいっ!! 本当は天国にお連れしたかったのですが……現在天国は定員オーバーで、入居審査が厳しくなってるんです。すぐには空きが出ないようで……ほら、いま少子高齢化が進んでいるので……」

「タブリスが〝天国が定員オーバーなんですっ!〟って私に泣きついてきたのよ。けど、地獄も誰でも入れるわけじゃないの。現世である程度の悪行ノルマをこなした悪のエリートじゃないといけないわけ。そこで、現世でのあなたの行動を確認させてもらったんだけど……パッとしないのよねぇ」

「……」

「つまり、あなたは天国にいくにも、地獄にいくにもパッとした経歴がないのよ。最近多いのよね、テキトーな人生を送って、テキトーに死んでいくやつ」

「おい……さすがに言っていいことと悪いことが……!!」


 言い返そうとした瞬間、言い終わるのを待たずしてベリアルは、目の前に屈み、俺のネクタイをグッと掴みひっぱった。首元が圧迫され、意思とは関係なく俺はベリアルに飼いならされた犬のように涙目でベリアルの顔を見上げる。


「なに? じゃあ、あなたなにか頑張ったって声を大にしていえるわけ? 大した人生歩んでこなかったくせに私に口答えしないで」

「……俺だって頑張らなかったわけじゃない」

「は? クソみたいな人生だったのはあなたの頑張りが足りなかったからでしょ?」

「……違う」


 ベリアルの言う通り、俺の人生にはパッとした成功体験はなかった。地元の高校を出て、自分の学力で入れそうな大学に入って、とくにやりたいこともみつからないままの状態で就職活動をこなし、内定をもらったフリーペーパーを発行する会社に営業として入った。

 けれども、それが自分の努力不足のせいで全責任が自分にあるとは認めたくなかったし、そう思えなかった。

 なぜなら生まれながらの自分のスペックがもう少し高ければ、また違う人生だったとも思うからだ。


 もっと俺がイケメンだったら、もっと人間的余裕がもてていたり好意的な目で世間を見れていただろうし。いや、けどイケメンでも上司からパワハラを受ける奴も少なくないな。イケメンよりももっと生きやすい生き物……そうだ。美少女はイケメンよりも圧倒的に生きやすいのではないだろうか。

  俺が笑っているだけで誰からもチヤホヤされるような美少女に生まれていたら世界はもっと優しく、人生はきっとイージーモードだったはずだろう。


 そう考えると、自分の生まれた状況を不服に思う気持ちだけがどんどん膨らんでくる。気がづけば俺はベリアルを、睨み返していた。


「違う……そうじゃない。俺は……努力不足もあったかもしれないが、それだけじゃない……俺の人生がパッとしなかった原因はもっと他にある」

「なに?」


 ベリアルはさっきよりもより鋭い目つきで俺を睨み返す。なんの同情心も持ち合わせていない、殺意を混濁させたような冷淡な表情だ。


 ここで口ごもれば、負けてしまう。俺は動物的な危機を感じ、大きく息を吸い込んで、心に浮かんだままの言葉をぶつける覚悟を決めた。こんな時くらい、プライドをむき出しにしてもいいだろう。俺は納得しない上司の理不尽な叱咤にも、頭ばっかり下げてきたんだから。


「俺の人生がパッとしなかった理由は……」

「だからなに?」


「……俺が、俺が美少女に生まれなかったせいだ!!!!!!!」


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