第四幕 いてつく世界で死に急ぐ

1――ハシゴ酒で凍死体(前)


   1.




 実ヶ丘みのりがおか市の中心街にあるスーパーマーケットから一一〇番通報があったのは、紅葉の綺麗な晩秋だった。

 八月から九月にかけて物騒な事件ばかり起こっていた実ヶ丘市だが、またしても厄介ごとを産み落とした格好である。


 実ヶ丘警察署の強行犯係に勤務する巡査部長、徳憲とくのり忠志ただしは出動要請を請け、捜査チームを編成して現場へ向かった。

 徳憲は一時期、警部補へ登り詰めた敏腕刑事だった。凶悪犯罪の検挙率は実ヶ丘署の最多記録を保持しており、今年も破られていない。


 現在は夏の事件で一つ失態を犯した――世間的にはそういうことになっている――せいで、警部補から巡査部長に降格されはしたが、今の調子で職務に邁進すれば、近いうちに再び昇格試験を受けられるだろう。

 それはともかく。


「東京都内を中心にチェーン展開しているスーパーマーケットですね」


 パトカーで乗り付けた徳憲は、店の前に降り立った。

 部下たちの手で縄張りが敷かれ、当然のように店は臨時休業となった。

 腕時計を一瞥すると、午前七時を回ったばかりだ。朝っぱらから大騒ぎである。

 通報があったのはおよそ一時間前、開店準備のために出勤したであろう店員が数名と、寝ぼけ眼で酒臭い店長が警察を出迎えた。


「どうもお世話になります刑事さん……ぁ痛たたた」


 店長は頭を抱えながら、酒気を帯びた吐息で挨拶した。

 徳憲は警察手帳を提示しつつ、問いかける。


「二日酔いですか?」

「ええ、お恥ずかしい限りで」苦笑するしかない店長。「ゆうべは、うちの副店長とハシゴ酒しておりまして……本当は今日、ワタシは午後から出る予定だったんです。なのに、事件の連絡を受けて大慌てで飛び起きましたよ……トホホ」


 いかにも酒焼けした肌の御仁である。

 三段腹を隠そうともしない――隠そうとしても隠しきれない――恰幅の良さは、お世辞にも美しくない。暗く沈んだ面持ちは事件の痛手よりも、二日酔いのせいだろう。


「それで、現場は?」

「こちらです……痛ててて」


 頭を押さえる店長に案内されて、徳憲は店の裏手へと回り込んだ。後ろには捜査班もぞろぞろと列を成す。

 店の裏には巨大な倉庫が建っていた。仕入れた商品の貯蔵と在庫管理が目的のスペースだ。搬入用のトラックも一台停まっていて、これまた警察に足止めを喰らっていた。


 運転手が忌々しげに煙草を吸っている。本来ならとっくに搬入を終え、次の場所へ運送しなければならないはずだ。捜査協力という建前のもと、滞在してもらっているのだ。

 店長はその運転手を手招きした。ついでに店員も呼び寄せた。


「第一発見者は、こちらの二人です……そうだよな?」


 店長自らが確認を取る。

 不機嫌そうな運転手は「ウス」とだけ短く返事した。見るからにトラック野郎と言った風体の粗野な態度だ。パンチパーマとやぶにらみの眼光が、傍目には怖い。

 もう一人の店員は、うら若き美女だった。店の制服らしきブラウスとスカートの上にエプロンを付けた格好で、楚々と立っている。髪も染めず、化粧も薄いが、決して地味ではなくそういうファッションなのだろう。温厚そうな癒し系の女性。成人はしていなさそうに見える。温和な目もとに、徳憲は既視感を覚えたが、すぐには思い出せない。


「早朝シフトに入っていた大学生の子です」


 店長が紹介してくれた。

 女性店員はパートタイマーのようだ。なるほど大学生、道理で若い。講義のスケジュール次第では午前中が暇な日もあるだろう。朝からシフトに入っていても不思議はない。


「え……と、その」


 徳憲と目が合った女性店員は、青ざめた形相で言葉を濁らせた。

 無理もない、第一発見者なのだ。惨状を目の当たりにしてショックを受け、呂律が回らなくなるのはままあることだ。

 運転手が代わりにその「惨状」を語ってくれた。


「今朝の入荷分を倉庫に入れなきゃならないんで、店員を呼んで倉庫を開けたんスよ」


 ぶっきらぼうに彼は告げた。一刻も早く話を終えて、業務を再開したがっている。

 次に店長が口を開く。


「で、そこの子が倉庫の鍵を事務室から持ち出し、倉庫に入ったわけです……だよな?」

「はい」うつむく女性店員。「精肉や鮮魚の搬入だったので、冷凍貯蔵庫に入りました」


 冷凍貯蔵庫。

 徳憲たち捜査班は、一様にこめかみをうずかせた。

 事件の臭いが濃くなって来た。実際、そこで異変が見付かったのだから当然だ。



「そしたら……ふ、副店長の死体が、冷凍貯蔵庫に、た、たお、倒れていたんです……」



 女性店員は何度も息を詰まらせながら、台詞を吐き終えた。

 死体。

 副店長。

 徳憲が顎をしゃくると、部下たちが動き出す。防寒着を借りて冷凍貯蔵庫に立ち入る。

 温度計が壁にあったので見てみると、冷凍貯蔵庫内はマイナス一〇度が保たれていた。


「寒いな」


 吐息がたちまち凍り付く世界だ。防寒着がなければ、ものの数分も居られまい。

 その入口をくぐった先、中央通路のど真ん中に、目当ての死体はあった。


 まだ若い二〇代とおぼしき青年が、仰向けに寝そべっている。ロングTシャツにジーンズという軽装で、氷と霜に覆われて絶命していた。


 徳憲たちは手を合わせて冥福を祈ってから、鑑識課も招いて作業に取りかかる。

 いかんせん場所が場所なだけに、寒くて思うように作業は捗らない。かと言って冷房を切るわけにもいかない。倉庫内の商品がいたみでもしたら、警察は責任を取れない。

 徳憲は一足先に倉庫を出て、店長たちの元へ戻った。現場作業は部下たちに任せ、自分は事情聴取に専念しよう。そうしよう。


「副店長は今日、朝から出る予定だったんですか?」

「いえ、昨日と今日は休みを与えていました。だからワタシがゆうべ、飲みに付き合ったんですよ……あぁ頭が痛い」

「じゃあどうして、副店長が朝早くから冷凍貯蔵庫に?」

「判りません。誰も今朝、副店長の出勤する姿を見ていないんですよ。そうだよな?」

「は、はい」頷く女性店員。「今日のタイムカードも、副店長は押していませんでした」


 押していない?

 なるほど、出勤のつもりで店に来たわけではなかったのは理解できた。

 そもそもなぜ、副店長は冷凍貯蔵庫へ入ったのだろう。


「鍵はかかっていたんですよね?」

「は……はい」

「それはオレが保証するっス」


 運転手が名乗り出た。

 搬入のとき鍵がかかっており、事務室の鍵を使って開閉したことを見ていたからだ。


「じゃあ副店長は、鍵のかかった冷凍貯蔵庫にのか?」


 徳憲はハッと弾かれたように顔を上げた。

 副店長は極めて軽装だったから、冷凍貯蔵庫にこもれば命に関わるのは明白だ。私服なので、仕事に来たのではないことも確実だ。


 ――何者かが副店長を冷凍貯蔵庫に押し込み、扉を閉ざし、殺した?


「死因は凍死と思われます」


 ほどなく鑑識課が報告に来た。

 耳打ちされた徳憲は、不穏な寒気を感じずに居られない。

 庫内の冷気とは異なる、心理的な悪寒。


「殺意をもって閉じ込められた犯罪……か?」

「そんな馬鹿な!」


 口角泡飛ばす店長が滑稽だった。

 三段腹を揺すって動揺している。様子がおかしいので、徳憲が半眼で睨んだ。店長はさらにギクリと飛び上がっては、聞いても居ないのにベラベラと自分から打ち明ける。


「昨晩、ワタシは副店長と飲みに出ましたが、二軒ほどハシゴしただけで別れたんですよ! ゆうべの彼は酔いが回るのも早かったんで……まさか死体で発見されるなんて!」

「ハシゴ酒したのは、二人ですか?」

「そうです。奴とは仕事の話が山ほどありますんで、よく二人で飲み歩いたものです。最近は奴も悩みがあったらしくて……ワタシは彼を元気付け、励まして別れたんです!」

「仕事の話と、悩み相談ですか」


 徳憲は懐中からPフォンを取り出した。

 素早く聞き取った情報をメモして行く。録音機能も併用し、器用に情報をまとめた。


「鑑識さん、死亡推定時刻は判りますか?」

「そこまではまだ」かぶりを振る青い作業服の鑑識員。「死後硬直も死斑もありますが、何しろ冷凍貯蔵庫内なので、常温での出方と異なります。正確な死亡推定時刻は持ち帰って解剖してみないと……」

「死体は科捜研に回して下さい。あとでウチから鑑定依頼を出しておきます」


 徳憲はそう頼んでから、再び店長たちへ向き直った。

 鑑識が遠ざかる足音を耳に収めつつ、改めて各人の名前を伺う。


「お時間があれば、初動捜査が終わるまでお話をさせてもらえますか。お名前とご職業、年齢を教えて下さい」

地悶じもん情次じょうじ、三七歳。スーパーの雇われ店長です」


 店長が早口で自己紹介した。

 続いて隣の女性店員が肘でつつかれ、急いで居住まいを正している。


「あ、はい……私は、ええと……怒木いかるぎ慫子しょうこと申します……一九歳、大学二年です」

「えっ?」


 徳憲は頬の筋肉を引きつらせた。

 怒木?

 はて、どこかで聞いたような苗字である。それも徳憲の身近な所で。そう言えば女性店員の温厚かつ温和そうな佇まいも、既視感があったような――。

 しかも『慫』という珍しい文字。

 ――思い出した。警視庁、それも科捜研だ。


「つかぬことをお尋ねしますが、怒木さんの父親って……?」

「あ、警察の方ならご存じなのですね」おどおどと答える慫子。「私の父は、科捜研に勤めています。怒木慫矢しょうやという名です」




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