第五話 赤鼻のトナカイ

 えれえことになったなあ。大井さんは真っ赤になってるし、純くんはものすごく真剣だった。でも、俺がその場でイエスノーなんて言えるわけないだろ。大井さんの口から直接出たことでもないし、俺には青天の霹靂だし。申し訳ないけど、もうちょい後で考えさせてもらうわ。今は、待ってるお客さんに歌を届ける方が先だ。


 ってことで、俺は逃げるようにして大井さんのアパートを出て、次のお客さんである田島さんのところに向かった。田島さんは、俺とほぼ同い年のリーマン。独身というところも同じで、退職を迫られてるというのも同じ。境遇は、まるでコピーしているみたいにそっくりだ。でも、性格は俺とまるっきり違う。


 俺の喜怒哀楽の表し方はマイルドだと思う。その分、どうしても自己主張が乏しいように見えるらしく、偉そうな連中に見下されてずいぶん割りを食ってきた。があがあ言われても俺が黙ってるのは、納得してるからじゃないよ。そいつらに何を言い返しても無駄だと思ってるからだ。反撃しないとどうしても損をかぶりやすくなるが、まあそれはしょうがない。黙っていても取られる税金と同じだと割り切るしかない。


 でも、田島さんは俺とは違う。恐ろしく自己主張が強い。筋の通らないことを押し付けられると、そいつが逃げ出すまで徹底抗戦する。根っからのファイターだ。だが、それで豊かな人生を送れているかというと、見事に裏目に出ている。

 いつも筋論にこだわる田島さんは、どうしても会社という組織に合わずに、これまでいろんな会社を転々としてきている。まだ若い頃ならともかく、中年になりゃあキャリアより年齢を見られてしまうから、当然自分が是とする職には就けなくなる。それが田島さんのプライドをひどく傷付け、まずます意固地がひどくなる。若い頃には奥さんがいたらしいが、互いのわがままを許容出来ずに離婚し、それ以来ずっと独身だと聞いた。


 ひたすら我慢で自分を殺してきた俺と、ひたすら我を通して自分をぶちまかしてきた田島さん。それぞれのライフスタイルで生きていて、どっちがいいどっちが悪いという問題ではない。だからこそ、まるっきり正反対の性格ながら、なぜか田島さんとは馬が合ったんだ。


 最初が傑作だったよな。俺のところに電話をかけてきた時点で、田島さんはすでにへべれけに酔っ払っていたんだ。平日の昼間だぜ? 仰天したわ。酔っ払いのいたずらかと思って電話を切ろうとしたら、田島さんが泣いていることに気づいたんだ。その時、よほど悔しいか悲しいことがあったんだろう。

 べろんべろんの田島さんから現在地と住所を聞き出すのが、また一苦労。なんとか田島さんのアパートにたどり着いた時には、戸口で酔い潰れて寝てたんだよな。真冬だぜ? 放置したら、下手すりゃ凍死だ。歌どころじゃないよ。無理やり叩き起こし、鍵を開けさせて部屋の中になだれ込んだ。

 その部屋が……まあ、すごい部屋だったわ。俺の部屋だって、決して人のことなんか言えないよ。だらしない中年男性の部屋そのものだと思う。金指さんとこもそうだし。でも、田島さんの部屋は、その比じゃなかった。まさにゴミ部屋。そして、なぜそうなっているかもすぐに分かった。


「そうか……」


 自分の過去の栄光。輝かしい暮らしをしていた頃の遺産が……これでもかと残っていたんだ。使われることのないゴルフクラブ。テニスラケット。釣り道具。衣服の数も半端じゃなかった。

 絶対に、その頃の世界に戻ってみせる。自分を発奮させるための過去の産物がどうしようもないがらくたと化して、もうすぐ崩れ落ちようとしていた。俺にはその様子がどうしようもなく惨めに見えた。でも、それが田島さんの生き様なんだろう。金指さんが、どんなに後ろ指をさされながらも極道を貫いてきたようにね。


 どっちにしても、クリスマスソングどころの話じゃない。しょうがない。このオーダーはスルーするか。そう思って田島さんの隣から離れた瞬間、目ぇ覚ましたんだよな。


「誰だ、おまえはっ!」


 ものすごい剣幕だった。俺は、慌てて弁解した。


「お電話いただいたクリソン宅配サービスですよ。村野です」

「はあ?」


 俺を睨みつけていた視線は緩むことはなかった。


「おまえに電話なんかしてねえよ!」


 ああそうですかで、さっさと離脱すりゃあよかったんだが、俺はむっとしたんだよな。一方的に電話してきて、介抱させて、その恩人を泥棒かなんかのように! 俺は携帯の受信記録を出し、それを見せた。


「この番号。田島さんのですよね?」

「う……う」


 その瞬間。さっきまではがりがりに尖っていた田島さんのプライドと見栄が木っ端微塵に砕けた。


「おーんおんおん! おーんおんおんおん!」


 男が全身で泣くとこれほど迫力があるのかと。そういう大迫力で、田島さんはしばらくの間、激しく泣き続けた。


◇ ◇ ◇


 ああ、そうさ。田島さんも金指さんと同じ。誰からもどこからも弾き出されて、居場所がなくなっていたんだ。


 久しぶりに、半年間勤務を続けていた商事会社の事務。契約は最初から半年だったようで、契約延長してくれると自信満々で会社に乗り込んだ田島さんに突きつけられたのは、契約満了に伴う解雇だった。田島さんにしてみたら、これまでどこでもぶちかましていたエゴをぎりぎりまで抑えて、おとなしく仕事をしてきたのに、なぜ? 自分が誰からも必要とされない。どうしようもない絶望感に苛まされて、真昼間からやけ酒を食らっていた、と。

 俺に電話をかけた目的は、歌を届けて欲しいからではなく説教をしたかったかららしい。人が路頭に迷おうかって時にくだらねえことやりやがって、と。ちぇ。余計なお世話だ。


 でも田島さんは、いままで自分をかちかちに縛り付けていた是非という鎧を、俺の前では外さざるを得なかったんだ。意識があるかないかに関わらず、俺に歌の依頼を出しちまったのに自分自身で反故にしたんだからさ。少し酔いが抜けてきた田島さんは、これでもかというくらい俺に平謝りした。


「いや、それはいいんですけど。私は歌をお届けに来たので。どうします?」


 そんなのは要らないと言われるかと思ったが、ふと横を向いた田島さんは、泣き腫らした自分の顔をガラス窓に映して、寂しそうに笑った。


「情けねえツラだよ。鼻ぁ真っ赤だ。そうだな、赤鼻のトナカイで頼むわ」

「承知しました」


 まだぎごちないギターと、からっ下手な歌。それでも田島さんは、しんみりと歌を聴き通した。


「済みません、全然下手くそで」

「いや……クリスマスなんだよな」

「はい」

「じゃあ、それでいいんだよ。きっと」


 田島さんらしい微妙な言い方で。それでも、田島さんは俺の歌を受け入れてくれた。俺は、それで十分だったんだよ。


◇ ◇ ◇


 その年限りかと思ったが、田島さんからは毎年依頼が来た。歌は、毎回赤鼻のトナカイ。好き嫌いではなく、プライドが木っ端微塵になって泣き暮れたあの日のことを戒めとして心に刻み続けるため。田島さんは、毎回俺にそう言った。まるで、儀式のように。


 年を重ねるごとに部屋のガラクタは減って行き、今は俺の部屋よりもずっときれいに片付いている。あの後再就職した、スーパーの商品管理の仕事はずっと続いてるそうだ。

 やりがいが、スキルが、キャリアが……耳障りのいい言葉は、実際にはそんなに役に立たない。それらは、末端の俺らに求められることからとんでもなく遠くにあるからだ。まず自分にやれることをこなす。俺らはそれしかできないし、できればちゃんと評価してもらえる。それが第三者にどんなにみみっちく見えても、だ。


「メリークリスマス! サンタが、歌をお届けにまいりました」

「よう!」


 ドアの前で大声を張り上げたら、ばたんと勢いよくドアが開いて、だいぶ髪が薄くなってきた田島さんがひょいと出て来た。


「はっはっは、惣ちゃん、今年も来たな」

「五年ですねえ」

「もうそんなになるか。お互い、すっかりどたまが寂しくなってきたなあ」


 はははっ! 互いの髪を指差して、賑やかに笑い合う。


「さて、今年も景気よく歌うか!」

「そうしましょう」


 去年まではどすんと座って聞き専だった田島さんだが、今年はサンタ服を着て、赤い三角帽を被り、俺と同じような格好になってる。


「お! 気合い入ってますね」

「まあな。仕事ぉ辞めたんだよ」

「えええっ?」


 そらあ、びっくりなんてもんじゃなかった。


「ど、どうしたんですかっ?」

「いや、円満退社さ。やりたいことが出来たんだ」

「やりたいこと……ですか」

「ああ。前に勤めてた会社。そこはろくでもねえとこだったんだが、そこを辞めた若い連中がノックダウン生産の機械の製造、販売をやるから手伝ってくれって言っててね」

「うわ。すごいですね」

「まあ、俺はパーツだ。使われる立場だから、粛々と手伝うさ」


 昔の田島さんだったら絶対に口にしなかっただろうセリフが口からするっと出て、俺は五年という年月をしみじみ振り返る。


「五年……で変わるもの……か」

「いや、俺は変わってねえよ。こだわる方法を変えただけだ」


 田島さんが、さっと否定した。


「他人にこだわっても、俺は何も変えらんねえ。変えるなら。変えたいなら。俺が自分自身にとことんこだわるしかねえんだ」

「なるほど……」

「惣ちゃんの歌だってそうだろ?」

「ええ。そうですね」

「下手くそでいいと思えば、それまでだ。でも、惣ちゃんの歌もギターも年々うまくなってる。そういうこだわり。俺も見習わねえとよ」

「じゃあ、新しい門出を前に。景気良く行きますか!」

「おうよ!」


 いい年したアラフィフのおっさんが、お揃いのサンタ服を着てがらっぱちな赤鼻のトナカイを歌う。その光景を誰かが覗いたら、滑稽以外の何物でもないだろう。……今という時間断面だけを見ればね。

 でも俺も田島さんも、五年という歳月の中で、失ったものより得たものの方がずっと多かったと思う。そう考えれば、俺たちの歌は間違いなく賛歌だ。たくさんのものを得られた五年間を喜び、それに心から感謝する歌。


 これまでで一番気持ち良く歌って、次に向かうことにする。あと二人、だな。


「おっと、田島さん、来年の予約は?」

「もちろん入れる。惣ちゃんの歌ぁ聞かねえと年越せねえからな」

「ははははっ! それじゃ!」

「おう、がんばってな」

「はい!」



BGM:Rudolph The Red-Nosed Reindeer (Texas Tornados)

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